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虚空のレクイエム ―絶望の魔法世界で、少女は機械の記憶を歌う―  作者: 畠山ゆな@姉弟で小説共作✏️
共鳴する三つの意志

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古の防衛システム「世界の掃除屋」




 術式の準備が、少しずつ整い始めた頃だった。


 マリンがリナ族長から聞き出した龍脈の結節点は、ゼノビアの地下深く、古代の石室の中にあった。水路よりさらに下、岩盤に掘られた空間。そこに、龍脈の流れが集まっていた。


 ゼクスが帝国の術者を動かし始めた。カイルが東区画の獣牙族を取りまとめた。リナが、海鱗族の中から共鳴の使い手を選び始めていた。


 全員が、動いていた。


 だから——異変に気づくのが、少し遅れた。




 最初に気づいたのは、ルニだった。


 夜中の三時頃、ルニが突然、目を覚ました。


 羽を広げて、部屋の中を落ち着きなく動き回った。カナリアが目を覚ました時、ルニは窓の外を見て、低く鳴き続けていた。


「どうしたの」


 ルニは答えない。ただ、鳴き続けた。


 その声が、いつもと違った。


 白銀の声ではなかった。もっと低い、警告するような声。




 翌朝、結節点の石室に下りた時、異変は明らかだった。


 石室の壁に、昨日まではなかった亀裂が入っていた。


 細い亀裂だった。でも、そこから、黒い霧のようなものが漏れていた。


 ——ルニの毛並みに混じっていた、あの黒。


 カナリアは、思わず後退した。


「これは」


 ゼクスが、亀裂に近づいた。


「触るな」


 カナリアが止めた。


 ゼクスは足を止めた。


「なぜだ」


「わからない。でも、近づいてはいけない気がする」


 ルニが、カナリアの肩で羽を広げた。警告するように、低く鳴いた。




 リナに連絡した。


 老族長は、石室に下りてきて、亀裂を見た瞬間、顔色が変わった。


「まずい」


 その一言が、場の空気を凍らせた。


「族長、これは何ですか」


「古い記録にある。でも、まさか——こんなに早く」


 リナは、亀裂から目を離さずに言った。


「龍脈が限界に近づいた時、世界の防衛システムが起動すると、記録に書いてある」


「防衛システム?」


「古代文明が作ったものだ。世界に余剰な魔力が溜まりすぎた時——あるいは、龍脈が壊れかけた時、世界そのものを初期化しようとする機構」


 カナリアは、その言葉の重さを受け取った。


「初期化、というのは」


「文字通りだ」


 リナは振り返った。


「すべてを、白紙に戻す。魔力も、生命も、地形も。この世界にあるものを全部、消して——作り直す」




 沈黙が、石室に満ちた。


 水路の音だけが、遠くで響いていた。


「それが、起動しかけている?」


 カイルが、低い声で聞いた。


「起動の前兆だ。本格的に動き出せば——止める方法はない」


「止める方法はない?」


「古代文明は、それを想定していなかった。一度起動したら、完了するまで止まらないように設計されている」


「だから、龍脈の再起動が必要だったのか」


「そうだ。龍脈が正常に流れていれば、防衛システムは起動しない。世界が健全だと判断するから」


 カナリアは、亀裂を見た。


「これは、いつ完全に起動しますか」


 リナは、少し考えてから答えた。


「早ければ、二週間。遅くても、一ヶ月」




 一年という時間が、急に消えた。


 二週間。


 カナリアは、その数字を頭の中で処理した。


「術式の準備は、どこまで進んでいますか」


 ゼクスが答えた。


「帝国の術者、十二名が動ける状態にある。導法の同期まで、もう数日必要だ」


 カイルが続けた。


「獣牙族の命脈の使い手、十五名が揃っている。訓練は、明日から始められる」


 全員がリナを見た。


「海鱗族は——」


 リナは、口を引き結んだ。


「十名、動けると言っている。でも、心を揃えるには、まだ時間が足りない」


「どれくらいかかりますか」


「最低でも一週間は、共鳴の練習が必要だ」


「一週間と、準備の数日。ギリギリだ」


 ゼクスが言った。


「ギリギリでも、間に合えばいい」


 カナリアは言った。




 その夜から、石室への監視を始めた。


 亀裂の広がりを、毎日記録した。一日目より、二日目の方が広かった。二日目より、三日目の方が黒い霧が濃かった。


 じわじわと、確実に進んでいた。




 三日目の夜、カナリアは石室で一人、亀裂を見ていた。


 カイルたちは、準備のために地上に上がっていた。


 ルニと二人で、亀裂の前に座った。


「世界の掃除屋か」


 呟いた。


 亀裂から漏れる黒い霧が、揺れた。


 怖くなかった、と言えば嘘になる。でも、不思議と、ただ怖いだけではなかった。


 ——これは、悪意じゃない。


