秘書の1日
ここは、主人の部屋です。実は主人は日下部酒店の御曹司、部屋は酒倉庫の住居部分に1人で住んでいます。 普通の家を倉庫に改造したため、倉庫といっても、トイレ、台所から浴室まであるのです。晩ご飯以外はほとんど自分一人でやっています。生理が始まってからは、女性用の下着を着けるようになり、洗濯まで自分でやるようになりました。
朝です。目覚まし時計が鳴りました。朝の5時でまだ暗いです。主人ががばりと起き上がりました。
「ふぁーあ。メイクがなけりやこんなに早く起きなくてもいいのになあ。」
そのまま、トイレにいきます。顔を洗って歯磨き、そして、朝食です。トーストにジャム、インスタントコーヒーの食事です。朝のニュースをみつつ新聞に目を通します。
食事か終わると、化粧ポーチを持って、トイレです。再度、歯を磨きして化粧の開始です。このために、トイレには椅子が置いてあるのです。実に、1時間のフルメイクが始まります。
7時半、主人はハイヒールにスーツ姿で元気よく出勤です。
「おはようございます。」
近所のおばさんが、花に水を掛けていました。
「おはよう・・・あれは、だれだっけ?」と首をひねる近所のおばさんです。
(?・・・あっ、たっちゃんだ。すっかり、女になっちゃったのね。)
今日は清掃の日なのです。
「おはようございます。」と主人が挨拶します。
角川さんは、頭に布巾を巻き、割烹着と万全の格好です。
「お早う。はい、エプロンと靴。ハイヒールじゃ掃除しにくいでしょ。」
「あ!これは、こないだ捨てられたスニーカーじゃないですか。」と主人は驚きの顔です。
「そんなもったいないことする訳無いじゃないの。」
「ほんとですかぁ。」
「それはね。ゴミ箱にいれたら、こんなところに捨ててはだめたと総務部の人におこられたからなんですよ。」と尾崎さんが解説してくれました。
「こら、しゃべってないで手を動かす!」
{はっ、はい」
都合が悪くなると怒ってごまかす角川さんでした。
カーテンを開け、窓を開けて、朝の新鮮な空気をいれます。机を拭いて、掃除機を掛けて、窓を拭きます。書類を確かめて、シュレッダーにかけるものと捨てるものとを選別します。
「そのへんで良いわ。次は社長室よ。」
「あっ、ちょっとまって、あと少し。」
「早くして。日下部は掃除機とバケツもつ。」
「重いでしょ。すみませんね。」と優しくいう尾崎さんです。口だけで手伝いませんが・・
「男なんだから、力仕事は当然よ。」と当然だと笑う角川さんです。当然、手伝いません。
「こういうときだけ男なんだから・・」とぼやく主人です。
「何か言った?」
「いえ別に。」
角川さんの言うことは絶対です。
移動中に主人がいいます。
「ここ5階だけは、業者にたのまないから大変ですよね。」
「機密のためですからね。」
「そうそう、ホステスの名刺やあやしいホテルの領収書とか機密がいっぱい。」と角川さんが笑っていいます。
「ホントですか。」と驚く主人です。
「ウソよ。さあ、社長室をやるわよ。」
うーん。ほんとにウソかしら、角川さんが社長や会長にあんなに強気の発言できる理由がその辺にあるかも・・
朝の出勤時間です。2人は会長を出迎えに、玄関まで行きます。従業員で玄関を使えるのは、会長と社長だけなんです。あとは通用門です。
果たして、黒塗りの車がやってきました。
「会長、お早うございます。」
主人は、さっと、迎えに走り、鞄を受け取り、降車の手伝いをします。うん、ずいぶん早くなりました。エライ!
