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虚空のレクイエム ―絶望の魔法世界で、少女は機械の記憶を歌う―  作者: 畠山ゆな@姉弟で小説共作✏️
闇の陥穽と、克服の誓い

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帝国の罠:再来する「恐怖」



 朝から、街の空気がおかしかった。


 いつもより人が少ない。市場の声が、どこか抑えられている。獣牙族の居住区を歩いていた獣牙族の男たちが、急いで建物の中に消えていった。


 カイルが、立ち止まった。


「帝国の兵だ」


 低い声だった。


 大通りの向こうから、白銀の鎧が見えた。一人、二人ではない。整然と並んだ隊列が、街の中心へ向かって進んでいた。


 そして、その先頭に。


 銀灰色の髪が、朝の光に光っていた。




 ゼクスだった。


 バルガ村で見た時と、何も変わっていない。白い将校服。無駄のない立ち姿。感情を持たない目。


 でも、一つだけ違うことがあった。


 その目が、真っ直ぐにカナリアを向いていた。


 偶然ではなかった。迷いのない視線だった。最初からここにいることを知っていた、という目だった。


「見つけた」


 ゼクスが、静かに言った。


 たった二文字が、背筋を凍らせた。




 逃げる間もなかった。


 兵士たちが、瞬く間に周囲を囲んだ。カイルが前に出ようとした瞬間、魔導士の拘束術が走った。青白い光がカイルの全身に絡みついて、その場に縫い止めた。


「カイル」


「大丈夫だ」


 カイルは歯を食いしばりながら言った。でも、体が動かない。


 ルニが翼を広げた。カナリアを守ろうとしている。でも、ゼクスが指を一本立てると、別の魔導士がルニに向かって術を放った。


「ルニ、ダメ」


 咄嗟に腕の中に抱え込む。ルニを守った代わりに、カナリア自身が術を受けた。


 腕に、力が入らなくなった。




 帝国の施設に連れて行かれた。


 ゼノビアの中心部、天人族の居住区の奥にある、白い石造りの建物。表向きは行政施設らしい。でも、中に入ると空気が変わった。


 窓がない。外の音が聞こえない。


 廊下を歩かされながら、カナリアは状況を整理しようとした。カイルは別の場所に連れて行かれた。ルニは腕の中にいる。術の影響で体が重いけれど、意識ははっきりしている。


 ——落ち着いて。今できることを考える。


 自分に言い聞かせた。


 でも、足が、かすかに震えていた。




 通された部屋は、広かった。


 窓のない白い壁。中央に椅子が一脚。それだけの部屋。


 ゼクスが向かいに立った。兵士たちは扉の外に出た。部屋には、二人だけになった。


 ゼクスは、しばらくカナリアを無言で見ていた。


 値踏みする目ではなかった。今日の目は、違う。何かを、分析している目だった。


「バルガ村で白銀の炎を出した少女」


 やがて、口を開いた。


「あの力の正体を調べた。龍脈の継承者——セラとリュウの娘」


 カナリアは、何も言わなかった。


「記憶がないと聞いている。だが、力は確かに持っている」


「……何が目的ですか」


「協力してもらう」


 ゼクスは静かに言った。


「龍脈の再起動には、お前の力が必要だ。帝国に従えば、悪いようにはしない」


「従わなければ?」


「その必要はない」


 ゼクスの目が、細くなった。


「従うように、なってもらうだけだ」




 その言葉の意味が、すぐにわかった。


 翌日から、始まった。




 最初は、情報だった。


 帝国の兵士が部屋に来て、淡々と告げた。


「ゼノビア東区画の獣牙族、三十七名が帝国の管理下に置かれた」


 カナリアは黙っていた。


「そのうちの一名は、カイルという青年だ」


 胸が締まった。でも、表情を動かさなかった。


「彼の処遇は、お前の態度次第だ」




 次の日は、別のことを言った。


「マリンという海鱗族の少女を知っているか」


 カナリアは答えなかった。


「彼女の家族が、帝国の徴収対象になった。全員の魔力を搾り取れば、冬を越せないかもしれない」


 沈黙。


「お前が協力すれば、対象から外す」




 三日目は、もっと直接的だった。


 ゼクスが自ら部屋に入ってきた。椅子に座って、書類を広げた。


「お前がこの一週間でゼノビアに関わった者のリストだ」


 書類には、名前が並んでいた。タオ。市場の老人。海鱗族の母子。マリン。


「全員、帝国の管理下に置くことができる」


 カナリアは書類を見た。


