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虚空のレクイエム ―絶望の魔法世界で、少女は機械の記憶を歌う―  作者: 畠山ゆな@姉弟で小説共作✏️
闇の陥穽と、克服の誓い

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皇帝の福音:歪んだ正義の正体




 施設を出て三日が経った。


 カイルが知っている、ゼノビアの外れにある隠れ家に身を寄せた。獣牙族の旧知の家だという。主人は無口な老人で、余計なことを聞かなかった。ただ、温かいスープを出してくれた。


 タオの母親は、少しずつ回復していた。魔力の消耗が激しかったが、食事と休息で顔色が戻ってきた。タオは母親の傍を離れなかった。


 カナリアは、その様子を遠くから見ながら、考えていた。


 ——次に、何をすべきか。


 施設を抜け出した。でも、何も解決していない。ゼクスはまだいる。帝国はまだある。ゼノビアの種族格差はまだある。龍脈はまだ枯れ続けている。


 やるべきことは、山積みだった。




 四日目の朝、予想外のことが起きた。


 隠れ家の扉を、誰かが叩いた。


 カイルが素早く立ち上がった。カナリアも、ルニを抱えて身構えた。


 老人が、ゆっくりと扉を開けた。


 外に立っていたのは、一人の兵士だった。


 帝国の白銀の鎧。でも、剣を抜いていない。両手を上げていた。


「使いだ」


 兵士は言った。


「ゼクス将校からの、伝言を持ってきた」




 カイルが、兵士の前に立った。


「罠じゃないのか」


「将校は、一人で来いと言った。俺だけだ」


「信用できない」


「それでも、聞いてほしいと言っていた」


 カナリアは、カイルに目配せした。


 カイルは眉をひそめたまま、頷いた。


 兵士が、折りたたんだ紙を差し出した。


 受け取って、開いた。


 几帳面な文字が、整然と並んでいた。


『今夜、旧市街の水路沿いの倉庫に来い。話がある。一人で来い。これは命令ではない』


 最後の一行が、引っかかった。


 命令ではない。


 ゼクスが、そんな書き方をするとは思っていなかった。




「行くのか」


 カイルが、案の定、険しい顔をした。


「行く」


「罠かもしれない」


「かもしれない」


「それでも行くのか」


 カナリアは、紙を見つめた。


「ゼクスが罠を張るなら、もっと手が早い。施設を出た時、追ってこなかった。あの日から、三日間、何もしてこなかった」


「……それは確かだ」


「何かを、考えてる。話したいことがある。そう感じる」


 カイルは、しばらく黙っていた。


「俺も行く」


「一人で来いって」


「お前が行くなら、俺も行く。それだけだ」


 カナリアは、少し考えてから頷いた。


「倉庫の外で待っていてほしい。中には一人で入る」


「……わかった」


 カイルは、不服そうだったが、それ以上は言わなかった。




 夜、旧市街の水路沿いを歩いた。


 石畳が濡れていた。水路の音が、静かに響いていた。人通りがなかった。


 古い倉庫が見えた。扉が、わずかに開いていた。


 カイルが、外の物陰に消えた。


 カナリアは、一人で中に入った。




 倉庫の中は、薄暗かった。


 魔法の小さな光が、一つだけ灯っていた。その光の下に、ゼクスがいた。


 将校服ではなかった。


 旅人のような、地味な外套を着ていた。剣は帯びていない。それだけで、随分と印象が違った。


 ゼクスは、カナリアが入ってきても、すぐには口を開かなかった。


 しばらく、互いに無言だった。




「座れ」


 やがて、ゼクスが言った。


 近くにあった木箱を示していた。


 カナリアは座った。ゼクスも、向かいの木箱に腰を下ろした。


 初めて、同じ目線で向き合った。


 ゼクスの顔を、改めて見た。


 施設で見た時と、同じ顔だった。感情が読めない。でも、今夜は何かが違った。目の奥に、疲れのようなものが見えた。


「話があると言った」


「ある」


「聞きます」


 ゼクスは、少し間を置いた。


 それから、口を開いた。


「世界が、あと一年で終わる」




 カナリアは、すぐには言葉が出なかった。


「……どういうことですか」


「龍脈の枯渇が、臨界点に近づいている」


 ゼクスは、淡々と続けた。


「帝国の試算では、一年以内に龍脈が完全に停止する。そうなれば、この世界の魔力は消える。魔力が消えれば、この世界を構成している根幹が崩れる」