 そう感じた。


 世界が壊れかけているから、作り直そうとしている。防衛する、という意味では、ルニと同じだ。


 ただ、やり方が、根本的すぎる。


「消えたくない」


 カナリアは、亀裂に向かって言った。


「この世界の人たちも、消えたくない。タオも、カイルも、マリンも、リナ族長も——ゼクスも」


 亀裂は、答えなかった。


 当然だった。


「でも、あなたは仕事をしようとしているだけだ。世界を守るために、設計されたことをしようとしているだけだ」


 ルニが、低く鳴いた。


「わかってる。でも、止めなきゃいけない」




 四日目の朝、ゼクスが石室に下りてきた。


 一人だった。


 亀裂を見て、顎に手を当てた。


「広がっているな」


「うん。昨日より、一センチほど」


「センチ?」


「……長さの単位。気にしないで」


 ゼクスは、亀裂の横の壁に手を触れた。


「魔力の流れが変わっている。龍脈の結節点が、システムに侵食されかけている」


「侵食されたら、どうなりますか」


「術式が使えなくなる。結節点が機能しなければ、三種族が揃っても、龍脈に魔力を流せない」


「つまり、時間との勝負」


「そうだ」


 ゼクスは、壁から手を離した。


「一つ、聞いていいか」


「なんですか」


「お前は、怖くないのか」


 カナリアは、ゼクスを見た。


 珍しい質問だった。


「怖い。でも、それがどうかしましたか」


「お前が怖いと言うのを、初めて聞いた」


「言ってなかったかもしれないけど、毎回怖い」


 ゼクスは、少し間を置いた。


「俺も、怖い」


 その言葉が、石室に静かに落ちた。




 カナリアは、ゼクスを見た。


 感情のない顔。でも、その目の奥に、確かに何かがあった。


「何が怖いんですか」


「間に合わないことだ」


「それだけ?」


 ゼクスは、しばらく黙った。


「……弟に、間に合わなかった。また同じことが起きるのが、怖い」


 カナリアは、何も言わなかった。


「あの時も、もう少し早ければと思った。論理的に動いていれば、間に合ったと思った。だから——」


「感情を捨てた」


「ああ」


「でも、今は怖いと言った」


「……言った」


 ゼクスの目が、かすかに揺れた。


「お前のそばにいると、感情を捨てたつもりが——出てくる」




 カナリアは、少し考えてから言った。


「それは、いいことだと思います」


「なぜだ」


「怖いと感じるから、間に合わせようとする。感情がなければ、ただの計算になる。計算は、間に合わせようとは思わない」


 ゼクスは、何も言わなかった。


「弟さんに間に合わなかったのは、感情があったからじゃないと思う。でも——今は、間に合わせようとしている。それは、感情があるからだと思います」


 長い沈黙が落ちた。


 亀裂から、黒い霧が揺れた。


 ゼクスは、その霧を見ながら、静かに言った。


「……そうかもしれない」


 一言だった。


 でも、その一言が、百年分の壁を、少しだけ溶かした気がした。




 五日目、異変が加速した。


 亀裂が、一日で三倍に広がった。


 黒い霧が、石室全体に薄く漂い始めた。


 その霧に触れた者が、体の力が抜けると言い始めた。


「魔力を吸っている」


 ゼクスが、険しい顔で言った。


「システムが、周囲の魔力を取り込んで、起動エネルギーを蓄積している」


「術式の準備に、影響が出るか?」


「出る。このまま霧が濃くなれば、術者たちの魔力が弱まる。儀式ができなくなる」


「どれくらい時間が残っていますか」


「この速度なら——一週間で、石室が使えなくなる」




 全員が、石室の外に集まった。


 カナリア、カイル、ゼクス、マリン、リナ。


 全員の顔に、緊張があった。


「状況を整理する」


 カナリアが言った。


「儀式に必要な時間は、最低でも五日。でも、石室が使えるのは、あと七日。余裕は、二日しかない」


「海鱗族の共鳴が、まだ揃っていない」


 リナが、静かに言った。


「心を揃えるには、もう少し時間が必要だ」


「どれくらい」


「三日、あれば——」


「三日では、準備に五日かけたら、一日しか余裕がない」


 カイルが、腕を組んだ。


「ミスが許されない綱渡りだ」


「それでもやるしかない」


 カナリアは言った。


「他に方法がない」




 その時、マリンが口を開いた。


「一つ、試してもいいですか」


 全員が、マリンを見た。


「共鳴の練習を、毎日続けても——心が揃わないのは、信頼がないからだって族長が言った」


「そうだ」


「でも、信頼って——時間だけじゃなくて、体験で作れる、って聞いた」


 マリンは、カナリアを見た。


「カナリアが言ってた。行動で作れるって」


「うん」


「だから——一緒に、何かをやってほしい」


「何を?」


「石室の亀裂を、一緒に見てほしい。天人族も、獣牙族も、海鱗族も——全員で、同じものを見て、同じ恐怖を感じれば」


