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虚空のレクイエム ―絶望の魔法世界で、少女は機械の記憶を歌う―  作者: 畠山ゆな@姉弟で小説共作✏️
闇の陥穽と、克服の誓い

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暴走:闇に飲まれる魂



 四日目の朝、ゼクスは来なかった。


 代わりに、兵士が一人、部屋に入ってきた。無言で、一枚の紙を置いていった。


 拾って見た。


 カイルの名前が書いてあった。その横に、移送先の地名。帝国の魔力採掘施設。


 ——移送。


 言葉の意味が、じわりと広がった。


 採掘施設に送られた者が、どうなるか。ゼノビアに来てから、何度も耳にしていた。魔力を限界まで搾り取られて、廃人同然になって戻ってくる者がいる、と。戻ってこない者もいる、と。


 紙を、床に置いた。


 手が、震えていた。




 昼前に、別の兵士が来た。


 今度は何も置いていかなかった。ただ、一言だけ言った。


「マリンの家族の徴収が、今朝始まった」


 それだけ言って、出ていった。




 カナリアは、部屋の隅に座っていた。


 ルニが膝の上にいた。毛並みの黒い霧が、昨日より広がっていた。もう根元だけじゃない。毛先の方まで、じわじわと滲んでいた。


 ——落ち着け。


 自分に言い聞かせた。


 ——これは罠だ。揺さぶるための情報だ。全部が本当とは限らない。


 でも、全部が嘘とも限らない。


 カイルが、施設に送られるかもしれない。マリンの家族が、魔力を搾り取られているかもしれない。


 ——わたしが動かないから、こうなってる。


 その考えが、頭に浮かんだ瞬間、打ち消した。


 ——違う。わたしのせいじゃない。ゼクスがそう思わせようとしているだけだ。


 でも。


 ——でも、動けば、何かが変わるかもしれない。




 夕方になっても、ゼクスは来なかった。


 兵士が三度目に来たのは、日が暮れてからだった。


 今度は、紙ではなかった。


 扉が開いて、誰かが中に押し込まれた。


 床に倒れ込んだその人物を見て、カナリアは立ち上がった。


「タオ」


 タオだった。


 顔に、青痣があった。服が破れていた。目が、焦点を失っていた。


「タオ、タオ、しっかりして」


 駆け寄って、肩を抱いた。タオは、しばらく何も言わなかった。


 やがて、掠れた声で言った。


「……お母さんが」


「お母さんがどうしたの」


「連れて行かれた。徴収って言って、連れて行かれた。どこに行ったかわからない」


 タオの目から、涙がこぼれた。


「止めようとしたら、殴られた。何もできなかった」




 カナリアの中で、何かが、音を立てた。


 ——また、だ。


 また、誰かが傷ついている。また、誰かが泣いている。また、理不尽が、何食わぬ顔で誰かを踏みにじっている。


 ——また、わたしは何もできていない。


 頭の中で、声が始まった。


 ——お前のせいだ。


 違う、と打ち消した。


 ——お前が動かないから。


 違う。


 ——お前がいなければ、こうならなかった。


 ——お前がいると、みんな不幸になる。


 ——お前は、何の役にも立たない。


 声が、どんどん大きくなった。顔の見えない誰かたちの声。現実の声なのか、記憶の声なのか、もうわからない。全部が混ざって、頭の中を満たしていく。


 タオが何か言っていた。でも、聞こえなかった。




 気づいた時、立ち上がっていた。


 扉に向かっていた。


「待って」


 タオの声が、遠くで聞こえた。


「どこ行くの」


「終わりにする」


 自分の声が、自分のものじゃないみたいだった。


「ゼクスのところに行く。言う通りにすれば、みんなを解放するって言った。だから——」


「ダメだよ」


 タオが、カナリアの服の裾を掴んだ。


「ダメ。そんなのダメだよ」


「でも、タオのお母さんが——」


「それでもダメ」


 タオは、痣のある顔で、まっすぐカナリアを見た。


「お姉さんが言ったじゃないか。間違ってることは間違ってるって。ゼクスのやり方は、間違ってる。それに従ったら、お姉さんも間違いになる」




 カナリアは、タオを見た。


 泣きながら、それでも手を離さない子供。


 何かが、胸の奥で揺れた。


 でも、声は止まらなかった。


 ——お前のせいだ。


 ——お前が動けば、タオのお母さんも助かる。


 ——お前が我慢すればいいだけだ。


 ——お前なんて、どうせ。


 どうせ、何。


 ——どうせ、誰にも必要とされていない。


 その一言が、ひどく静かに、胸の中心に落ちた。




 ルニが、翼を広げた。


 黒い霧が、一気に広がった。


 毛並み全体が、暗い色に染まっていく。金色だった瞳が、濁っていく。


「ルニ」


 声をかけた。でも、ルニの体が震えている。カナリアの内側の揺れを、そのまま反映するように。


 ——止めないと。


 わかっていた。でも、止め方がわからなかった。


 声が止まらない。ルニの色が戻らない。タオがまだ服を掴んでいる。全部が同時に、押し寄せてくる。


 限界だった。




 カナリアの体から、魔力が溢れた。


 制御できない。意図していない。ただ、内側に溜まっていたものが、一気に外に出ようとしている。


