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虚空のレクイエム ―絶望の魔法世界で、少女は機械の記憶を歌う―  作者: 畠山ゆな@姉弟で小説共作✏️
三種の不協和音と、鏡合わせの影

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9/13

奏の憤り:理不尽な排斥



 図書館で手紙を読んだ翌日から、カナリアの中で何かが変わった。


 うまく言葉にはできない。でも、ゼノビアの街を歩く足取りが、少し違った。昨日までは、理不尽な光景を見るたびに胸が重くなるだけだった。今日は、その重さの中に、何か芯のようなものが通っている気がした。


 両親が信じていたものを、自分も信じたい。


 それだけだった。




 変化が現れたのは、午前中のことだった。


 市場の外れで、人だかりができていた。


 覗いてみると、中心に海鱗族の老人がいた。行商人らしく、小さな荷台に色とりどりの薬草や貝殻を並べていた。その前に、天人族の男が三人、立ちはだかっていた。


「この区画での行商は禁止だ」


「そのような規則は——」


「先月から施行された。知らなかったとは言わせない」


 老人は困惑した顔で荷台を見た。今日一日分の商いが、そこにある。


「荷物を置いていけ。没収する」


「待ってください」


 カナリアは前に出た。


 男たちが振り返る。またお前か、という顔をした一人が、露骨に眉をひそめた。


「その規則、どこに書いてありますか」


「……何?」


「先月から施行されたなら、告知があったはずです。どこに掲示されていましたか」


 男たちが顔を見合わせた。


「そんなものいちいち——」


「ないんですね」


 カナリアは静かに言った。


「規則があるなら、全員が知れる形で示すべきです。知らせずに没収するのは、規則じゃなくて、ただの言いがかりだと思います」


 沈黙が落ちた。


 周囲の人たちが、様子を窺っていた。天人族も、獣牙族も、みんな遠巻きに見ている。


 男の一人が、一歩前に出た。


「お前、いい加減にしろよ。毎回毎回——」


「毎回って、ことは」


 カナリアは引かなかった。


「こういうことが、毎回起きてるってことですよね」


 男の顔が、赤くなった。




 結局、男たちは荷物を没収せずに去った。


 老人がカナリアに頭を下げた。


「ありがとう、お嬢さん」


「いえ。でも、明日も同じことが起きるかもしれません」


「わかっています」


 老人は静かに笑った。


「でも、今日は助かった。それで十分です」


 その言葉が、胸に刺さった。


 今日だけでいい。今日、助かれば。


 その諦観が、この街の人たちの日常なのだと、改めて思い知った。




 午後、カイルと共に獣牙族の居住区を歩いていた時、子供の泣き声が聞こえた。


 路地を入ると、先日のタオがいた。


 地面に座り込んで、膝を抱えている。顔に、泥がついていた。


「タオ」


 カナリアがしゃがむと、タオは顔を上げた。目が赤い。


「どうしたの」


「……学校」


 タオは掠れた声で言った。


「学校で、天人族の子に言われた。獣牙族は、この街にいるべきじゃないって」


 カナリアは、すぐには言葉が出なかった。


「先生は?」


「聞こえてたけど、何も言わなかった」


 見て見ぬふりをした。


 その事実が、じわりと胸に広がった。


「わたし、何か悪いことしたのかな」


 タオが小さく言った。


「獣牙族に生まれたのって、悪いことなのかな」




 カナリアは、タオの顔を正面から見た。


 泥だらけで、目を腫らした子供。でも、その目の奥に、まだ答えを求めている光があった。


「違う」


 はっきり言った。


「タオは何も悪くない。生まれた種族は、誰かに決められるものじゃない。それで誰かを傷つけていいわけがない」


「でも、みんなそう言う」


「みんながそう言うから、正しいわけじゃない」


 タオは、じっとカナリアを見た。


「……本当に?」


「本当に」


 カナリアは迷わず答えた。


 タオが、唇を噛んだ。それから、こくりと頷いた。泣くのを、堪えている顔だった。




 タオを家まで送った帰り道、カイルが静かに言った。


「お前、最近止まれなくなってるな」


「……うん」


「止まれない理由は、わかってるか」


 カナリアは少し考えてから、答えた。


「わかってる気がする」


「言えるか」


「……タオみたいな子を見ると、昔の自分みたいだって思う」


 口に出してから、少し驚いた。自分でも、はっきり言葉にしたのは初めてだった。


「記憶はない。でも、あの子の顔を見ると、胸が痛い。それって、多分——」


