その1
導入の詞は、平井賢さんの「思いがかさなるその前に」
ねぇ いつかキミは僕のことを忘れてしまうのかな
その時はキミに手を振って ちゃんと笑っていられるかな
ねぇ そんなことを隣でキミも思ったりするのかな
思いが重なるその前に強く手を握ろう……
〜その1〜
朝、一度目を覚ますと同時に、花雄は枕の左を確認する。
「うさこ……、おいで」
『うさこ』は花雄の手のなかに移ってくる。手の中のそれをそっと握る。
温かく乾いた弾力を掌に確認して安心してもう一度眠りにつく。
うさこの感触を掌に感じながらの、幸せな二度寝。うさこがいれば花雄は幸せだった。
うさこはタオル地の小さな縫いぐるみ、5歳のときに花雄のもとにやってきた、
というより売り場で一番の器量よしを選んで買ってもらったのだ。そしてもう25年も一緒にいる。
世界中でうさこだけが花雄の味方であり家族であり恋人だった。
◆
幸せな時間は1時間ほどで終わる。一応、花雄は勤めているから起きなくてはならない。
しかし目覚ましがなくてもここのところ起きてしまう。
ドアの向こうから聞こえる、母が父をなじる声。毎朝、この罵声で目が覚めるからだ。
昨年、定年退職した父を母は気に入らないらしい。
やれ、新聞をバサバサにしただの、皿の重ね方が悪いだの、テレビのボリュームが大きすぎるだのと難癖をつける。
長年、単身赴任をしていた父は気弱な里子のように何も口答えすることはない。
ヒステリックにどやされる声の大きさに比例するように父の聴力は衰えていった。
聴力が衰えたせいで、遠くからの呼びかけは聞こえない。
しかし、そんな事情も理解せずに母は「無視した」といってさらに怒鳴りつける。
まるで廊下の遥か彼方に後輩の姿を見つけた中学3年が「シカトかよ」と難癖をつけるようなものだ。
まったく、番長、というか家という王国の王者である母には誰も逆らえないのだ。
しかしだ。父も無神経なところがある。
あるとき花雄が父の車を借りたときに事故ッたことがあった。
優先道路を走行している花雄に、バカな大学生が側道からつっこんできたのだ。
大学生は渋滞していた対向車線に入ろうとしていた。
ポカッとスペースがあいたところに急いで入ろうとして花雄の車をまったく見ていなかったのだ。
あきらかに大学生が悪い。花雄は被害者だった。
お互いに怪我がなかったのはなによりだが、車の修理の保険負担は1:9となった。
動いている車同士の事故の場合は、どうあがいてもこれが最高なのだという。
しかし、車が修理工場から帰ってきたときに父が花雄に発した言葉は
「もうぶつけんなよ」
だった。
「俺が『ぶつけた』んじゃないだろっ!『ぶつけられた』んだろっ!」
花雄は反論した。花雄に非は1つもなかった。『ぶつけた』呼ばわりされるのは我慢がならなかった。
「……だから気をつけろって言ってるんだよ」
花雄の剣幕に驚いた父は別の言葉を使う。しかし彼にとって花雄は『子供』である。
30過ぎているとしてもそれは軽視すべき存在だった。だから謝罪も弁解もしない。
「だったら気をつけろって言えばいいじゃんっ。てか俺、安全運転してたのにあっちが突然飛び込んできたんだぜ!それをぶつけるなとは何だよ!」
自分の運転をバカにされたと感じる花雄は執拗に攻撃をする。
それでも父は、花雄が免許を取り立ての頃の自損事故のことまで持ち出して、絶対に譲らない。
自分の車を壊されたのだからつい「ぶつけるな」と言ってしまうのは理解できるとしても。
しかし「ぶつけるな」という言葉が適切ではない、と指摘されたときには
「ああ、お前は悪くなかったんだな。すまんすまん」と軽く素直に口先だけでも謝ればいいのに、絶対に非を認めない。
こういうしぶといところがあるから、いくら母にイジメられていても同情できないのだ。
今朝も原因は些細なことだろうが、母は劇嵩していた。
目覚めた花雄は手の中のうさこにそっと口づけをする。
毎日握っているのだから汗臭くなりそうなものなのに、うさこはいつも甘く乾いた匂いがする。
小さな柔らかな体は、今や黒ずみ、もとのあたたかなピンク色はどこにもない。
一番近い色は灰色といえる。地肌はほつれて中の綿さえ見えている。花雄以外にははっきりいって屑であろう。