 マリンは、少し恥ずかしそうに続けた。


「心が揃うかもしれない、と思って」




 リナが、マリンを見た。


「子供らしい考えだ」


「違いますか」


 リナは、しばらく黙った。


「……違わないかもしれない」


 老族長は、ゼクスを見た。


「天人族の術者たちを、石室に連れてこられるか」


「できる」


「獣牙族は」


 カイルが頷いた。


「呼べる」


 リナは、目を閉じた。


 何かを、考えていた。


 やがて、目を開けた。


「やってみよう」




 翌日の夜、石室に全員が集まった。


 天人族の術者、獣牙族の命脈の使い手、海鱗族の共鳴の使い手。


 総勢四十名近くが、石室に入りきれずに、水路にまで溢れた。


 全員が、亀裂を見た。


 黒い霧が、石室を漂っていた。その霧に触れると、体の力が抜ける感覚がある。世界が終わりに近づいているという実感が、言葉なしに伝わってくる。


 誰も、喋らなかった。


 天人族の術者が、獣牙族の男の隣に立っていた。普段なら、あり得ない光景だった。でも、今夜は誰も気にしていなかった。




 その沈黙の中で、マリンが歌い始めた。


 言葉のない旋律だった。


 でも、その歌には、今夜の感情がそのまま込められていた。


 怖い。でも、諦めたくない。消えたくない。この世界を、守りたい。


 歌が、石室に満ちた。


 一人の海鱗族が、マリンに合わせて歌い始めた。次の一人が加わった。また一人が加わった。


 十名の海鱗族が、同じ旋律を歌っていた。


 心が、揃っていた。




 カナリアは、その音を受け取った。


 胸の奥で、何かが共鳴した。


 ルニが、翼を広げた。白銀の羽が、黒い霧の中で光った。


 カイルが、地面に手をついた。命脈が、石室の床を温めた。


 ゼクスが、目を閉じて、導法を展開した。精密な魔力の流れが、空気を整えた。


 全部が、ルニを経由して、繋がった。


 一瞬だけ。ほんの一瞬だけ。


 でも、確かに繋がった。




 亀裂が、止まった。


 広がりが、止まった。


 黒い霧が、薄くなった。


 一秒、二秒、三秒。


 そして——亀裂が、少しだけ、閉じた。




 誰かが、息を呑んだ。


 石室が、静まり返った。


「今のは」


 カイルが言った。


「繋がった」


 カナリアは答えた。


「全員の力が、一瞬だけ繋がった。それで、亀裂が閉じた」


「一瞬だけか」


「一瞬だけ。でも——一瞬でもできた」


 リナが、亀裂を見ていた。


「今の感覚を、覚えているか」


 共鳴の使い手たちに聞いた。


 全員が、頷いた。


「ならば」


 リナは、振り返った。


「やれる」




 その言葉が、石室に響いた。


 天人族の術者が、顔を見合わせた。獣牙族の男たちが、立ち上がった。海鱗族の歌い手たちが、静かに頷いた。


 カナリアは、全員の顔を見渡した。


 天人族、獣牙族、海鱗族。


 百年以上、分断されてきた三種族が、同じ場所に立っていた。同じものを見て、同じことを感じて、同じ方向を向いていた。


 ——これだ。


 図の中心の記号。三つの円が重なる場所。


 場所ではなかった。


 瞬間だった。


 全員の心が、同じ方向を向く、その瞬間。




「あと数日で、儀式を始められる」


 ゼクスが言った。


「石室が持つか」


「今夜の一瞬で、亀裂の進行が遅くなった。もう少し、時間が稼げるはずだ」


「じゃあ——」


「間に合う」


 カナリアは言った。


 根拠はなかった。


 でも、今夜、全員が同じ方向を向いた。


 それだけで、十分な根拠だった。




 石室を出た後、マリンがカナリアの隣に来た。


「どうだった?」


「最高だった」


「本当に?」


「うん。マリンの歌が、一番最初に繋いでくれた」


 マリンは、少し照れた顔をした。


「たまたまだよ」


「たまたまでもいい。始めてくれた人が、一番大事だから」




 カイルが、ゼクスの隣を歩いていた。


 珍しい光景だった。


 カナリアが後ろから見ていると、カイルが何か言った。ゼクスが、短く返した。何を話しているかは聞こえなかった。


 でも、二人の間の空気が、最初よりずっと薄くなっていた。


 壁が、少しだけ、溶けていた。




 水路を抜けて、地上に出た。


 夜の空気が、冷たかった。


 カナリアは、空を見上げた。


 星が多かった。


 ——あと数日。


 世界の掃除屋は、まだ動いていた。亀裂は、また広がるかもしれない。全部が、うまくいくとは限らない。


 でも、今夜、確かに繋がった。


 それは、消えない。


「ルニ」


 呼ぶと、ルニが鳴いた。


 白銀の声が、夜の空に響いた。


 その音が、星に届くくらい、高く、澄んでいた。


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