聖都ゼノビアの「種族格差」
聖都ゼノビアが見えてきたのは、旅立ちから五日目の昼過ぎだった。
丘の上に出た瞬間、カナリアは思わず足を止めた。
大きい。
想像していたより、ずっと大きかった。白い石造りの建物が、緩やかな斜面に沿って幾重にも重なり、頂上には巨大な尖塔がそびえている。遠目にも、その尖塔が淡く光を放っているのがわかった。魔力の光だ。
「すごい……」
「初めて見る者は、みんなそう言う」
カイルの声は、どこか乾いていた。
「でも、中に入ればわかる。あの白さは、表面だけだ」
城門をくぐった瞬間、空気が変わった。
人が多い。石畳の大通りに、様々な種族が行き交っている。天人族の白い鎧、獣牙族の厚い外套、そして——鱗のような肌を持つ、見たことのない種族も。
「海鱗族だ」
カイルが小声で教えてくれた。
「歌声で魔力を操る。普段は外界と交流しないが、ゼノビアには各地から人が集まるから、たまに見かける」
海鱗族の女性が、こちらを一瞥した。綺麗な目だった。でも、すぐに視線を逸らした。
挨拶はなかった。
大通りを歩くほど、カナリアは妙な感覚を覚えていた。
人が多いのに、誰も誰かと話していない。
天人族は天人族だけで固まっている。獣牙族は端の方を歩いている。海鱗族はさらにその外側、まるで壁に沿うように移動していた。
混ざっていない。
同じ場所にいるのに、完全に分断されている。
「ねえ、カイル」
「見ての通りだ」
聞く前に答えが返ってきた。
「ゼノビアは、一応すべての種族に開かれた都市ってことになってる。でも、実態は違う」
カイルは顎で大通りの先を示した。
「あの区画が見えるか。白い建物が並んでるところ」
「うん」
「天人族の居住区だ。上等な宿も、いい食堂も、魔導具の店も、全部あそこに集まってる」
「じゃあ、獣牙族は」
「東の端。建物は古くて、道は狭い。でも、まあ、住める」
淡々とした言い方だった。怒っているわけじゃない。ただ、ずっとそういうものだと知っている人の言い方。
その声が、胸に刺さった。
宿を探して東区画に向かう途中、路地で声が聞こえた。
怒鳴り声だった。
角を曲がると、天人族の男が二人、獣牙族の少年に詰め寄っていた。少年は十歳くらいだろうか。壁際に追い詰められて、俯いている。
「この区画に獣牙族が来るな。臭い」
「市場で俺の荷物に触れただろう。弁償しろ」
「で、でも、ぶつかったのは——」
「言い訳するな」
男の手が、少年の胸倉を掴んだ。
カナリアの足が、勝手に動いた。
「やめてください」
声が出た。三人が振り返る。
「この子が何をしたんですか」
天人族の男が、カナリアを上から下まで見た。
「何者だ、お前」
「関係ないです。でも、子供をそんな風に扱うのは——」
「黙れ」
男が鼻で笑った。
「旅人か。ゼノビアの事情を知らないなら口を出すな。ここでは、これが普通だ」
普通。
その言葉が、頭の中で反響した。
——普通って、何。
「普通だから、正しいわけじゃない」
気づいたら、言っていた。
男の目が細くなった。一触即発の空気が流れた。
その時、カイルがカナリアの隣に並んだ。
何も言わなかった。ただ、立っているだけ。でも、その存在感だけで、男たちの表情が変わった。
獣牙族の青年が、本気で怒ったら厄介だ。そう判断したのだろう。男たちは舌打ちをして、立ち去った。
少年が、おずおずと顔を上げた。
目が赤かった。泣くのを、ずっと堪えていたのだろう。
「大丈夫?」
カナリアがしゃがんで目線を合わせると、少年は小さく頷いた。
「……ありがとう」
「名前は?」
「タオ」
「ここに住んでるの?」
「お母さんと。東区画に」
タオはルニをちらりと見て、目を丸くした。
「その子、なに?」
「ルニ。わたしの相棒」
ルニが愛想よく近づくと、タオは恐る恐る手を伸ばした。ルニが頭を擦り付ける。タオの表情が、少しだけ緩んだ。
タオと別れた後、カイルが静かに言った。
「毎日あんな感じだ。ゼノビアでは」
「……なんで、誰も止めないの」
「止めたら、次は自分がやられる。みんな知ってるから、見て見ぬふりをする」
カナリアは、大通りを見渡した。
さっきまでと同じ光景だ。人が行き交い、市場は賑わっている。でも今は、その賑わいの下にあるものが見えた気がした。
誰かが俯いている。誰かが端に追いやられている。誰かが、見て見ぬふりをしている。
——知ってる、この感じ。
胸の古い傷が、じくりと疼いた。
ルニが、カナリアの頬に額を押し当ててきた。
「わかってる」
小声で言うと、ルニが鼻を鳴らした。
宿に落ち着いたのは、夕暮れ時だった。
東区画の古い宿屋。建物は古いけれど、宿の主人は気のいい獣牙族の女性で、夕食に温かいスープを出してくれた。
カナリアは窓の外を見ながら、スープを口に運んだ。
夕日に染まった聖都が、遠くで輝いている。白い尖塔が、橙色に光っている。綺麗だった。本当に、綺麗だった。
でも。
「ねえ、カイル」
「なんだ」
「この都市を、変えることはできるのかな」
カイルは少し考えてから、答えた。
「難しい。長年積み重なってきたものだから」
「そうだよね」
「でも」
カイルはスープに目を落としたまま、続けた。
「今日、お前が路地で声を上げた。それで、タオは助かった」
「……うん」
「一人でいい。一人が救われるなら、意味はある」
その言葉が、静かに胸に落ちた。
ルニが膝の上で丸くなった。温かかった。
その夜、カナリアは眠れなかった。
天井を見つめながら、今日見た光景を思い返していた。分断された大通り。路地の少年。見て見ぬふりをする人たち。
そして——あの、「普通だ」という言葉。
普通だから、正しい。
その論理が、どこか遠い記憶の中にもあった気がした。記憶はない。でも、確かにあった気がする。
——わたしも、そう言われたんだろうか。
答えは出なかった。
ただ、一つだけはっきりしていることがあった。
——それでも、間違ってると思う。
ルニが寝息を立てている。
カナリアは目を閉じた。
明日も、この都市で生きていかなければならない。何かを変えられるかどうかは、わからない。でも、見て見ぬふりだけは——したくなかった。




