「あの曲に会いたい」シリーズ(その30) ー 野良犬
ふとした瞬間に、耳の奥で鳴り出すメロディ。
どこかの喫茶店で、通りのスピーカーから、あるいは記憶の片隅から――
「あの曲、もう一度聴きたいな」と思うことがあります。
このシリーズは、そんな“音の記憶”をたどるエッセイ(ほとんど独り言…)です。
1960年代から80年代の曲を中心に、ジャンルも国境も問わず、ロックもポップスも歌謡曲もフォークも、何でもありです。
え? 私の年齢? それはヒミツです。
シリーズタイトルは、NHKの番組『あの人に会いたい』のパクリです。(;'∀')
でも、「あの曲が聴きたいなぁ」と思うときって、曲を聴くのと同時に――
当時その曲を聴いていた“自分”に会いに行くような感覚も、どこかにある気がします。
(こじつけ感ツヨっ!)
投稿は不定期で~す。(;^ω^)
野良犬
1976年に、泉谷しげるさんがリリースしたアルバム「家族」のオープニング・ナンバーです。
このアルバムを聴いた時の私の第一声は、
「うわっ、おしゃれ!」
アルバム全体が、スタイリッシュなアコースティック・サウンドで、これまでの泉谷しげるさんの曲、例えば《国旗はためく下に》の強烈な嘆き、《Dのロック》の辛辣な皮肉、《春のからっ風》の情念、《春夏秋冬》の内省、そういったモノを私はあまり感じなかったのであります。
なので、アルバムが醸し出すアコースティックで魅力的な音の世界に、速攻ストレートに惹き込まれました。
で、この《野良犬》ですが、最初は、都会の不穏な情景を歌っているのだろう、そう思ったんですね。
歌詞は、
野良犬がうろつく日は
町の色がしめっぽくなり
で始まり、チンピラ、ヤクザ、警官、八百屋のおかみの駆け落ち、隣の若奥さんの失踪などが語られます。
特に、歌詞の "うわさが川にすてられる" という一節は、都会で次々に巻き起こる犯罪、ゴシップが日々塗り替えられていく様子を歌っている様に聴こえたんですね。
曲の冒頭、"野良犬がうろつく日は" は、1976年当時の日本の都会にはこの一節は合わないと思い、野良犬とは "都会で何か不穏な事が起こりそうな予感" の象徴だろう、なんて勝手に解釈しておりました。
で、後で知るのですが、黒澤明監督の映画『野良犬』がモチーフになっているようです。
泉谷さんは、この「戦後間もない頃のエネルギッシュな連中たちの映画」が大好きだそうです。
なので、泉谷さんは、映画『野良犬』が描く、犯罪が日常茶飯事だった戦後直後の東京の空気感を、"野良犬の顔"と称して表したのかもしれません。
サウンドの方ですが、泉谷さんのユニークなカウントで、ミュートの効いた渋いアコギ(たぶん泉谷さん)のストロークが始まり、ピアノが被さってきます。
そのリズムが、まるで野良犬がスタスタと歩いている様に聴こえます。
そして、有山じゅんじさんのアコギが更に被さってきます。
この有山じゅんじさんのプレイが超絶カッコいいんです!
マイナーの曲調でノアール風(?)、確かに映画『野良犬』の世界にマッチしているなぁと感じます。
(実は、この曲を聴いた時に、私の中に浮かんだのは、同じく黒澤明監督の映画『用心棒』のオープニング・シーンでした。何故なら、三船敏郎さん扮する風来坊がある宿場町に辿り着いた時に、人間の手を咥えた野良犬が通り過ぎて行くんですね。これから何か不穏な事が起こりそう...そんなシーンが蘇ってきたのです。)
この「家族」というアルバムは、私にとっては新鮮な「スタイリッシュな泉谷しげるさん」という一面を見せてくれました。
が、次にリリースされたアルバム「光石の巨人」で、私は泉谷しげるさんの音楽の多様性に、更にぶっ飛んでしまうのでありました。
(「光石の巨人」についても、またいつか書かせていただきたいと思います。)
※この曲は動画サイトなどで検索すると聴けます。
(検索ワード:「野良犬 泉谷しげる」)




