古代図書館の秘密:両親の遺言
古代図書館は、聖都の中心部にあった。
天人族の居住区を抜けた先、白い石畳の広場の奥に、他の建物とは明らかに異質な建物がそびえていた。周囲の白亜の建物と違って、壁は古びた灰色の石で作られている。蔦が絡まり、窓には魔法陣が刻まれていた。
大きい。ゼノビアで一番大きな建物かもしれない。
「入れるのかな」
「一般公開されてるはずだ。ただ——」
カイルが入り口を示した。
扉の前に、天人族の係員が二人立っていた。利用者の種族を確認するように、入ってくる人間を順番に止めている。天人族はすんなり通している。でも、獣牙族の男が前に進もうとした瞬間、係員の一人が手を上げた。
「獣牙族の閲覧は、東館のみだ」
「東館に、古代文書はあるか」
「ない」
男は無言で踵を返した。
カナリアは、その背中を見送った。
「わたしは?」
「……どうだろうな。お前の種族は、見た目じゃわからない」
カイルは考えてから言った。
「俺は東館で待つ。お前だけで入れるか試してみろ」
「一人で?」
「ルニを連れていけ。何かあれば、すぐ出てこい」
カナリアは頷いた。
ルニを肩に乗せて、入り口へ向かった。
係員がカナリアを見た。
値踏みするような目だったけれど、昨日の商人みたいな露骨な敵意はなかった。
「種族は」
「……旅人です。種族は、わかりません」
係員が眉を上げた。
「わからない?」
「記憶がないので」
沈黙が数秒続いた。係員が互いに顔を見合わせた。
「……まあいい。変なものは持ち込むな。書物に触れる際は係員の許可を取れ」
あっさりと通してもらえた。
振り返ると、カイルが遠くから小さく頷いた。
中に入った瞬間、息を呑んだ。
天井が、高い。
吹き抜けの空間に、本棚が何層にも重なっている。螺旋状の回廊が上へ上へと続いていて、最上階は霞んで見えない。棚に並ぶ書物の背表紙が、魔法の光でうっすらと輝いていた。
静かだった。
人はいる。でも、誰も喋らない。ページをめくる音だけが、広い空間に静かに満ちている。
ルニが、キョロキョロと首を動かした。
「すごいね」
小声で言うと、ルニが同意するように鳴いた。声が小さく反響した。
何から調べればいいか、最初はわからなかった。
長老には「両親のことを知るために図書館へ行け」と言われた。伝説の賢者と剣豪。その二人の記録が、ここにあるはずだと。
館内の案内板を見つけて、歴史資料の棚を探した。
三階の奥まった一角に、古代史の資料が集まっていた。羊皮紙を綴じた書物、石板に刻まれた文字、魔法で保存された巻物。
「龍脈」という言葉を手がかりに、棚を端から確認していく。
ルニが何度か、特定の背表紙に鼻先を向けた。その本を抜き出すと、確かに関係のある記述が見つかった。
「……ルニ、もしかして読めるの?」
ルニは澄ました顔をした。
一時間ほど調べて、一冊の書物を見つけた。
他の本より、明らかに古い。表紙に刻まれた文字は、今の共通語とは少し違う書体だった。でも、読める。
『龍脈の守護者たちへ——失われた共鳴の記録』
そっと開いた。
最初の数ページは、龍脈の仕組みについての解説だった。三種族それぞれの魔力の性質、龍脈との接続方法、かつて世界中に張り巡らされていた魔力の網。
読み進めるほど、胸が重くなった。
龍脈は、かつてこんなにも豊かだったのか。それが今は、枯渇しかけている。
中ほどのページに差し掛かった時、手が止まった。
挿絵があった。
二人の人物が描かれていた。一人は本を抱えた女性。もう一人は剣を帯びた男性。二人は並んで立っていて、その足元には小さな子供がいた。
子供は、両手で何かを抱えていた。
卵だった。
白銀の卵。
——これ。
鼓動が速くなった。
挿絵の下に、細かい文字で注釈が書かれていた。
『大賢者セラ・カナエと、剣豪リュウ・ナギ。二人の間に生まれた子は、三種族の魔力すべてを統合する「詞の継承者」とされる。子の名は——カナリア』
しばらく、動けなかった。
文字を何度も読み返した。三回、四回、五回。
セラ・カナエ。リュウ・ナギ。