「お前が余計なことをするから、こうなった」


 ゼクスの声は、感情がなかった。


「お前が黙っていれば、彼らは普通に生きていた。お前が動くから、帝国は彼らを把握した。お前のせいだ」




 ——お前のせいだ。


 その言葉が、頭の中で反響した。


 記憶の底で、何かが揺れた。


 ——お前がいるから、ややこしくなるんだ。


 ——お前さえ黙っていれば。


 ——お前のせいで、みんなが迷惑してる。


 声が、重なった。顔の見えない、冷たい声。


 ——知ってる。この言葉、知ってる。


 呼吸が浅くなった。


 ゼクスの声が、遠くなった。現実と記憶の境界が、溶けそうになった。




 ルニが、腕の中で震えた。


 その振動で、現実に引き戻された。


 ゼクスを見た。書類を持ったまま、こちらを観察している目。感情がない目。でも、今は確かに、何かを計算している目だった。


 ——これは、罠だ。


 頭が、急速に冷えた。


 心を揺さぶって、判断を鈍らせるための罠。自分のせいだと思わせて、従わせるための言葉。


 ——わかってる。


 でも、わかっていても、揺れた。


 タオの顔が浮かんだ。マリンの声が聞こえた気がした。カイルの、歯を食いしばった顔が見えた気がした。




「……一つ、聞いてもいいですか」


 カナリアは、口を開いた。


 ゼクスが目を上げた。


「あなたは、本当にそれが正しいと思っているんですか」


「正しい、とは」


「人を道具みたいに扱うこと。誰かを傷つけることで、別の誰かを動かすこと」


 ゼクスは、少し考えた。


「正しいかどうかは関係ない」


「じゃあ、何が基準なんですか」


「効率だ」


 やはり感情のない声だった。


「感傷は判断を鈍らせる。必要なことを、必要なだけやる。それだけだ」


「その『必要なこと』の中に、人の痛みは入っていないんですか」


「入れる必要がない」




 カナリアは、ゼクスを見た。


 冷徹な顔。無駄のない言葉。感情を排除した目。


 でも——。


 ——本当に、何も感じていないんだろうか。


 バルガ村で見た時から、ずっと引っかかっていることがあった。


 ゼクスは残酷だ。でも、楽しんでいる顔をしたことが、一度もない。怒った顔も、嘲った顔も。ただ、ひたすら無だった。


 ——なぜ、無でいられる。


 その問いは、今は答えが出なかった。




「答えは、まだ出ません」


 カナリアは言った。


「協力するかどうか、今すぐは決められない」


「時間は、そう多くない」


「わかっています」


 ゼクスは、立ち上がった。


「明日、また来る」


 扉の方へ歩きながら、一度だけ振り返った。


「お前は感情で動く。だから弱い」


 それだけ言って、出ていった。




 一人になって、カナリアは膝を抱えた。


 ルニが、そっと隣に来た。


 毛並みの黒い霧が、昨日より濃くなっていた。


 ——わかってる。


 心の中で言った。


 今日、何度も揺れた。何度も、声に飲まれそうになった。お前のせいだ、という言葉に、何度も胸を刺された。


 でも。


「ルニ」


 呼ぶと、ルニが顔を上げた。


「わたし、まだ大丈夫」


 ルニの金色の瞳が、じっとこちらを見ていた。


「怖い。正直、すごく怖い」


 声が震えた。


「でも、あいつの言葉に従ったら、それこそ終わりな気がする」




 夜、カナリアは天井を見上げながら、考えた。


 カイルのこと。タオのこと。マリンのこと。


 彼らを守りたい。でも、そのために自分を売ったら、両親が命をかけて守ろうとしたものを、自分が壊すことになる。


 ——どうすればいい。


 答えは、出なかった。


 でも、一つだけはっきりしていることがあった。


 ゼクスは言った。感情は判断を鈍らせる、と。


 でも、カナリアは思った。


 ——感情があるから、守りたいものがわかる。


 守りたいものがあるから、立ち上がれる。


 それを弱さと呼ぶなら、弱くていい。




 ルニが、カナリアの胸の上に乗ってきた。


 黒い霧が揺れた。金色の光が、その奥に見えた。


 消えていない。


 まだ、消えていない。


 カナリアは目を閉じた。


 明日、ゼクスがまた来る。


 その時、何を言うべきか。まだわからない。


 でも、今夜は眠る。


 眠れないかもしれないけれど、それでも、目を閉じる。


 ——明日も、わたしはわたしでいる。


 その一点だけを、胸に抱いて。



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