「あの曲に会いたい」シリーズ(その32) ー 高原
ふとした瞬間に、耳の奥で鳴り出すメロディ。
どこかの喫茶店で、通りのスピーカーから、あるいは記憶の片隅から――
「あの曲、もう一度聴きたいな」と思うことがあります。
このシリーズは、そんな“音の記憶”をたどるエッセイ(ほとんど独り言…)です。
1960年代から80年代の曲を中心に、ジャンルも国境も問わず、ロックもポップスも歌謡曲もフォークも、何でもありです。
え? 私の年齢? それはヒミツです。
シリーズタイトルは、NHKの番組『あの人に会いたい』のパクリです。(;'∀')
でも、「あの曲が聴きたいなぁ」と思うときって、曲を聴くのと同時に――
当時その曲を聴いていた“自分”に会いに行くような感覚も、どこかにある気がします。
(こじつけ感ツヨっ!)
投稿は不定期で~す。(;^ω^)
1976年にリリースされた、小室等さんのアルバム「いま 生きているということ」からの一曲です。
作詞は別役実さん、作曲は小室等さんです。
私がこの曲を知ったのは、1979年にリリースされた小室等さんのアルバム「小室等23区コンサート東京旅行」を聴いた時でした。
「小室等23区コンサート東京旅行」は、1970年代に小室さんが東京23区内の様々な場所で行ったライブ音源をまとめたライブ・アルバムです。
聴いていて、まるで目の前で小室等さんが歌っているような、とても臨場感があるライブ・アルバムだと思います。
アルバム「いま 生きているということ」バージョンの《高原》では、ギター,ピアノ、バイオリン、ドラム(パーカッション?)などの楽器が入っていますが、このライブ・バージョンでは、小室さんのギター、ボーカルと、尺八奏者の関一郎さんの尺八のみです。
大変美しい曲で、大好きな曲です。
別役実さんの高原の風景を語る詩、そして小室さんのとても美しいメロディーが、ふわ~っと、まるで目の前にホログラムのように高原の風景を浮かび上がらせてくれます。
曲は三番構成で、それぞれ高原の「朝→昼→夜」と、時間の移ろいにともなって表情を変える高原の風景を描写していて、特にライブ・バージョンの関一郎さんの尺八が、朝のそよ風の描写にピッタリ合うんですね!
歌詞の中では、特別なことは何も起こりません。
野いちご、道に生える草、子ウサギ、雲、夜空の星などの高原の風景を淡々と語ります。
そして1番、2番、3番、それぞれの最後で "今僕は生きている" と語ります。
"今僕は生きている"ーーーー
今まで自分は、そう感じたことってあったかなぁ~、なんて考えてしまいました。
この《高原》というタイトルの詩、高原に住む人ではなく、高原を訪れた人の視点で書かれたと想像するのであります。
何故なら、日々高原の中で暮らす人々が、何も特別ではない日常の高原の風景の中で"今僕は生きている"と語るのは違和感を感じてしまいます。
そして、以下の歌詞の一説のように感じる事も不自然かな、と思います。
見上げると怖いくらい
星がひしめいて
例えば、都市や町で暮らす人が日常を離れて高原で味わう感覚ーー
日常意識していない木々、草花、動物、虫たち、といった"生命"に囲まれている自分、
時の移ろいに伴って表情を変える自分が生きる地球という星
そういった存在達の中で、"自分は生かされている"と実感する瞬間を描いたのでは?なんて思うのであります。
それにしても、"今僕は生きている"なんて感じる瞬間があったら、それはとても幸せな瞬間なのではないでしょうか?
でも、こんなこと考えるの、ひょっとして私だけ...?
※この曲は動画サイトなどで検索すると聴けます。
(検索ワード:「高原 小室等」)