その名前が、頭の中で反響した。記憶はない。でも、その音の並びに、どこか懐かしいような感触があった。
「……お母さん、お父さん」
声に出したら、喉が詰まった。
ルニが、そっと頬に頭を擦り付けてきた。
もっと読み進めた。
後半のページは、二人の活動の記録だった。
セラは、三種族が共存していた時代の証拠を探し続けていた。かつて龍脈が満ちていた頃、天人族も獣牙族も海鱗族も、力を合わせて龍脈を管理していたという記録が、どこかに残っているはずだと。
リュウは、その調査を守るように、各地を旅していた。
二人は、ゼノビアの古代図書館に何度も足を運んでいた。まさに、今カナリアがいるこの場所に。
そして——最後の記録に、手が止まった。
『セラとリュウが消えた。帝国の記録には「事故死」とあるが、目撃者の証言は異なる。二人は、三種族共存の証拠を発見し、それを帝国に提出しようとしていたという。その直後に、姿を消した』
証拠を発見した。帝国に提出しようとした。そして、消えた。
——殺された。
その言葉が、頭の中に浮かんだ。
怒り、ではなかった。
悲しみ、でもなかった。
もっと冷たい、静かな確信だった。
書物を閉じて、しばらく棚の前に立っていた。
ルニが、カナリアの膝に降りてきた。毛並みが、少し震えている気がした。
——お父さんとお母さんは、同じことをしようとして、消えた。
そして今、自分はここにいる。
偶然じゃない気がした。
この世界に転生したこと。バルガ村に現れたこと。ゼノビアに来たこと。そしてこの図書館で、この書物を見つけたこと。
全部が、繋がっている気がした。
もう一度、棚を確認した。
関連する書物が、もう一冊だけあった。薄い冊子で、表紙に手書きの文字が走っていた。
筆跡が、他の書物と違う。印刷ではなく、手書きだ。
開いた瞬間、息が止まった。
書き出しの一行に、こう書いてあった。
『カナリアへ。いつかあなたがこれを読む日のために』
手が、震えた。
一字一句、噛み締めながら読んだ。
母セラの文字だと、なぜかわかった。癖のある、でも丁寧な文字。
『あなたがこれを読んでいるなら、きっと記憶を失ってこの世界に戻ってきたのでしょう。ごめんなさい。あなたを守るために、そうするしかなかった』
続きを読む。
『世界は今、分断されています。でもかつて、三種族は一つでした。その証拠を、私たちは見つけました。でも、それを守るために、あなたを手放すことになりました』
ページをめくる手が、止まらなかった。
『あなたには、三種族の魔力を繋ぐ力があります。でも、その力は怒りや悲しみからは生まれません。あなたが誰かを想う時、誰かのために立ち上がる時、初めて本当の詞になります』
最後のページ。
『孤独を感じる時、覚えていてください。あなたはずっと、愛されていました。それだけは、どんなに記憶が失われても、消えることはありません』
閉じた。
目を閉じた。
涙は、出なかった。出し方がわからなかった。
ただ、胸の中で何かが動いた。ずっと凍りついていた何かが、ほんの少しだけ溶け始めるような感覚。
ルニが、静かに胸に飛び込んできた。
強く、抱きしめた。
図書館を出たら、カイルが東館の前で待っていた。
カナリアの顔を見て、何かを察したのだろう。何も聞かなかった。
ただ、隣を歩いてくれた。
夕暮れの石畳を、三人で歩いた。
しばらく経ってから、カナリアは口を開いた。
「お父さんとお母さんの手紙が、あった」
「……そうか」
「ふたりは、三種族が共存できるって信じてた。その証拠を守ろうとして、消えた」
カイルは何も言わなかった。
「わたし、やっぱり行かないといけないんだと思う。もっと先へ」
「知ってた」
カイルは、真っ直ぐ前を向いたまま言った。
「お前は最初から、そういう顔をしてた」
夜、宿の窓から星を見上げた。
手紙の最後の言葉が、頭の中で繰り返されていた。
——あなたはずっと、愛されていました。
記憶はない。でも今夜だけは、その言葉を信じてもいい気がした。
ルニが肩に乗ってきた。
その毛並みは、今日一番、白く輝いていた。