「崩れるって」


「霧散する。世界そのものが、消える」


 カナリアは、息を呑んだ。


「それを、帝国は知っていた?」


「十年前から知っていた」




 十年。


 その言葉が、重かった。


「なぜ、言わなかったんですか。三種族に、知らせなかったんですか」


「言えば、パニックになる」


 ゼクスの声は、相変わらず感情がなかった。


「各地で暴動が起きる。種族間の争いが激化する。残り少ない魔力を奪い合って、余計に消耗する。帝国はそう判断した」


「だから、黙って魔力を徴収した」


「龍脈を再起動させるには、膨大な魔力が必要だ。各地から集めれば、間に合うかもしれないと考えた」


「間に合ってないじゃないですか」


「……ああ」


 ゼクスは、初めて、目を伏せた。


「間に合っていない」




 カナリアは、ゼクスを見た。


 将校服を脱いだゼクスは、ただの人間だった。疲れた顔をした、一人の人間。


「あなたは、世界を救おうとしていた」


 口に出してみた。


「歪んだやり方で、でも、本当は世界を救おうとしていた」


 ゼクスは、答えなかった。


「バルガ村の人たちの魔力を搾り取ったのも、ゼノビアで種族を追い詰めたのも、わたしを罠にかけたのも——全部、それのためだった」


「正当化するつもりはない」


 ゼクスが、静かに言った。


「やったことは、やったことだ。間違っていたかもしれない。でも、他に方法が見えなかった」




「一つだけ、聞いていいですか」


「何だ」


「怖くなかったですか」


 ゼクスが、目を上げた。


「世界が終わると知って、十年間、一人で抱えて——怖くなかったですか」


 沈黙が落ちた。


 長い沈黙だった。


 ゼクスは、水路の音に耳を向けるような顔で、少し考えた。


「……怖い、という感情は」


 言いかけて、止まった。


「俺は昔、感情で大きな判断を誤った。それ以来、感情を排除して動くと決めた」


「何があったんですか」


「関係ない」


「関係あります」


 カナリアは、引かなかった。


「あなたが今夜ここに来たのは、わたしに話したいことがあったからじゃないですか。命令じゃないって、自分で書いた」




 ゼクスは、しばらく黙っていた。


 やがて、低い声で言った。


「昔、俺の判断で、守るべき者を死なせた」


 カナリアは、何も言わなかった。


「感情的な選択だった。正しいと信じてやったことが、最悪の結果を招いた。それ以来、感情を信じることをやめた」


「……その人は、誰だったんですか」


「弟だ」


 一言だった。


 でも、その一言の重さが、倉庫の中に満ちた。




「弟を守れなかった。だから、感情を捨てた」


 ゼクスは、前を向いたまま言った。


「感情があるから、誤る。感情があるから、判断が曇る。そう決めた」


「でも、弟さんのために感情を捨てたなら——それ自体が、感情からきてるじゃないですか」


 ゼクスが、僅かに目を細めた。


「……屁理屈だ」


「屁理屈じゃない」


 カナリアは、静かに続けた。


「あなたは弟さんを愛していた。だから、同じ過ちを繰り返さないように、感情を封じた。その根っこにあるのは、愛情じゃないですか」


 ゼクスは、答えなかった。


 でも、目が、揺れた。


 施設で一瞬だけ見えた揺れと、同じ揺れ方だった。




「わたしも、怖かった」


 カナリアは言った。


「自分の中を見るのが、怖かった。記憶がない、本当の自分がわからない、何もないかもしれないって、怖かった」


「……お前と俺は、違う」


「違う部分もある。でも、似てる部分もある」


「何が似ている」


「大切なものを守れなかった痛みを、別の何かで塞ごうとしてること」


 ゼクスは、返事をしなかった。


 でも、視線が、少しだけ下を向いた。




「話を戻します」


 カナリアは、ゼクスを見た。


「世界があと一年で終わる。帝国の方法では、間に合わない。そのことを、なぜわたしに話したんですか」


 ゼクスは、少し間を置いてから答えた。


「お前の力を、見た」


「施設で?」


「それだけじゃない。バルガ村から、ずっと調べていた」


 ゼクスは続けた。


「セラとリュウの娘。三種族の魔力を統合できる詞の継承者。龍脈を再起動できる、唯一の存在」


「……知っていたんですね。最初から」


「ああ」


「だから、罠にかけた」


