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虚空のレクイエム ―絶望の魔法世界で、少女は機械の記憶を歌う―  作者: 畠山ゆな@姉弟で小説共作✏️
三種の不協和音と、鏡合わせの影

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ルニの変容:心の鏡



 ゼノビアに来て、三日が経った。


 カナリアは毎朝、カイルと共に都市を歩き回っていた。古代図書館の場所を探すためだ。両親のことを知るには、まずそこへ行く必要があると、長老から聞いていた。


 でも、それと同時に——もう一つ、気になっていることがあった。


 ルニのことだ。




 最初に気づいたのは、ゼノビアに着いた翌朝だった。


 起き上がって、ルニを見たら、毛並みの色が少し変わっていた。


 白銀だったはずが、根元のあたりがわずかに曇っている。光の加減かと思った。でも、次の日も、その次の日も、同じだった。むしろ、少しずつ範囲が広がっている気がした。


「ルニ、大丈夫?」


 問いかけると、ルニはいつも通り鳴いた。元気そうに見える。食欲もある。でも、毛並みの曇りだけが、日に日に濃くなっていった。




 四日目の朝、カイルがそれに気づいた。


「ルニの色、変わってないか」


「……うん」


「いつから」


「ゼノビアに来てから」


 カイルは少し考える顔をした。


「守護生物は、主の心とリンクしている。体の変化は、主の内側の変化を映す」


「つまり」


「お前の心が、何かに影響を受けてるってことだ」


 カナリアは、ルニを見た。


 曇った毛並みが、朝の光の中でくすんで見えた。


 ——わたしの、心。




 心当たりは、あった。


 ゼノビアの街を歩くたびに、見てしまう。獣牙族が端に追いやられる光景を。海鱗族が目を伏せる瞬間を。天人族が当然の顔で誰かを見下す場面を。


 そのたびに、胸の奥で何かが揺れる。


 怒り、というより、もっとじっとりとした感情。やるせなさ、とでも言えばいいのか。どうにもできない、という無力感。


 声を上げたいのに、上げても何も変わらない気がする。変えたいのに、変えられる気がしない。


 ——わたしに、何ができるんだろう。


 その問いが、ここ数日、ずっと頭の中をぐるぐるしていた。




 五日目の夕方、事件が起きた。


 市場で買い物をしていた時だった。


 海鱗族の女性が、天人族の商人と揉めていた。


「品物を返せ」


「支払いは済んでいます」


「済んでいない。お前たちの貨幣は、ここでは通用しない」


「そんな話は聞いていません」


「だから海鱗族は——」


 商人が言いかけた瞬間、カナリアは動いていた。


「待ってください」


 割り込む。商人が振り返って、舌打ちをした。


「またお前か。旅人は引っ込んでろ」


「この方の貨幣は、昨日まで普通に使えていました。急に使えなくなるのは、おかしくないですか」


「規則が変わった。それだけだ」


「いつ変わったんですか。どこに告知がありましたか」


 商人の顔が、赤くなった。


「……お前、うるさいな」


「事実を聞いているだけです」


 にらみ合いが続いた。周囲の人たちが、遠巻きに見ている。誰も助けに来ない。でも、誰も立ち去りもしない。


 商人は最終的に、舌打ちをしてその場を去った。




 海鱗族の女性が、カナリアを見た。


 綺麗な目だった。琥珀色の瞳。でも、その奥に、疑うような光があった。


「……なぜ、助けた」


「おかしいと思ったから」


「私たちのことを知らないだろう」


「知らなくても、おかしいことはおかしいです」


 女性はしばらくカナリアを見ていた。それから、小さく息を吐いた。


「……ありがとう」


 それだけ言って、歩き去った。


 振り返りはしなかった。でも、去り際の背中が、少しだけ違う気がした。さっきより、肩が下がっていた。




 宿に戻ってから、カナリアはルニを膝に乗せた。


 毛並みを撫でながら、今日のことを思い返した。


