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5 恐怖の中で灯る勇気

 Aクラスの教室では、エレーネ・ローレンツ先生がいつもの調子で淡々と授業を進めていた。


 この学院で「氷の理論家」と密かに呼ばれる女教師エレーネ・ローレンツ。

 長い銀髪をゆるく後ろでまとめどこか年齢不詳な雰囲気。

 涼しげな切れ長の目元には表情がほとんど浮かばず凛とした佇まいがひときわ目を引く。


 エレーネは生徒の誰よりも落ち着いた声で淡々と語り始める。


「魔法というものは単なる“力”ではありません。理論と心、そして環境の相互作用で成り立つものです。今日のテーマは“結界魔術の理論”結界とは単に外敵を防ぐだけではなく内側にいる者を守る術でもあります」


 彼女は無駄な抑揚のない話し方でどこかマイペースな雰囲気さえ漂わせている。

 だがその瞳には、生徒たち一人ひとりをよく見ている静かな観察力と冷静な知性が宿っていた。


 無表情なまま黒板に魔法陣の図形を描きチョークが乾いた音を響かせる。その仕草すら妙に静かで教室に緊張感が走る。


「質問のある者は?」


 エミリアは教科書に目を落としながらも教室で昨日の話題がささやかれているのを耳にしていた。


「昨日、Cクラスのあの落ちこぼれレオナさんが魔法を発動したって」「今まで一度も成功しなかったのに一体どうしたんだろ?」「さすがエミリア様の妹ってことなのかしら?」


 そんな声が耳に入るたびエミリアの指先に力が入る。


(なんなのよ。どうし、みんなあの子の話ばかり。たまたま一度魔法が出ただけなのに)


 イライラを隠せず授業内容はまったく耳にはいってこない。


(昨日は偶然よ。あんなの偶然に決まってる。どうせまたすぐ“できそこない”に戻るんだから)


 表情に出さ心の中でそう自分に言い聞かせる。




 Cクラスのグラウンドでは、バルド・ドラコーニ先生の豪快な声が響いていた。


「おいそこ! サーシャ、もう一歩前に出ろ! 魔法は気合いと根性だ! レオナ、怖がらずにいってみろ!」


「は、はい!」


 レオナはサーシャやカリンと一緒に実践魔法の訓練に汗を流していた。

 まだ魔力はうまくコントロールできず火花程度の炎しか出せない。けれどバルド先生は「気にするな! 続けてみろ!」と背中を押してくれる。


「レオナあせらなくて大丈夫だよ。昨日できたんだしきっと今日もいけるって!」

 サーシャが笑顔で励まし、カリンは小声で「まあ、理論上は昨日より悪くなることもあるけど」とぼそり。


 そんなやりとりにレオナの表情も柔らかくなる。

 新しい友人と少しずつ「居場所」ができてきたような気がした。


 だがその穏やかな時間は唐突に終わりを告げた。


 ギャアアッ――!


