魔法世界の日常と「守護卵」
カイルは、よく喋る方ではなかった。
でも、必要なことはちゃんと教えてくれた。
翌朝から、村の中を案内してもらいながら、この世界のことを少しずつ知っていった。
「ここはバルガ村。辺境の集落だ。天人族の帝国からは遠いから、比較的穏やかに暮らせてる」
「天人族?」
「この大陸を支配してる連中だ。俺たちとは違う」
カイルは自分の尖った耳に触れてみせた。
「俺たちは獣牙族。天人族からは、ずっと下に見られてる」
淡々とした言い方だった。怒っているわけでも、悲しんでいるわけでもない。ただ、事実として受け入れている、という感じ。
——差別、ってこと。
胸の奥が、ちくりとした。うまく言語化できない、でも確かに覚えのある痛みだった。
「カナリアは? 耳、普通だな」
「……そうみたいです」
「珍しい。帝国の人間でもなさそうだし」
カイルは少し考える顔をして、それからすぐに「まあいい」と言った。
「今は、それより飯だ」
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村の暮らしは、質素だけど温かかった。
朝は共同の竈で食事を作って、日中は畑を耕したり、森で獲物を捕ったりする。夜は焚き火を囲んで、誰かが歌を歌う。
カナリアは、村人たちの輪の中に、ゆっくりと溶け込んでいった。
記憶はない。名前も、家族も、友達も。でも不思議なことに、手は動いた。料理の手伝いをすれば体が勝手に動いたし、子供に頼まれて縄跳びの縄を回せば、適切なリズムを体が覚えていた。
——わたし、ちゃんと生きてたんだ。
そう思うと、少しだけ、自分という輪郭がはっきりした気がした。
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村に来て三日目の夜、長老に呼ばれた。
長老の家は村の中でも一番古い建物で、壁には見たことのない文字が刻まれていた。魔法陣みたいな、複雑な紋様。
「カナリア。今夜は大事な話がある」
長老は焚き火の前に座って、両手に何かを抱えていた。
卵だった。
手のひらより少し大きいくらいの、白い卵。表面がうっすらと光を帯びていて、見ているとじんわりと温かい気持ちになる。
「これは、守護卵という」
「守護卵」
「この世界の者は、一生に一度、自分の魔力を注いでこの卵を孵化させる。生まれた魔法生物は、主の心と繋がり、共に生きる分身となる」
長老は静かに続けた。
「あなたがこの村に来た朝、草原の中にこれが落ちていた。あなたの傍らに」
——わたしの、卵。
「でも、わたし、魔力なんて」
「あります」
長老は迷いなく言った。
「あなたの中には、わたしが今まで見たことのないほどの魔力が眠っている。それが今は、固く閉じているだけ」
卵を両手で差し出された。
受け取った瞬間、手のひらに温もりが広がった。生き物の体温みたいな、柔らかい熱。
「孵化には時間がかかる。でも、あなたが自分を信じる気持ちを注ぎ続ければ、いつか必ず応えてくれる」
長老の目が、真剣だった。
「その子は、あなた自身の分身です。あなたの心が、形になった存在」
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その夜、カナリアは卵を抱えたまま、カイルと焚き火の前に並んで座っていた。
「守護卵、か」
カイルは炎を見つめながら言った。
「俺のルナは三年前に孵化した」
そう言って、肩を示した。いつの間にか、小さな狼のような生き物が丸まって寝ている。毛並みが月光に光っていた。
「可愛い」
「言うな、照れる」
カイルがそっぽを向いた。その横顔が、少しだけ緩んでいた。
「カナリアのはいつ孵るかな」
「……わからない」
卵に目を落とす。光は穏やかで、一定のリズムで明滅していた。まるで、呼吸しているみたいに。
「でも」
思わず、声に出ていた。
「……早く、会いたい」
カイルは何も言わなかった。でも、焚き火の明かりの中で、小さく頷いてくれた。
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この世界に来て、初めて、誰かと並んで空を見上げた夜だった。
星が多かった。知っている星座は、一つもなかった。
でも、それでよかった。
——ここには、知らないことがたくさんある。
卵をそっと胸に抱いて、カナリアは初めて、この世界で眠ることができた。