 商人を言い負かした、という達成感はなかった。むしろ、じっとりとした疲れが残っていた。あの女性の「なぜ助けた」という言葉が、頭に引っかかっていた。


 ——なぜって、なぜだろう。


 当たり前のことをしただけだと思っていた。でも、この街では、それが当たり前じゃない。


 ——わたしは、何がしたいんだろう。


 ルニが、カナリアの手に頭を乗せた。


 見ると、毛並みの曇りが、また少し濃くなっていた。




「ルニ」


 カナリアは、ルニと目を合わせた。


 金色の瞳が、真っ直ぐにこちらを見ている。


「わたし、最近どんな顔してる?」


 ルニは鳴かなかった。ただ、じっと見ていた。


 その目を見ていたら、なんとなく、わかった気がした。


 ——暗い顔、してるんだろうな。


 毎日、理不尽を見ている。毎日、何かに抗っている。毎日、それでも変わらない現実を突きつけられている。


 疲れていた。


 認めたくなかったけれど、疲れていた。


 ——わたしが疲れると、ルニも曇るんだ。


 ルニは分身だ。カナリアの心が形になった存在。だから、カナリアの内側が揺らぐと、ルニの体にそれが出る。


 ——ごめんね、ルニ。


 心の中で言うと、ルニが頬に擦り寄ってきた。




 その夜、カイルが珍しく、自分の話をした。


 焚き火——といっても、宿の小さな暖炉だったけれど——を眺めながら、ぽつりと言った。


「俺も、最初にゼノビアに来た時、こんな感じだった」


「こんな感じ?」


「毎日腹が立って、毎日やるせなくて、毎日何もできない自分が嫌だった」


 カナリアは黙って聞いた。


「ルナの毛並みも、変わったよ。お前のルニみたいに」


 カイルの肩で、ルナが耳をぴくりと動かした。


「どうやって、立ち直ったの」


「立ち直った、ってわけじゃない」


 カイルは少し考えてから、続けた。


「ただ、全部を一人で変えようとするのをやめた。それだけだ」


「……全部を、一人で」


「お前、毎日誰かのために動いてるだろ。止まれないみたいに」


 図星だった。


「それ、自分のためじゃなくて、何かから逃げるためにやってないか」


 カナリアは、すぐには答えられなかった。




 何かから逃げている。


 その言葉が、夜の間ずっと頭に残った。


 眠れないまま天井を見つめて、考えた。


 ——わたしは、何から逃げてる?


 誰かを助けることで、何かを忘れようとしている?


 動き続けることで、立ち止まらないようにしている?


 立ち止まったら、何が見えてくるんだろう。


 ——自分が、怖い。


 その答えが浮かんだ瞬間、胸の奥がきゅっと締まった。


 自分の内側を見ることが、怖い。何も覚えていない自分。どこから来たのかわからない自分。本当は誰なのかも、まだわかっていない自分。


 それを直視するのが、怖かった。




 夜明け前、ルニが目を覚ました。


 カナリアの胸の上に乗ってきて、金色の瞳でじっと見つめた。


「……起こしてごめん」


 ルニは鳴かなかった。ただ、翼を少し広げて、カナリアの胸に体を預けてきた。


 温かかった。


 その温もりに、何かが緩んだ。


「ルニは、わたしの全部を見てるんだよね」


 呟くと、ルニがかすかに鳴いた。


「暗い部分も、弱い部分も、全部」


 また、鳴いた。


「それでも、ここにいてくれるの?」


 今度は鳴かなかった。ただ、もう少し深く、体を預けてきた。


 ——いるよ、って言ってる。


 そう感じた瞬間、目の奥が熱くなった。


 泣かなかった。でも、ずっと張り詰めていた何かが、少しだけ緩んだ。




 翌朝、ルニの毛並みを見た。


 完全には戻っていなかった。でも、昨日より、少しだけ白かった。


 カイルがそれに気づいて、何も言わずに頷いた。


 カナリアも、何も言わなかった。


 でも、今日は昨日より、少し軽い足取りで宿を出ることができた。



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