 校庭の端からけたたましい叫び声と羽音が響き渡る。


「な、なに……?」


 校庭の向こう、石塀の外から現れたのは巨大な猛禽の翼と獅子の身体を持つ魔獣グリフォンだった。

 黄金色のたてがみが逆立ち鋭い鉤爪が地面を引っかくたびに土煙が舞い上がる。

 赤く光る目は獲物を見つけた猛禽そのもの。巨大な翼が一振りされるたび生徒たちの悲鳴をかき消すほどの風が巻き起こる。

 噂でしか知らなかった魔獣の圧倒的な存在感と暴力的なまでの生命力がその場にいた全員の足をすくませた。


「嘘でしょ!? グリフォン!? 学校の結界はどうしたの!?」


 Cクラスの生徒たちがざわつきはじめた直後バルドが大声を張り上げる。


「落ち着け! パニックになったら逃げ遅れるだけだ! お前ら全員まとまって校舎に向かえ!」


 その迫力に圧倒されて生徒たちは一瞬で静まり返る。

 生徒たちが「はいっ!」と返事をしバルドの指示のもとで整然と避難を始めた。


 混乱の中、レオナ、サーシャ、カリンは手をつなぐようにして人波をかきわけ校舎への避難を試みる。だが、扉を塞ぐように一匹のグリフォンが彼女たちに狙いを定めてきた。


「ダメ!この扉からはいけない! あっちから行きましょ!」


 サーシャが声を上げ、カリンはすぐに風の魔法を詠唱するも、弱い風がグリフォンの進行をほんのわずかだけ遅らせただけだった。


「レオナも魔法を!」


「う、うん!」


 レオナは震える手を前に出し「ファイヤー!」と叫ぶ。

 指先からほのかな火花が飛ぶがグリフォンの巨体には通じない。


「やっぱりダメ……!」


 サーシャは石を拾って投げ、グリフォンの注意を引こうとするが逆に怒らせてしまい鋭い爪が迫る。


 グリフォンは怒りの唸り声をあげ、サーシャめがけて一気に飛びかかってきた。

 サーシャが「きゃっ!」と身をすくめたその瞬間。


「やめて!」


 レオナは無意識のうちに手を伸ばし叫んだ。

 「ウィンド・ブラスト!」

 その声とともに彼女の手から突風が走る。

 思いがけず強く放たれた風の魔法がグリフォンの顔面を直撃した。


 巨体がたじろぎ鋭い爪がサーシャに届く寸前で軌道を外れる。

 サーシャは目を見開きながらその場に崩れ落ちた。


「レオナ……助かったよ、ありがとう!」


 レオナ自身も驚きで息を呑みながらサーシャを見つめた。


 三人は必死に逃げるがグリフォンは執拗に追いすがる。

 角を曲がったところでついに袋小路に追い詰められレオナが顔を青ざめさせた。


「やばい……追い詰められた」


 背後の壁にぶつかる寸前グリフォンの影が大きく覆いかぶさってくる。

 鋭い嘴がレオナたちに向けて突き出され荒い息遣いと生臭い風が頬をなでた。


 サーシャは震える手で魔法と唱えようとしたが、呪文も声にならない。

 カリンは必死に出口を探すもどこにも逃げ道が見当たらない。

 グリフォンは今にも飛びかかってきそうで、三人とも足がすくんでその場から動けなくなっていた。


 次の瞬間グリフォンの巨大な前脚が振り上げられ、鋭い爪がレオナたち目がけて一気に振り下ろされる――。


「アイスランス!」


 その刹那、凍てつく風が空気を切り裂き氷の槍が一直線にグリフォンの翼に突き刺さった。


 甲高い叫び声とともにグリフォンは怒りに満ちた目で反対方向を振り向く。

 そして、威嚇するように後ろ足で立ち上がり翼を大きく広げて「ギャアアッ!」と甲高く鳴き声をあげた。


「下がって!」


 凛とした声が響き、クロードが颯爽とグリフォンの前に立ちふさがる。


「次はこいつだ!フロストチェイン!」


 王子の手が素早く魔法陣を描き次の瞬間、青白い氷の鎖がグリフォンの四肢を絡め取る。

 王子は冷静に見据えさらに詠唱を重ねる。


 クロードは澄んだ声で詠唱した。


「これで終わりだ!ブリザード・デストラクション!」


 一瞬、空気が張り詰め世界の温度が急激に下がった。

 王子の足元から魔法陣がきらめき氷と風が渦を巻いてグリフォンへと収束していく。

 白銀の吹雪が嵐のようにグリフォンを包み込み、あっという間にその巨体を凍てつかせていった。


 グリフォンは驚愕と苦痛に満ちた声で吠えるが、たちまち翼も爪も氷の中に閉じ込められ全身が青白い氷像へと姿を変える。


 次の瞬間――


 「……砕けろ!」


 王子が指を鳴らすと、氷像となったグリフォンが轟音とともに粉々に砕け散り、細かな氷の粒となって宙に舞った。

 その残骸は冷たい風とともに静かに消えあとには白い霧と静寂だけが残った。


 サーシャもカリンもレオナも呆然と王子を見つめるしかなかった。


 クロードはレオナたちに近寄ると柔らかな笑みを浮かべて言った。


「みんな怪我はない? 危ないところだったね」


 サーシャとカリンを順に見て傷や動揺がないかそっと視線で確かめる。

 そして最後にレオナの前にしゃがみ込むようにしてその表情をしっかりと見つめた。


「レオナ大丈夫? 怖かったよね。無理しないでしっかり呼吸して」


 優しい声にレオナのこわばっていた肩がほんの少しだけ緩む。

 王子の手が自分の不安も見透かしてくれているようでレオナは思わず小さくうなずいた。


 クロード王子がグリフォンを倒した瞬間、レオナたちの周囲から重苦しい緊張がすっと消えた。

 けれど、グラウンドや校舎のあちこちからはいまだ獣の咆哮や悲鳴、そして魔法の爆ぜる音が断続的に聞こえてくる。