「力ずくで従わせようとした。でも——」


 ゼクスは、初めて、言葉に詰まった。


「お前は、従わなかった」




「帝国のやり方では、無理だということが、わかった」


 ゼクスは、静かに続けた。


「龍脈の再起動には、三種族の力が必要だ。天人族だけでは足りない。獣牙族と海鱗族の協力がなければ、術式が成立しない」


「わかってたんじゃないですか、最初から」


「……わかっていた」


「でも、認めたくなかった」


 ゼクスは答えなかった。でも、その沈黙が答えだった。


「帝国が支配してきた種族に、頭を下げることは——できなかった」


 カナリアは、その言葉の重さを受け取った。


 プライドじゃない。罪悪感だ、と思った。頭を下げれば、今まで自分がしてきたことを、認めることになる。それが、できなかった。




「わたしに、何を求めていますか」


 カナリアは、真っ直ぐに聞いた。


「三種族を、繋いでほしい」


「帝国は?」


「協力する」


「追い詰めてきた種族に、今更協力するって言えますか」


「言えない」


 ゼクスは、はっきり言った。


「俺には、言えない。お前に、頼む」




 カナリアは、しばらく考えた。


 信用できるかどうか、まだわからない。ゼクスが本当のことを言っているかどうかも、確かめる術がない。


 でも、一つだけ確かなことがあった。


 ——この人は、今夜初めて、本当のことを話した。


 将校服を脱いで。剣を外して。命令ではない、と書いて。


 それだけで、十分ではないかもしれない。でも、十分すぎるくらいでもあった。


「一つだけ、条件があります」


 カナリアは言った。


「なんだ」


「徴収した人たちを、全員返してほしい。タオのお母さんも、バルガ村の人たちも、帝国の施設にいる全員を」


 ゼクスは、すぐには答えなかった。


「……それは、帝国の決定が必要だ。俺一人では——」


「できないなら、話は終わりです」


 カナリアは、立ち上がりかけた。


「待て」


 ゼクスの声が、止めた。


「……やる。約束する」


「約束を破ったら」


「破らない」


 ゼクスの目が、真っ直ぐだった。


 初めて、その目に感情があった。


 誓いの色だった。




 倉庫を出た。


 水路の音が、変わらず響いていた。


 カイルが、物陰から出てきた。


「どうだった」


 カナリアは、夜空を見上げた。


 星が多かった。


「世界が、あと一年で終わるかもしれない」


 カイルが、息を呑んだ。


「ゼクスは、知っていた。十年前から。一人で抱えて、間違ったやり方で足掻いてた」


「……そいつが、協力すると言ったのか」


「言った」


 カイルは、しばらく黙っていた。


「信用できるのか」


「できないかもしれない」


「それでも?」


 カナリアは、カイルを見た。


「他に道がない。でも、それだけじゃない」


「じゃあ、何だ」


「あの人の目が、今夜初めて、人間の目をしてた」




 カイルは、空を見上げた。


 長い沈黙の後、息を吐いた。


「……お前が言うなら、信じる」


「ありがとう」


「礼はいい。ただ——」


 カイルは、カナリアを見た。


「一年しかないんだろ。急ぐぞ」


 カナリアは、頷いた。


 ルニが、肩の上で鳴いた。


 白銀の声が、夜の水路に響いた。




 その夜、隠れ家に戻ってから、カナリアは窓の外を見た。


 一年。


 長いようで、短い。


 三種族を繋ぐ。龍脈を再起動する。ゼクスと協力する。


 やるべきことは、まだ山積みだった。


 でも、今夜一つだけ、わかったことがあった。


 ——歪んだ正義も、正義だった。


 やり方は間違っていた。でも、ゼクスは絶望の中で、足掻き続けていた。弟を失った痛みを抱えたまま、世界を守ろうとしていた。


 それを、否定することは、カナリアにはできなかった。




 ルニが、膝に乗ってきた。


 毛並みを見ると、黒い霧がほとんど消えていた。


 白銀の毛並みが、月明かりに光っていた。


 金色の瞳が、カナリアを見ていた。


「行こう、ルニ」


 カナリアは言った。


「まだ、終わってない。ここからが、本番だ」


 ルニが、力強く鳴いた。


 その声が、夜の隠れ家に響いた。


 白銀の音が、夜明けを呼んでいるみたいだった。


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