「同じ痛みを知ってるから」


 カイルが言葉を継いだ。


「そうだと思う」


 カナリアは頷いた。




 夕方、一つの噂を耳にした。


 明日、海鱗族の一家が東区画から退去させられるという。


 居住の許可が突然取り消されたらしい。理由は「手続きの不備」。でも、同じ不備が天人族にあっても、取り消されたことはないと、獣牙族の宿の主人が憤慨していた。


「十年以上、この街に住んでる一家だよ。子供もいる。なのに、急に」


 カナリアは、宿の主人の話を聞きながら、拳を握った。


「その一家は今、どこに」


「東区画の南端。でも、明日の朝には出ていけって言われてるらしい」




 カイルが、カナリアの顔を見た。


「行くのか」


「行かないといけない気がする」


「立場が危うくなるぞ。お前はまだ、この街での立ち位置が定まってない」


「わかってる」


「それでも?」


 カナリアは、少し考えた。


 手紙の言葉が、頭をよぎった。


 ——あなたが誰かのために立ち上がる時、初めて本当の詞になります。


「行く」


 カイルは、一拍置いてから頷いた。


「わかった。俺も行く」




 南端の一角に着くと、すでに人が集まっていた。


 海鱗族の一家が、荷物をまとめて外に出されていた。母親と、小さな子供が二人。父親は仕事で不在らしかった。


 天人族の役人が二人、書類を手に立っている。


「規定通りの手続きです。異議があれば、帝国の窓口へ」


 母親が、震える声で言った。


「窓口へ行きました。でも、取り合ってもらえなかった」


「それはこちらの管轄ではありません」


 子供が、母親の服を掴んでいた。何が起きているかわからない顔で、ただ怖くて、母親に縋っている。


 カナリアは前に出た。


「少し、話を聞かせてください」


 役人が振り返った。また旅人か、という顔をした。


「手続きの不備とは、具体的にどの部分ですか」


「書類の——」


「同じ不備が、天人族の居住者にあった場合も、取り消しになりますか」


 役人が口を閉じた。


「それは——」


「答えられないなら、不備ではなく、種族を理由にした排除だということになりますよね」


 周囲が静まり返った。


 役人の顔が、こわばった。


「……貴様、何者だ」


「ただの旅人です」


 カナリアは真っ直ぐ見返した。


「でも、間違ってることは間違ってると言います」




 沈黙が続いた。


 役人たちが何か小声で話し合っている。周囲の住民たちが、遠巻きに見ている。


 その時だった。


 群衆の中から、声が上がった。


「旅人の言う通りだ」


 獣牙族の中年男性だった。


「十年以上、この街にいる一家だ。手続きの不備なんて、聞いたことがない」


 別の声が続いた。


「急すぎる。おかしい」


 一つ、また一つと、声が重なった。天人族の声も、混じっていた。


 役人たちが、明らかに動揺していた。




 結局、その日の退去は取り消された。


 正式な異議申し立てが認められる形で、手続きが保留になった。


 永続的な解決ではない。明日また、別の形で同じことが起きるかもしれない。でも、今日は止められた。


 海鱗族の母親が、カナリアの手を取った。


「ありがとう」


 琥珀色の瞳が、潤んでいた。


「あなたは、なぜ見知らぬ私たちのために」


「見知らぬ人でも、おかしいことはおかしいから」


 母親は、少し驚いた顔をした。それから、静かに笑った。


「あなたみたいな人が、この街にいてくれてよかった」




 帰り道、カナリアは無言だった。


 カイルも、何も言わなかった。


 宿に戻って、ルニを抱えた。毛並みを撫でると、ルニが目を細めた。


 今日だけで、何度怒りを感じただろう。何度、やるせなさで胸が詰まっただろう。


 でも同時に、何度も確かめた気がした。


 ——間違ってることは、間違ってる。


 それだけは、ぶれなかった。




 夜、窓の外を見ながら、カナリアはぽつりと言った。


「お母さんたちも、こうやって動いてたのかな」


「多分な」


 カイルが答えた。


「で、どうだった。今日」


「疲れた」


 正直に言うと、カイルが小さく笑った。


「そうだろうな」


「でも、やめたいとは思わなかった」


 ルニが、胸の中で鳴いた。


 カナリアは窓の外の星を見上げた。


 明日も、同じような一日かもしれない。変えられることより、変えられないことの方が多いかもしれない。


 それでも。


 ——一人でいい。今日、一人が救われたなら。


 カイルの言葉が、今日は自分の言葉みたいに感じた。


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