「ありがとうございますクロード王子。助けてくれて……本当に……」


 サーシャが胸を押さえながら礼を言い、カリンは小声で「すご、これが本物の王子か……」とつぶやいた。

 レオナはまだ心臓の鼓動が収まらないままようやく口を開く。


「助けてくれてありがとうございます。わ、私……足を引っ張ってばかりでごめんなさい……」


 クロードは苦笑しながらそっとレオナの肩に手を置く。


「そんなことはない。みんなのおかげで時間を稼げた。君たちはとても勇敢だったよ」


 王子の優しい言葉に3人は少し誇らしく、少し恥ずかしそうだった。


 しかし余韻に浸る間もなく近くからまた新たなグリフォンの叫び声が聞こえた。


「見て! グリフォンがもう一匹屋根の上に!」

 レオナの指が指す屋根に、グリフォンが天を仰ぎ叫び声をあげている。


「何体いるのあいつら!」


 サーシャが顔をしかめ、カリンが素早く状況を分析する。「結界が完全に機能していない。これ誰かが内部で細工したとしか……」


「ひとまず安全な場所に避難しよう」

 クロードは三人を先導しながら魔法で簡易的なバリアを作って進む。校庭ではバルドが炎と氷の魔法を駆使して何体ものグリフォンと渡り合っている。


「おらぁっ! 俺の生徒には指一本触れさせねぇぞ!!」


 生徒たちを守るため汗だくで立ち回るバルド先生。


 だが、どれだけ教師たちが奮闘してもグリフォンの数は多い。Aクラス、Bクラスの生徒も果敢に戦っているがなかなか形勢を覆せない。


 だがそのとき、校舎の正面玄関から妙にゆったりとした足取りの男が一人、校庭へ向かって歩いていった。

 白髪に鋭い目気の抜けた笑みを浮かべたヴァイスだった。


「おやおや……戻ってきたら随分と賑やかだねぇ」


 グラウンドの隅で戦っていたバルドが汗だくの顔でヴァイスを振り返り叫ぶ。


「何をのんびりしてるんだヴァイス! 早くなんとかしろ!」


 ヴァイスは肩をすくめてのんきに笑った。


「ごめんごめん、道草を食ってたら遅くなっちゃって。ま、片付けは得意だから任せてよ」


 そう言うとヴァイスはゆっくりと片手を掲げ軽やかに指を鳴らす。


 ヴァイスはゆっくりと片手を掲げ軽やかに指を鳴らす。その仕草はどこまでも飄々としているのに空気が一瞬で凍りつくような圧倒的な気配が走った。


「アブソリュート・ノクターン」


 静かな声が響いた瞬間、魔法陣が校庭いっぱいに広がった。

 その魔法は一切の熱気も音も呑み込み、まるで夜そのものが降り立ったかのようにあたりが静寂に包まれる。


 グリフォンたちが動きを止め影に呑まれるように次々と姿を消していく。雄叫びも羽ばたきもすべてが闇の彼方へ吸い込まれ、瞬く間に学院から魔獣の姿が消え失せた。


 残ったのは冷たい静けさとヴァイスのゆるい微笑みだけ。


「ふう……これで静かになったね」


 その場にいた教師も生徒も誰一人としてヴァイスの本当の実力を疑うことはできなかった。

 彼の放った一撃。それは、“規格外”という言葉さえ生ぬるい絶対的な魔法だった。


「え……?」


「グリフォンが消えた……?」


 生徒達がいっせいに騒然となる。

 バルド先生はしばらく呆然と立ち尽くしたあとヴァイスに向かって大声で叫んだ。


「おいヴァイス! 来るのが遅いんだお前は! でも助かったぜ!」


「いやいや、バルトのおかげで生徒も無事みたいだ。さすが熱血教師だね」


 ヴァイスは肩をすくめて笑い、バルドもガハハと両手を腰にあて大笑いをした。


 生徒たちは息を呑みヴァイスの規格外の力に改めて圧倒されていた。


「すごい……ヴァイス先生ってあんなに強いんだ」

 サーシャがぽつりと呟き、カリンも珍しく感情をあらわに「うん……格が違う」と感心する。


 クロードはレオナの方を見て微笑む。


「本当によく頑張ったね。怖かっただろう?」


 レオナは少し戸惑いながらもうなずいた。


「はい。すごく怖かったです。でも……逃げちゃいけないって思って必死で魔法を使いました」


 その言葉にサーシャが思わずレオナの腕をぎゅっと握る。


「レオナがいてくれて本当に助かったよ! あの時あの魔法がなかったら、私……たぶんやられてた。本当にありがとう!」


 サーシャの目は涙ぐんでいてその感謝の気持ちがストレートに伝わってきた。


 クロードは優しく頷く。


「君が勇気を出してくれたおかげで彼女は助かった。どんなに小さな魔法でも誰かを守ろうとした気持ちが一番大切だよ」


 レオナはその言葉に頬が熱くなる。


「私……もっと強くなりたいです。誰かに守られるだけじゃなくてちゃんと自分で……」


 クロードは嬉しそうに微笑んだ。


「きっとなれるよレオナ。君にはその素質がある。僕もこれから君の成長をずっと見守っていたい」


 Cクラスの教室。生徒たちは今日の出来事を興奮混じりに語り合っていた。

 バルド先生は「今日、お前らは本当に頑張った! 根性があるやつは好きだ!」と褒め、サーシャは「次は私も、もっと役に立ちたいな」と笑う。カリンは「理論通りいかないのが現場」とつぶやいて教室の空気を和ませた。


 学院の空には夕焼けが広がり今日の騒動がまるで幻だったかのように静かな時間が戻る。

 けれど一部の者は感づいていた。学院の当たり前の平和が少しずつ崩れ始めていることを。

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