会長にに付き添って、エレベータに乗り会長室へ行きます。着くと同時に、新聞を渡します。新聞は、毎日、守衛室に届きます。迎えに行くときに1部手に入れておくのです。
「はい、今朝の新聞です。」
「すまんな。」
「はい、これは昨日までの書類、こちらはもう送ってもいいでしょうか。」
「うーん・・・・ああ、いいわい。頼む。」
「わかりました。」
「あとで、こいつを清書してほしいんだが。」
「わかりました。」
ここは秘書室です。
「うーん。3時から4時なら可能です。」と主人が手帳見つつ答えています。
「あら、今日は、会長が人気ね。」という角川さん。いつもながら、秘書として何の仕事をしているのか不明です。
「来客、お茶だし行ってきます。」という尾崎さん。よく働きます。
部屋には、大きなディスプレイのワープロ専用機と並んでパソコンがあります。さらに和文タイプもあるのですが、これは角川さんしか使えません。
「よし、できた。」と主人がワープロ専用機から印刷を開始しました。
印刷物は、角川さんのチェックが入ります。
「ああ、ちょっと待って、ここ間違っている。」
「あ、ホントだ。」
「ここは、『を』が無いわ。」
「了解。」
また、直しに入ります。
「日下部は早いなぁ。助かるわ。」という角川さん。
「家でパソコンのワープロ使っていますからね。」
「ロータス1-2-3を使えるのは日下部さんだけですからね。すごいわ。」と感心する尾崎さん。
「来月には、新鋭機のディスクトップが入るからね。これからもどしどし頼む。ノートパソコンもはいるらしいわ。」
「角川さんは覚えないんですか。」
「私はダメ。」ときっぱり。やっぱり何の仕事をしているか解らない角川さんです。
そう言って時計をみます。まもなく昼です。
「もう、昼ね。日下部、食事を取りに行って」
「はあい。」
主人はエレベータで地下の食堂に向かいます。食堂に行くともうすでに、食券の販売機の前で数名、さらに配膳台に向かって十数名以上の長い列ができていました。
その列を尻目に、主人は列の側を抜け、配膳するおばちゃんに声をかけます。
「日下部でーす。」
「あっ、秘書室の方ね。ちょっと待って、汁とご飯を注ぐから」
主人はワゴンに載せられた3人前の食事を運びます。途中で列に並んでいる食品部の人に出会いました。
「おお、日下部、会長と社長の食事か。毎日、大変だな。」
「そうでもないですよ。ワゴンがあるし。」
「並ばなくていいからいいよ。」
「へへへ。いつもごくろうさんです。」
5階で、エレベータを降りると、角川さんと尾崎さんに会いました。
「毎度、ごくろうさん。」と社長の分をとりつつ尾崎さんがいいました。
「尾崎さんは、社長と食べないんですか。」
「私はちょっと・・届けるだけです。」
「歴代の秘書で、会長と差しでメシ食っているのはあんたぐらいものよ。」と角川さんが感心していいます。
「どうも、年の差もあって話が合わないし、緊張するから私は無理。日下部さんはよく平気ですね。」
「何を緊張するの。ただのエロじじいだよ。」と片目をつむり笑います。
「ばか。なんと言うことを!」と角川さんがしかりました。
主人はワゴンを押して、会長室に向かいます。
「会長、ご飯たーべましょ。」
「おお、いつもすまんな。」と新聞をたたみつつ振り向きました。
「今日は、粕汁ですよ。うまそう。」
主人は割と食い意地が張っていて、いつもうまそうに食べます。主人と一緒に食べ始めてから会長も完食するようになったとか。
「ほんとだな。粕汁といえば・・・若い頃行った。東北の旅館の女将の器量がよくてなぁ・・」
(この話、何回目だろう。またはじまった・・・)と思うのとうらはらに、ふんふんと聞いています。聞き上手です。これが、会長が主人に惚れ込む理由なんですが・・
「しかし、そんなことを僕に話していいんですか。奥さんにチクリますよ。」
「若いときの過ちさ。こんなこと元男のおまえ以外、他の秘書には話せんしな。」
「まあ、確かにそうですが・・・複雑な気分だな。」
男扱いは主人としてはうれしいのですが、他の女性秘書に話せないというのは、こんな姿になった今としてはどう考えていいのかわからない主人でした。
「昼からの予定はどうなっている?」
「昼からですか。大野製薬ですが・・あっ、もう出ないと」
