銀のカナリア、旅立ちの空
あの夜から、村の空気が変わった。
変わった、というより——動き始めた、という感じだった。
帝国の部隊が撤退したことは、すぐに近隣の集落へ伝わった。辺境の小さな村が、帝国将校を退けた。それも、記憶を失った見知らぬ少女の力で。
噂は、カナリアが思うより早く広がっていった。
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長老が床から起き上がったのは、翌朝のことだった。
顔色はまだ優れなかったけれど、目には力が戻っていた。カナリアの前に座って、ルニをしばらく静かに見つめた。
「白銀のルニか」
長老の声が、かすかに震えた。
「伝説の賢者と剣豪の娘。本当に、生きていたのだね」
「……どういうことですか」
カナリアは聞いた。
長老は一呼吸置いてから、静かに語り始めた。
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この世界にはかつて、二人の英雄がいた。
一人は、すべての魔法を解析し、体系化した大賢者。もう一人は、三種族の間を渡り歩き、誰よりも多くの命を救った剣豪。
二人は出会い、愛し合い、一人の子供を授かった。
しかしその子供は、生まれてすぐに機械文明の世界へと送られた。世界の歪みから守るために。
「その子供の名が——カナリア」
長老の目が、真っ直ぐカナリアを見ていた。
「あなたの両親は、この世界を救おうとして、命を落とした。そしてあなたは、別の世界で生き続けた」
カナリアは、すぐには言葉が出なかった。
両親がいた。自分を守るために、別の世界へ送り出した人たちが。
胸の奥で、何かが揺れた。悲しみとも、温もりとも、うまく分類できない感情。
「……わたしに、何ができるんですか」
「龍脈を、再び動かすことができる」
長老は迷いなく言った。
「あなたの詞には、すべての種族の魔力を繋ぎ合わせる力がある。昨夜の白銀の炎が、その証だ」
ルニが、カナリアの膝の上で静かに目を閉じた。
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その日の午後、カナリアはカイルと村の外れに座っていた。
遠くに、聖都ゼノビアの方角がある。地平線の向こう、霞んだ山並みの先に。
「行くのか」
カイルが聞いた。
「……行かないといけない気がする」
カナリアは正直に答えた。
「理由はうまく言えない。でも、このままここにいたら、また同じことが起きる。ゼクスが戻ってくる。村のみんなが、また苦しむ」
「それはそうだ」
「わたしの力が、何かの役に立つなら——使いたい」
ルニが翼をぱたぱたと動かした。同意しているみたいに。
カイルはしばらく空を見ていた。それから、立ち上がった。
「俺も行く」
「え」
「一人で行かせるわけにいかない」
振り返った顔は、いつもの真っ直ぐな顔だった。
「それに」
カイルは少し目を逸らした。
「俺も、このままじゃ嫌だ。村のみんながあんな顔をするのを、ただ見ていたくない」
カナリアは、胸が温かくなるのを感じた。
「……ありがとう」
「礼はいい」
カイルはそっぽを向いた。耳が、少し赤かった。
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旅立ちは、翌朝に決まった。
夜、村人たちが送別の食事を用意してくれた。質素だけど、温かい食卓だった。子供たちがルニに群がって、ルニは満更でもなさそうにしていた。
長老が、カナリアの手を取った。
「一つだけ、覚えておきなさい」
皺だらけの手が、しっかりと握ってくれた。
「あなたの詞は、怒りや憎しみからは生まれない。あなたが誰かを想う気持ちが、力の源だ」
カナリアは頷いた。
「昨夜もそうだった。あなたはカイルを守りたかった。それだけだった」
「……はい」
「忘れないように」
長老は静かに笑った。
「あなたの心が、この世界の鍵だから」
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夜明け前、カナリアは一人で村の外れに出た。
東の空が、少しずつ白み始めていた。星が一つ、また一つと消えていく。
ルニが肩に乗ってきた。温かい重さだった。
この村に来た時のことを思い出した。草原の真ん中で目を覚まして、空が青くて、何も分からなくて。孤独という感情の欠片だけを持って、それだけが自分だった。
今は、違う。
名前がある。カナリアという、この世界の名前が。一緒に歩いてくれる人がいる。自分の分身が、肩の上で息をしている。
まだ、記憶はない。
自分が何者なのかも、本当の意味ではわからない。
でも——
「行こう、ルニ」
呟くと、ルニが小さく鳴いた。
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朝日が昇り始めたころ、カイルが荷物を担いでやってきた。
「準備できてるか」
「できてる」
「じゃあ行くか」
それだけだった。
余計な言葉は何もなかった。でも、それがちょうどよかった。
三人で、村の門をくぐった。
振り返ると、村人たちが見送ってくれていた。子供たちが手を振っている。長老が、静かに頭を下げた。
カナリアは、頭を下げ返した。
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道は、まだ長い。
聖都ゼノビアまでの道のりに、何が待ち受けているかわからない。ゼクスが追ってくるかもしれない。もっと大きな危険があるかもしれない。
でも、一歩踏み出せた。
それだけで、今は十分だった。
朝日の中で、ルニの白銀の毛並みが光った。
カナリアは前を向いた。
——わたしは、カナリア。
記憶はない。過去もわからない。
でも、今ここにいる。
それだけを胸に、少女は旅立った。
ここまで読んでくれて、ありがとうございます!
奏——カナリアの冒険は、まだまだ始まったばかり。聖都ゼノビアには、どんな出会いと秘密が待っているのか。ゼクスは再び彼女の前に立ちはだかるのか。そしてルニは、どんな姿へと成長していくのか。
続きは次の章でお楽しみに!




