第5話 選択の結果
窓の外はあまり人通り少ないのか、コオロギの羽音が大きく響く。玄関の電灯は切れかかってるのかたまに点滅している。
橙色の光が目に刺さってズキズキと痛い。
少し俯いて、居間へ行く。
母さんの痕跡を、探さなければ。
ゼブルさんは後ろで周囲を観察している。
ふと、玄関から扉を開く音がした。
聞きなれた、硬い靴の足音。
母さんは僕を見て、少し顔を歪めた。
「か、母さん?」
しばらくいなくなると書いていたのに。一歩後ろに後ずさる。
訊きたいことが山ほどあるのに、口が酷く乾いて言葉が出ない。母さんは何かを確かめるように一歩前に出る。
「……何でここに居るの」
低い、不機嫌な声。ぞくり、と背筋が冷える。
視線が、僕から外れた。
──背後へ。
母さんの目がゆっくりと見開かれた。
「……は?」
呼吸が乱れる。
「なんで……」
次の瞬間、表情が一気に崩れた。
「お前ッ!!」
床を踏みならす音。強く床が軋む。
勢いよく距離を詰める。
「なんでここにいる!! 」
掴みかかろうと腕を振り上げる。ゼブルさんは、驚くこともなく動かない。その軌道が、僕の視界の端で、腕を振り上げるところだけ、遅く見えた。
──当たる。
そう思った瞬間。
腕がピタリと止まった。
「どうしてっ!どうしてあの人を見殺しにした!!」
止まった腕もなりふり構わず怒鳴る。
視線の先で、母さんの目が揺れていた。
見開かれた眼が涙で濡れている。
──初めて見た、泣いてるとこ。
ゼブルさんは母さんを見下すように眺めた後、嗤った。
「見殺しに?それを望んだのはあいつだ」
「例えそうだとしても助けれたでしょう!?」
「あいつは助けなんて求めてなかった。それとも君は、望みなんて無視しろと?」
「あの女に殺されるよりはマシでしょう!?」
は、とため息をつくゼブルさん。その口は不快げに歪んでいた。
「君は、つまらないな。……アオと違って 」
そう言い捨てて、母さんの顔を覗き込むゼブルさん。
感情のこもってない平坦な声。
それなのに、冷たい汗がつたう。
「君もまた──普通なんだね。望みの否定で、人を歪ませることを知らない」
「歪ませる!?あの人は、いつだって望みなんて言わなかった!!っお前に、何がわかる!?」
「少なくとも、アイツは──最後まで後悔なんてしてなかった。はは、君とは大違いだ」
母さんは振り上げた腕を下ろして、沈黙する。ずっと視線は鋭いまま。
僕は、かろうじて出た声でゼブルさんに問う。
「っあの、ゼブルさん。ゼブルさんの言うアイツって…最近死んだあの社長、ですよね?母さんが関わってるのを知ってて僕に近づいたんですか…?」
「…いや、君に興味を惹かれたから。それだけだ」
母さんは、ハッと気がついたように僕を見る。
「…アオ、お前はどうしていつも面倒事を連れてくるんだ!?」
矛先が、僕に向く。今度は、僕に詰め寄ってくる母さん。
心臓が、飛び跳ねた。手が氷に浸したように震える。
「いつもいつも、役たたずで!!なんで、お前があの悪魔と居る!?」
役たたず。いつも、母さんは僕に「不要」のレッテルを貼る。
「っゼブルさんが、突然現れたんですよ!」
「っその敬語はなんだよ!?舐めた態度でッ!!」
いきり立った、母さん。再度、下ろした腕がふり上がる。
──また、殴られる?
抵抗したら母さんは、きっと僕を捨てる。
僕は、どうせ発散道具だから。
だから。
抵抗をしないで、ただ目を瞑る。
ふと、前の記憶を思い出す。
──それを"帰る場所"と呼ぶのは都合がいい。
──ただ、壊せることは覚えておくといい。
なら、この関係を壊してしまったらどうなるのだろう。
僕は、独り?
でも、ゼブルさんがいる。
なら。
僕は、振り上げられた腕を振り払う。
母さんの見開かれた目。腕を掴んで、母さんに詰め寄る。
恐怖で、瞳孔が広がっている。
喉が引きつって、くぐもった声で笑う。
久しぶりに笑った気がした。
「僕は、あなたの道具じゃない」
「ッ…ぃた」
母さんは、口を歪ませて訴える。掴んでいた手を離すと、腕が手の形に真っ赤になっていた。
「……母さんは、あの社長って人と何か関係あるんですか。
今日、警察が来ましたよ」
胸にのしかかるように感じた重石が、増える。なのに、不快じゃなかった。
まるで、手のひらに乗ったアリを見つめているみたいに。
手先は震えているのに、いつもより動かしやすい。
「…ただ、あの人を少し懲らしめようとしただけだ。あの女が、勝手に」
「あの女って、丸山夜さんって人ですよね。じゃあ、母さんはそれを手伝ったわけだ」
「……お前は、お前だけは私を理解してくれると思ってたけど…違ったんだな」
自嘲気味に笑って、目を逸らした。母さんは横を通り過ぎて、荷物を片付け始める。
「母さんは、丸山さんが社長を殺すのを知ってて手伝ったんですか」
「いや…知らなかった。ただ、懲らしめてやりたかっただけだ。女遊びをやめない社長…ヒロを、反省させたかった」
「そうですか…でも母さん、それって犯罪になるんですよ」
「は?」
母さんは、固まって僕を凝視する。顔が、少しずつ青くなっている。
「母さんは、例え知らなかったとしても殺人に加担した。捕まって然るべきですよね」
わなわな、と口が震えている。
「私を、見捨てるのか」
「今更どの口が…」
ゼブルさんは、無言で僕たちを見つめる。どうなるのか、観察しているのだろう。
今は、それが僕を少し心を穏やかにさせた。
「やめ、やめてくれ」
「母さんが言ったこと覚えてますか?
──悪いことはやめさせなさい、って。
悪いことをした人は裁かれるべきだって」
母さんは、僕にすがりつく。青ざめた顔で、懇願する。
母さんを、怖いとはもう思わなかった。ただ、
──馬鹿みたい。
そう、思った。
僕はスマホを手に取って、番号を押す。
110。
もう、見捨てていこう。