尾崎さんがあわてて、飛び込んできました。
「会長、そろそろ、出ませんと。車を用意してあります。」
「そうか。」
「食器は僕が返しておきますから。会長はさっき渡した書類を忘れないでくださいよ。」
「おおこれだったな。すまんな。」
「尾崎さんは、会長を車まで頼む。」
「はい。」
この辺のチームワークはさすがです。
食器を地下食堂へ返し、階段をかけあがって、車にむかいます。会長は車に乗ろうとしていたところでした。
「会長、早く、早く」
「行ってらっしゃい。」
ここは帰りの車のです。
「男のおまえに女らしい気遣いを求めるのは無理とはわかっているけどな。もうちょっとやりようがあるだろう。もっと確認をしてなぁ。」
「はあい。気をつけます。」
何か失敗をしたようです。しょんぼりとしています。
車が着くなり、尾崎さんが血相を変えて、ドアを開けてます。
「会長、田所社長がお待ちです。」
「え、田所社長は3時からだろ。まだ、10分前だよ。」と、首をひねる主人です。
「それが、2時半に変えてもらったというんですよ。」
「そんなの聞いてないよ。」
「馬鹿者、何やっているんだ。」と怒る会長です。
「すみません。ともかく、急ぎましょう。」
しばらくして、主人が秘書室に帰ってきました。メモ帳を見ながら首をひねっています。
「おかしいな。変更の連絡うけてないんだけどな。謝ってきたけど、とうも府におちないんだよなあ。」
角川さんがにやにやしていいました。
「かわいい顔して、あんたが、謝っときゃ。丸くおさまるのよ。田所社長でしょ。あのひとは、忙しいからよく忘れるのよ。自分で時間の変更の連絡したつもりになっているじゃないの。」
「えーー。やっぱり、そうなんだ。」
「ところで、吉川部長が、戻ったら5分ほど時間がほしいといってたわよ。」
「えー、勝手だな。田所社長がきちゃったから無理ですよね。」
まあ、偉い人は無理難題を言ってくるものです。そこをうまく裁くのが秘書の仕事です。
「連絡したら?」
そう言われて主人が電話を取ると、秘書室の窓をコンコンとたたく音が・・
「日下部さん。吉川部長がきちゃいました。」
「えーー。」
主人が部長に平謝りしています。
「吉川部長、誠に申し訳ないんですが、来客が予定より早く来てしまいまして・・いや、そうなんですが。帰られたあとすぐに連絡しますので。いや、ホントにこめんなさい・・・」
部長は、苦笑いなかせら帰って行きました。確かに、かわいい顔して主人が謝やまると、丸くおさまるようです。
夕方になりました。
「会長、お茶持ってきましたよ。」
「おお、すまんな。後の予定はなんだ?」
「確か、6時から料亭での製薬連合の会合だったと思いますが・・」
「まだ、1時間あるな。新聞持ってきてくれ。」
「夕刊ならここに。」
「おっ、気が利くなぁ。女らしい気配りができるようになってきたじゃないか。」
「うれしくないなあ、男の僕としてはね。車の手配があるんで、これで失礼します。」
ここは、秘書室です。
「じゃあ。行ってきます。帰りは直帰します。」と主人が自前の鞄を持って立ち上がりました。
「遅くまで、ご苦労さんねえ。会長の足が悪くなかったら、ここまで付き合わなくて良いんだけど。」
「晩ご飯どうするの。」と尾崎さんが心配していました。
「運転手と僕の分のお弁当を料亭が用意してくれるんだ。残り物を詰めただけと言っているけどおいしいよ。」
「さすが、月ノ輪亭ねぇ。」と尾崎さんはうらやましそうです。
「すっごい金を落としているだからそのくらい安いものよ。」
そういう考えもありますが・・
満月です。竹林越しにおぼろ月が青く光っています。こんなビルの谷間にこんな緑があるのがふしぎです。主人はぼやりと夜空を眺めていました。和服の美人が声をかけてきました。
「宴会は終わってようですよ。」
「いつも、ごちそうになって、ありがとうございます。」
「いえいえ、毎度、ご贔屓にしてもらってますし。しかし、お若いのに大変ですね。遅くまでおつきあいして・・」
「仕事ですから」
酔っ払ったじいさんがでてきました。
「おおい。日下部、帰るぞ。」
「はいはい。会長、足下にきをつけて・・」
こうして、女性秘書の1日が終わりました。
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