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虚空のレクイエム ―絶望の魔法世界で、少女は機械の記憶を歌う―  作者: 畠山ゆな@姉弟で小説共作✏️
闇の陥穽と、克服の誓い

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精神世界:先祖たちの抱擁




 眠ったのか、気を失ったのか、わからなかった。


 気づいた時、どこにもいなかった。


 部屋もない。壁もない。カイルもタオもいない。


 ただ、暗かった。


 どこまでも続く暗闇の中に、カナリアは一人で立っていた。足元に地面はあった。でも、何もない。光もない。音もない。


 ——夢?


 そう思った瞬間、違うと感じた。


 夢よりも、もっとはっきりしていた。空気の重さがある。自分の呼吸が聞こえる。これは夢じゃない。


 ——精神世界。


 その言葉が、自然と浮かんだ。




 ルニがいた。


 足元に、小さく丸まっていた。毛並みはまだ黒く染まっていた。でも、金色の瞳だけは、暗闇の中でかすかに光っていた。


「ルニ」


 しゃがんで抱き上げると、ルニは力なく身を預けてきた。


 軽かった。


 こんなに軽かったっけ、と思った。まるで、消えかけているみたいに。


「大丈夫。ここから出る方法を探す」


 ルニは、鳴かなかった。




 歩き始めた。


 どこに向かえばいいかわからない。でも、立ち止まっている気にはなれなかった。


 暗闇の中を歩いた。一歩、また一歩。


 どれくらい歩いたかわからない。時間の感覚がない場所だった。


 やがて、前方に何かが見えた。


 光だった。


 白くも、金色でもない。温かいオレンジ色の光。焚き火みたいな、揺れる光。


 吸い寄せられるように、近づいた。




 光の中心に、二人がいた。


 女性と、男性。


 女性は本を抱えていた。癖のある、でも丁寧な印象の人だった。柔らかく笑っていた。


 男性は剣を帯びていた。背が高くて、日焼けした肌。でも、目が優しかった。


 カナリアは、足を止めた。


 ——知らない。


 会ったことはない。顔も、声も、記憶にない。


 でも、胸の奥が、締め付けられるように温かくなった。


 ——知ってる。


 矛盾していた。でも、両方が本当だった。




 女性が、先に口を開いた。


「来たね」


 声を聞いた瞬間、涙が出そうになった。


 どうして涙が出そうになるのか、わからなかった。この声を聞いたことは、ない。


 でも、知っていた。


「お母さん」


 声が、掠れた。


 女性が、静かに頷いた。


「ここに来てくれた。よかった」


 男性が、一歩前に出た。


「カナリア」


 その声も、初めて聞く声だった。でも、胸の奥に、ずっとあった声だった。


「お父さん」


 今度は、声が出なかった。


 唇だけが、動いた。




 母が近づいてきた。


 カナリアの顔を、両手で包んだ。


 温かかった。


「泣いていいよ」


 その一言で、崩れた。


 声を上げて泣いた。暗闇の中で、光に包まれながら、子供みたいに泣いた。記憶のない親に、それでも縋るようにして泣いた。


 どれくらい泣いたかわからない。


 泣き終わった後、母は何も言わなかった。ただ、頭を撫で続けていた。




 やがて、父が静かに言った。


「辛かったね」


「……うん」


「一人で、全部抱えようとしていた」


「それしか、できなかった」


「そうじゃない」


 父は穏やかに、でもはっきりと言った。


「お前には、傍にいてくれる人がいる。それが見えなくなっていただけだ」


「でも、わたしのせいで、みんなが——」


「違う」


 父の声が、少しだけ強くなった。


「お前のせいじゃない。お前が声を上げたから、誰かが救われた。お前が立ち止まらなかったから、諦めなかった人がいる」


 カナリアは、唇を噛んだ。


「でも、ゼクスは言った。わたしのせいだって」


「ゼクスは、お前を動かすためにそう言った」


 母が、静かに続けた。


「人の罪悪感を利用するのは、古い手だよ。あなたを傷つけることで、あなたを動かそうとしている」


「わかってた。でも、止められなかった」


「わかっていても、揺れる。それが人間だよ」




 母が、カナリアの手を取った。


「ねえ、カナリア。一つだけ聞いていい?」


「うん」


「あなたは今、自分のことが好き?」


 カナリアは、すぐに答えられなかった。


 好き。


 自分のことが、好きか。


 ——わからない。


「……わからない」


「正直に言えたね」


 母は、微笑んだ。


「記憶がなくて、本当の自分もわからなくて、それでも誰かのために動き続けてる。すごいことだよ」


「すごくない。止まれないだけだ」


「止まれない理由は、怖いから?」


 カナリアは、黙って頷いた。


「自分の中を見たら、何もないかもしれないって怖い?」


「……うん」




 父が、カナリアの前にしゃがんだ。


 目線を合わせて、真っ直ぐに見た。


「カナリア。お前の中には、何もないなんてことはない」


「でも、記憶が——」


「記憶じゃない」


 父は首を横に振った。


「タオが泣いていたら、胸が痛かっただろう。マリンが理不尽に扱われたら、怒りを感じただろう。カイルが縛られていたら、助けたいと思っただろう」


「……うん」


「それが、お前だ」


 父の声が、温かかった。


