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在らぬ者は名を持たない  作者: 紋 余白


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第三章『手の中の日常』

「おや、今日は遅かったねぇ!夕飯は?」


馴染みの宿屋。部屋へ向かう階段を上がる途中、女将に呼び止められた。


「…そうでもない。食事ならある」


食料が入った紙袋を軽く掲げて見せると、女将の表情が少し険しくなる。


「アンタねぇ、冒険者ならもっとしっかりしたもん食べなさいな!後で温かいスープ届けてあげるから、それもちゃんと食べるんだよ!」


それだけ捲し立て、俺の返事も聞かずに行ってしまった。お節介だと思う反面、ここのスープは美味いから有難い。


2階へ上がり、借りている角の部屋へ向かう。

部屋に入ってマントを脱ぎ荷物を下ろすと、まずやるのは素材の選別だ。種類ごと、用途ごとに分けていく。猫の捜索と並行しての採取はそれなりにハードだったが、最低限必要な量は確保出来た。

調薬する為の簡易な器具を取り出し、いつも通りに作り始める。


(そういえば…彼らはどうなっただろうか)


ふと、仕事の最中に遭遇した出来事を思い出す。

明らかに初心者のようだった。流石に死んでいないだろうとは思うが…


――コンコン


不意に扉を叩かれ、手が止まる。


「お客さん、スープ持ってきました…」


か細い声。素早くマントを着け、フードを被ってから扉を開く。

この宿屋の息子が、どこかおどおどとした様子でこちらを見上げてきた。差し出されたトレイの上から、スープとスプーンを受け取る。


「ああ、ありがとう。女将にもそう伝えてくれ」


あまり目を合わせないようにして告げる。

見るからに怯えている彼を直視しては、余計に怖がらせるだけだろう。


「あ、はい…その。食器は扉の前に置いててください。あとで取りに来ます」


それじゃあ、と軽く頭を下げて走り去っていく後ろ姿を見送ってから、扉を閉めた。

その場でひと口。うん、やっぱり美味い。


作業に戻り、普段通りの手順で薬を作っていく。

染み付いた感覚に任せ、色合いや匂いを確認。問題無く仕上がったものは、大きさも形も不揃いな瓶の中へ次々と注ぎ、完成。使うのは自分だからと、見た目には拘らない。


ようやく終えた頃には夜も更けていた。

そういえば、食器を出しておくのを忘れたな…。


食べ終えた後、食器をテーブルの上に放置したままだった。この時間じゃ、流石に皆寝静まっているだろう。

窓を開け、外を見れば灯りが付いているのは酒場くらいなものだった。


(…起きてから持って行くか)


今日はもう寝よう。



朝早く食器を返しに行った俺に、ギルドから呼び出しの連絡が入っている旨を告げられることになるとは…この時、全く予想だにしていなかった。

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