フェルトの丸い目だけが花雄をじっと見つめる。花雄は枕元のきれいなハンカチの中にうさこを戻して体を起こした。
「……はよ」
花雄が小さく朝起きたという意味のサインを発しても怒れる母は気付かない。
怒りの火種がこちらに移らないうちに手早く支度をこなす。
テーブルにつかねばパンが食べられないが、ガミガミと怒鳴り散らす母とそれをパンを食いながら無心にやりすごそうとする父が同居するテーブルにつくのはいやだ。
さりとて、朝飯を食わずに出かけようとすれば、それをきっとうるさく咎められるだろう。
花雄は、沈んだ気持ちでテーブルについた。
パンを自分で焼き、コーヒーを注ぐ。パンは花雄の飽きまくっている食パンだ。
朝一番で、ひねた漬物のようなイーストの臭いを嗅ぐのは朝二番目の花雄の憂鬱だ。
しかし憂鬱も慣れるとあきらめの境地になってくる。
バターは脂臭いし、大量生産のジャムは果実の代わりにペクチンを食べているようなものだ。
本当は、パンを食べるなら、もう少し卵やバターで黄色くなった、クロワッサンやブリオッシュが食べたい。
そうリクエストしたら、「いくら家に入れているんだ」とまた怒鳴られた。
花雄は30歳にしてフリーターである。
ニートが出現してくれたおかげで多少、その社会的地位は上がったかもしれないが、今度は格差社会の「負け」組として登場することが多い。
……もちろん好き好んで2年もこんな暮らしをしているわけではない。
一度は勤めたことがある。就職浪人を2年してようやく入れた会社だったがそこはとてつもなく暗い職場だった。
近代的な一流企業のオフィスビルのフロア全部を使った広々とした職場には100人以上の男達が勤めていた。
しかし、その所属会社は皆まちまちだった。その一流企業に所属しているのはその20分の1ぐらいで、ほとんどは他の会社から派遣されてきているのだ。
新人だった花雄も研修が終わったぎりで、たった一人でその一流企業に派遣されてきたのだ。
花雄のOJTには他の企業から派遣されてきた先輩があたった。
隣の席には年配のプロジェクトリーダーがいた。二人ともいやに色白だった。
彼らは仕事に関してはまあ普通に教えてくれたと思う。
しかし、無駄話というのを何もしない。いや無駄話どころかロクに挨拶もしない。
信じられるだろうか。「おはようございます」も「お先に失礼します」もいわない職場というのがあるのだ。
新人の花雄は早めに会社に行く。すると音もなく始業時間までにいつのまにか両側の席に先輩がいるのだ。
また花雄がわからないところを聞こうとすると、いつのまにか忽然と消えていたり(つまり終了時間になって帰っていた)。
何より嫌だったのが、昼食の時間だった。経費節減だか何だか昼食時間になると電灯がいっせいに消される。
すると広いフロアの真ん中のほうは、本当に陽がささず、真っ暗になる。
挨拶もしないぐらいだから、誘い合っての昼食なんてものはなく、皆売りに来た弁当を各自の真っ暗な席で食べる。
ディスプレイの光だけが青白く光る暗い席で沈黙を守って食べる弁当は、例えそれ自身がいくら旨かろうとも、無味乾燥なものに思える。
謹厳で知られるボスニア・ヘルツェゴビナの修道院だって、
味わうことを禁止されすべてのもらい物を混ぜ合わせて食べるタイの托鉢僧にしたって、
ここの昼食に比べたら憩いがあるものだろうと思う。
10分で弁当を食ってしまうと、やることがないから、皆暗い机の上でつっぷして寝る。
こんな職場に3年も耐えた花雄は我ながらすごい忍耐力だと思っている
(もっとも昼休みは耐えられなくなって、外へ出て毎日のようにファーストフード店で雑誌を読んでいたのだが)。
あんな職場に人生の1/3以上も捧げることに比べたら、収入が例え半分であろうとも今のバイトのほうがましである。
しかし、独りで暮らしていたアパートは当然引き払うことになり、今は両親のもとに身を寄せている。
親には毎月3万『も』支払っている。
それは花雄の手取り平均月収の1/4にもあたる。
一応きちんと年金も健保も生保も払っている花雄にとっては痛い金額だが、それでも母は足りないと感じるらしい。