「あの曲に会いたい」シリーズ(その27) ー 私の青空(後編)
ふとした瞬間に、耳の奥で鳴り出すメロディ。
どこかの喫茶店で、通りのスピーカーから、あるいは記憶の片隅から――
「あの曲、もう一度聴きたいな」と思うことがあります。
このシリーズは、そんな“音の記憶”をたどるエッセイ(ほとんど独り言…)です。
1960年代から80年代の曲を中心に、ジャンルも国境も問わず、ロックもポップスも歌謡曲もフォークも、何でもありです。
え? 私の年齢? それはヒミツです。
シリーズタイトルは、NHKの番組『あの人に会いたい』のパクリです。(;'∀')
でも、「あの曲が聴きたいなぁ」と思うときって、曲を聴くのと同時に――
当時その曲を聴いていた“自分”に会いに行くような感覚も、どこかにある気がします。
(こじつけ感ツヨっ!)
投稿は不定期で~す。(;^ω^)
私の青空(後編)
1973年に日本のフォークシンガー、高田渡さんがリリースしたカバー曲です。
オリジナルは古く、1927年にリリースされたアメリカのポピュラーソングです。
Wikiによると、作曲は、ウォルター・ドナルドソン、作詞は、ジョージ・A・ホワイティング、日本語訳詞は、堀内 敬三さんです。
前編では、"定住できない放浪状態"という、私が抱いている高田渡さんの印象と、《私の青空》という曲の選曲に違和感を感じている事を書かせていただきました。
――高田渡さんは、なぜこの歌を選んだのでしょうか?
これが私が謎に思う問いなのであります。
オリジナルの歌詞は、家路を急ぐ男が、妻と子供が待つ我が家、男にとっての”青い天国”に思いを馳せ、幸せを感じている、そんな情景を語ります。
そして、その我が家を“バラの花が咲く間に佇む小さな巣”と言っていますが、堀内 敬三さんの日本語訳詞では「狹いながらも楽しい我が家」となっています。
さすがに”バラの花”は日本の風景には合わないと思ったのではないでしょうか。
実際、この日本語訳された一節があると、一気に日本の風景が見えてきそうです。
そして私が感じる違和感も、この一節にあります。
"定住できない放浪状態"と"狹いながらも楽しい我が家"が繋がらないのです。むしろ、真逆の様な気がします。
定住の場所を"私の青空"と歌っているのであります。
私の中でこの違和感は暫く燻っていました。
ある日、お酒をたしなみながら「タカダワタル的」のDVDを観ていた時の事です。
その中で、高田渡さんは、自分の奥様について、こんなことを語っています。
「こんな、ふらっと家を出て行ってしまう男に、
よく付いて来てくれると思う」
この言葉を聴いた時、ハタと思いました。
高田渡さんは、確かに放浪する人でした。
けれど同時に、「帰る家」を持っていた人でもありました。
そして、その家を守っていたのは、彼の奥様だったのではないでしょうか。
もしそうだとしたら——
《私の青空》は、高田渡さんの奥様の存在を、そっとなぞる歌だったのではないか、そう思ったのです。
自分がじっとしていられない間も、
変わらずそこにあった場所。
黙って帰りを待っていた人。
「私の青空」とは、高田渡さんにとっての“世界”ではなく、
“帰る場所そのもの”だったのかもしれません。
つまり、《私の青空》とは、帰る場所そのもの、
そしてそれを守り続けていた奥様の存在を指しているのではないでしょうか。
だとすると、この曲は、高田渡さんが密かに奥様への感謝を表した歌、
ひょっとしたら——彼が歌った唯一のラブソングだったのかもしれません。
そう考えたときに初めて、
「なぜこの曲を選んだのか」という私の中の違和感が、
静かに氷解していったのでした。
こんな事を書くと
「バカ言ってんじゃねぇよ!」
という高田渡さんの声が聴こえてきそうですけど...
1995年に高田渡さんが歌った《ホントはみんな》という曲も、"家で待っている人がいる事の幸せ"を歌った曲ですね。
(この曲を聴くと、シチューが食べたくなります。
(๑´ڡ`๑))
東京の吉祥寺に、生前、高田渡さんが好んで通っていた、ある有名な焼き鳥屋さんがあります。
その前を通る度に、美味しそうな焼き鳥の匂いと、昼間から気持ちよさそうに立ち呑みしている人々に、つい引き寄せられそうになるんです。
実は一度だけ、そこで楽しそうに、オシャベリをしながらお酒を飲んでいらっしゃる高田渡さんをお見かけした事があります。
高田渡さんのライブを観に行こう行こう、と思いながら、結局行くことはありませんでした。
高田渡さんの生歌も勿論聴きたかったですが、ステージ上で寝落ちしてしまうお姿も観たかったなぁ、そう悔んでしまうのであります。
※この曲は動画サイトなどで検索すると聴けます。
(検索ワード:「私の青空 高田渡」)