「記憶がなくても、名前がわからなくても、どこから来たのかわからなくても——誰かの痛みに反応できる心が、お前の中にある。それが、お前という人間だ」




 カナリアは、しばらく下を向いていた。


 父の言葉が、胸の中でゆっくりと広がっていった。


 ——誰かの痛みに反応できる心。


 記憶はない。過去もわからない。本当の名前も、まだ知らない。


 でも、タオが泣いていたら、胸が痛かった。それは本当だった。


 マリンが囲まれていたら、前に出た。それも本当だった。


 カイルが縛られていたら、助けたかった。それも、本当だった。


 ——それが、わたし。


「でも」


 カナリアは顔を上げた。


「その心が、ルニを黒くした。暴走させた。誰かを傷つけそうになった」


「そうだね」


 母が、頷いた。


「怒りも悲しみも、本物の感情だよ。それは悪くない。ただ——」


「一人で抱えすぎた」


「そう」




 母が、ルニに目を向けた。


 カナリアの腕の中で、黒く染まったまま丸くなっているルニ。


「ルニを見て。何を感じる?」


「……申し訳ない」


「それだけ?」


 カナリアは、ルニを見つめた。


 黒い毛並み。でも、金色の瞳はまだある。消えていない。


「……愛しい」


 声に出したら、自分でも驚いた。


「こんなに黒くなっても、まだここにいてくれてる。まだ、金色の目で見てくれてる。それが——」


 喉が詰まった。


「それが、愛しい」




 母が、静かに微笑んだ。


「ルニはね、あなたの分身だよ」


「うん」


「あなたがルニを愛しいと思えるなら——あなたは、自分自身を愛しいと思える」


 カナリアは、息を呑んだ。


「ルニの黒さは、あなたの弱さだ。あなたの恐れだ。あなたの傷だ。でも、その奥にある金色は、あなたの本質だ」


「本質」


「誰かのために立ち上がれる心。痛みを知っているから、他人の痛みがわかる心。それが、あなたの本質だよ」




 父が、立ち上がった。


 そして、カナリアの頭に手を置いた。


「一つだけ、覚えておいてほしいことがある」


「うん」


「俺たちは、お前を一人にしたことを、ずっと申し訳なく思っていた」


 カナリアは、顔を上げた。


「でも、後悔はしていない」


「……どういうこと」


「お前を別の世界に送ったのは、お前に生きてほしかったからだ。この世界の闇から、守りたかったから」


 父の目が、真っ直ぐだった。


「お前が今ここにいるのは、お前が生き続けてくれたからだ。どんな世界でも、諦めずにいてくれたからだ」


「……記憶もなくて、孤独で、それでも?」


「それでも」


 父は迷わなかった。


「孤独だったかもしれない。でも、お前は折れなかった。それが、何より嬉しい」




 涙が、また出てきた。


 今度は、声を上げなかった。ただ、静かに流れた。


 母が、もう一度カナリアを抱きしめた。


「行きなさい」


 耳元で、囁くように言った。


「まだ、やることがある。カイルが待ってる。タオが待ってる。ルニが、あなたを必要としてる」


「でも、怖い」


「怖くていい」


「また、暴走するかもしれない」


「そしたら、またここに来なさい」


 母の声が、温かかった。


「でも、次は自分で戻ってこれる。今夜わかったはずだから」


「何が?」


「あなたには、帰る場所がある、ってこと」




 父が、一歩後ろに下がった。


 二人の姿が、少しずつ光の中に溶け始めた。


「待って」


 カナリアは手を伸ばした。


「まだ、聞きたいことが——」


「全部は話せない」


 母が、微笑んだ。


「でも、また会える。あなたが自分を信じれば、いつでも」


「自分を、信じる」


「そう。ルニを愛しいと思えたでしょう。それと同じだよ」


 父が、最後に言った。


「お前は孤独じゃない。ずっと、そうだった。ただ、忘れていただけだ」




 光が、広がった。


 暗闇が、溶けていった。


 二人の姿が、見えなくなった。


 でも、不思議と、悲しくなかった。


 消えたんじゃない、という感覚があった。どこかに、いる。ずっと、いる。




 目が、開いた。


 部屋の天井が見えた。


 カイルが、隣に座っていた。眠らずにいたらしく、目が充血していた。カナリアが目を開けた瞬間、安堵の息を吐いた。


「戻ってきた」


「……うん」


「どこに行ってたんだ」


「遠いところ」


 カナリアは、上体を起こした。


 ルニが膝の上にいた。


 毛並みを見て、息を呑んだ。


 黒い霧が、半分以下になっていた。まだ完全ではない。でも、金色の毛並みが、確かに戻ってきていた。


「ルニ」


 ルニが、目を開けた。


 金色の瞳が、真っ直ぐにカナリアを見た。




 タオが、目をこすりながら起き上がった。


「お姉さん、大丈夫?」


「大丈夫」


 今日は、そう言える気がした。


「お母さん、絶対助ける」


 タオが、唇を引き結んだ。


「……うん」


「一人じゃない。カイルもいる。ルニもいる」


 カナリアは、カイルを見た。


 カイルは、何も言わずに頷いた。




 窓の外が、白み始めていた。


 夜明けだった。


 カナリアは、ルニを抱えて立ち上がった。


 足が、震えなかった。


 頭の中の声は、まだかすかに残っていた。でも、昨日より、ずっと遠かった。


 ——お父さんとお母さんの声の方が、近い。


 そう思えた。


 それだけで、十分だった。


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