 でも、その色が、白銀ではなかった。


 黒かった。


 ルニから溢れた霧と、カナリアから溢れた魔力が混ざって、部屋の中に暗い渦を作った。壁が軋んだ。床が震えた。


 タオが、後ずさった。


「お姉さん」


 その声が、遠かった。


 暗い渦の中心に立ちながら、カナリアは自分が自分でなくなっていく感覚を覚えた。


 ——このまま、消えてしまえば。


 その考えが、一瞬だけ、頭をよぎった。


 消えてしまえば、誰も傷つけない。自分のせいで、誰かが泣くこともない。


 ——消えれば。




 その瞬間、ルニが鳴いた。


 黒く染まった喉から、それでも、金色の声が出た。


 小さかった。かすれていた。でも、確かに聞こえた。


 カナリアの胸に、その音が刺さった。


 ——ルニが、鳴いている。


 暗い渦の中で、ルニがこちらを見ていた。黒く濁った瞳の奥に、かすかな金色が残っていた。


 消えていない。


 まだ、消えていない。


 ——ルニが、いる。




 渦が、少し揺らいだ。


 タオが、震えながらも、一歩前に出た。


「お姉さん」


 また、呼んだ。


「怖い。正直、めちゃくちゃ怖い」


 タオの声が、震えていた。


「でも、逃げない。お姉さんが、逃げなかったから」


 カナリアは、タオを見た。


 泣きながら、それでも立っている子供。


 ——この子は。


 ——この子は、わたしを見ている。


 消えてしまえばいい、なんて思いが、嘘のように感じた。




 渦が、揺らぎ続けた。


 でも、収まらなかった。


 カナリアの中の声は、まだ続いていた。黒い魔力は、まだ溢れていた。一人では、止められなかった。


 扉が、吹き飛んだ。


 廊下から、兵士たちが飛び込んでくる声がした。


 でも、その前に、別の足音が聞こえた。


 走ってくる足音。


「カナリア」


 聞き覚えのある声だった。


 ぼやけた視界に、茶色の髪が見えた。




 カイルだった。


 拘束術を、どうやって解いたのかわからない。体のあちこちに術の焼け跡がある。それでも走ってきた。


 カイルは、暗い渦の中に、躊躇わずに入ってきた。


 そして、カナリアの肩を掴んだ。


「カナリア。俺がいる」


 それだけ言った。


 説明も、慰めも、何もなかった。ただ、いる、という事実だけ。


 その手の温かさが、暗い渦を揺るがした。


「カイル、離れて。危ない」


「離れない」


「でも——」


「離れないって言ってる」


 カイルの手が、肩をしっかりと掴んでいた。




 黒い魔力が、揺れた。


 渦が、少しずつ小さくなった。


 完全には収まらなかった。でも、中心に、僅かな静けさが生まれた。


 ルニが、その静けさに向かって、かすれた声でもう一度鳴いた。


 カイルの手が、温かい。


 タオの視線が、温かい。


 ルニの声が、温かい。


 ——わたしは、ここにいる。


 その感覚が、じわりと戻ってきた。


 消えてしまいたい、なんて思いが、遠くなった。




 渦が、静かに収まっていった。


 黒い魔力が、霧散した。


 カナリアは、その場に膝をついた。


 体から、力が抜けていた。両手が震えていた。頭の中の声は、まだ残っていた。でも、さっきより小さかった。


 ルニが、よろよろと近づいてきた。毛並みはまだ黒く染まっていた。でも、金色の瞳が、少しだけ戻っていた。


「……ルニ」


 手を伸ばすと、ルニが頬に擦り寄った。




 カイルが、隣にしゃがんだ。


 しばらく、何も言わなかった。


 やがて、静かに口を開いた。


「全部、聞こえてたわけじゃない。でも、お前が限界だったのはわかった」


「……うん」


「一人で抱えすぎだ」


「わかってる」


「わかってるのに、やめられないんだろ」


 カナリアは、何も言えなかった。


「俺も、そうだったから」


 カイルは、前を向いたまま言った。


「全部自分でなんとかしようとして、限界を超えて、ルナが真っ黒になったことがある」


「……カイルも?」


「一度だけ。でも、忘れない」


 カイルは、カナリアを見た。


「その時、俺を止めたのは、ルナの声だった」




 タオが、そろそろと近づいてきた。


 カナリアの前に座って、しばらく黙っていた。


 それから、小さく言った。


「お母さんのこと、諦めてない」


「タオ……」


「でも、お姉さんに無理させたくない。お姉さんが壊れたら、わたし、もっと嫌だ」


 子供の言葉だった。でも、真っ直ぐだった。


 カナリアは、タオの頭に手を乗せた。


「……ありがとう」




 その夜は、三人で部屋にいた。


 タオはいつの間にか眠っていた。カイルは扉の前に座って、目を覚ましていた。


 カナリアは、ルニを抱えたまま壁に凭れていた。


 頭の中の声は、まだあった。完全には消えていない。


 黒い霧も、まだルニの毛並みに残っていた。


 でも、今夜は一人じゃなかった。


 ——まだ、終わっていない。


 カナリアは目を閉じた。


 暗闇の中に落ちる感覚は、まだそこにあった。


 でも、その暗闇の底に、かすかな光が見えた気がした。


 まだ小さい。でも、確かにある。


 ——あの光のところまで、行かなければ。


 その思いだけを胸に、カナリアは夜を越えた。



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