2 微かな光、心の奥で
朝、寮の小さな部屋に差し込む光でレオナは目を覚ました。
昨夜の魔法発動テストの光景がまだ頭の奥に焼き付いている。
何もできなかった自分、嘲笑、周囲の冷たい視線。
それらすべてがまだ胸をざわつかせていた。
(今日から本当に学院生活が始まる……)
そう思うだけで胃の奥が痛くなる。
隣室からは早起きした生徒たちのはしゃぐ声が聞こえてくる。
みんな、昨日の成績や新しい生活への期待でいっぱいなのだろう。
レオナはゆっくりと制服に着替え鏡の前に立つ。
袖を通した瞬間、布地のなめらかさに思わず指先が止まった。
新品の制服、自分のためだけに仕立てられた服。
胸のリボンを結び直しながらレオナはふと微笑んだ。
鏡に映る自分の姿はほんの少しだけ背筋が伸びて見えた。
朝食のために食堂へ向かうと既に大勢の生徒で賑わっていた。
あちこちで昨日のテストの判定の話をしていた。
「王子の魔法、すごかったわね!」
そんな声が飛び交っている。
レオナはそっと空いた席に腰を下ろした。
誰も隣に座ろうとはしない。
目が合っても視線をすぐに逸らされてしまう。
食事の味もほとんど感じられずただ静かにパンをちぎるだけだった。
(……私も、王子様みたいな成績ならみんなと普通に話せたんだろうか)
そんなことを考えたところでどうにもならない。
レオナは小さく息をつき食器を片付けて教室棟へ向かった。
今日はクラス分けの発表がある。
広い廊下の掲示板の前にはすでに人だかりができていた。
成績優秀者が集まるAクラスの名簿には貴族や成績優秀者の名前が並び歓声と拍手が上がっている。
「見て、エミリア様はAクラスよ!」
「やっぱり天才だわ」
ひときわ大きな声にレオナは思わず振り向いた。
制服姿で凛と立つエミリアが友人たちに囲まれている。
彼女は誇らしげに微笑みながら「当然よ」といった表情で廊下を歩いていた。
周囲の生徒がその姿を振り返り憧れや敬意の眼差しを向けていた。
一方で、レオナの名前があったのは成績が良く無かった者の集まるCクラスだった。
(やっぱり……)
自分の名前が名簿のいちばん下にあるのを見て胸がきゅっと締め付けられる。
同じ家で生まれてもこんなにも違う、それをこれでもかというほど見せつけられている気がした。
それでも足を止めてはいられない。
人混みを避けて廊下の隅を抜けレオナは自分の教室を目指した。
Cクラスの教室は校舎の一番端にあった。
扉を開けるとすでに何人かの生徒が中に入っていた。
(えっと、ここで合ってるよね?)
教室に入りしばらく入口付近で立ちすくんでいると、小柄で茶色い髪の少女がレオナに向かって明るく手を振ってきた。
「ねえ、席、私の隣だよ!」
弾むような声で呼ばれレオナは少し驚いたように少女を見つめた。
その笑顔に促されるままレオナは教室の中へ歩き出す。
「レオナ?だよね?初めまして!私、サーシャ。私も昨日のテスト全然ダメだったんだ」
サーシャは人懐っこい笑顔でレオナに話掛けてくる。
「レオナです。よろしく、お願いします」
サーシャの態度に自然と表情が和らいだ。
その後、サーシャの後ろの席から気だるそうな声が飛んできた。
「サーシャの声うるさい。……私はカリン、テストは興味なかったし別に“無能”って言われるのも慣れてる」
振無愛想な顔をした銀髪の少女カリンが腕組みをして座っていた。
観察するようにレオナをじっと見ている。
「ここの優等生たち見下すのが大好きだからさ。目立たない方が無駄に傷つかなくて済む」
カリンの冷めた言い方にサーシャが「もう、そんなこと言わないの!」と笑いながら返す。
レオナは二人のやりとりを見ているうちについ笑いが込み上げてきた。
こんな風に笑ったのはいつぶりだろう?
やがて始業の鐘が鳴り先生が教室に入ってくる。
教室内の空気が引き締まった。
教壇に立ったのは黒いローブを軽やかに羽織ったヴァイスだった。
昨日のテストで見せた飄々とした雰囲気はそのままどこか気まぐれな笑みを浮かべている。
「はい、みなさーん。今日から本格的な授業スタートだよ。堅苦しいのはナシで楽しくいこうね!」
教室にくすくすと笑いが漏れる。
ヴァイスは生徒ひとりひとりの顔を順に見ていき何気ない風を装いながらレオナの方に目を留めた。
(先生、私を見てる……?)
レオナは思わず視線をそらした。
昨日のテストで失敗したことを思い出し心が沈む。
ヴァイスの授業は変わっていた。
堅苦しい解説は控えめで時に冗談や小ネタを交え生徒たちの緊張を和らげていく。
「魔法は根性でどうにかなるもんじゃないよー。まあ、失敗したら笑って流しな? 大事なのは楽しむこと!」
午後の実技授業は基礎魔法の練習から始まった。
生徒たちはそれぞれの机で魔法道具を操作し簡単な光や風を生み出す課題に取り組む。
「失敗したって怒らないからねー。安全第一、あと楽しさ第二!」
ヴァイスが飄々とした声で教室を巡回していた。
レオナは自分の机に置かれた魔法道具をそっと両手で包み呼吸を整える。
どうしても魔力が流れず道具は静かなままだった。
その時、不意に教室の前の方から甲高い悲鳴が上がった。
「きゃっ、なにこれ!?暴走してる!?」
クラスメイトの一人が、魔法道具の制御を失い机の上で火球が暴れ始めた。
火の魔法のエネルギーが教室の中を乱れ飛び次々と他の道具にも影響を及ぼしていく。
生徒たちが混乱して立ち上がる中サーシャが驚いて机の下に身をかがめた。
カリンは瞬時に冷静さを取り戻し隣の生徒を引き寄せる。
レオナは一瞬凍りついた。
自分には魔法が使えない。
でも、ただ見ているだけは嫌だ。
「サーシャ、下がって!」
とっさにサーシャとカリンの前に立ち暴走する魔法道具の間に自分の体を滑り込ませた。
飛び散る火球がレオナの袖をかすめる。
焦げるような熱さと痛みが走るが彼女はひるまなかった。
「大丈夫、私がなんとかするから――!」
自分でもなぜそんな言葉が出たのかわからない。
必死で腕を広げ二人を守るように立ちふさがる。
けれど実際には何もできない。
魔法を発動できない自分にできることといえばこうして身体を張ることだけだった。
(私の中に魔力が少しでもあるならお願い!)
心の奥で、強く、強く願う。
その瞬間――
「おっと、危ない危ない」
いつの間にかすぐそばにヴァイスが立っていた。
普段と変わらぬ飄々とした笑みを浮かべさりげなくレオナの肩に手を置く。
次の瞬間、レオナの内側で何かが“ほどける”ような不思議な感覚が走った。
身体の奥底でずっと閉じ込められていた何かがほんの一瞬だけ外の世界とつながったようなそんな息を呑むような感触。
火球がレオナの目前で不自然なほどにふっと揺らぎそのまま跡形もなく消え去った。
「え……?」
サーシャもカリンも周囲の生徒たちも一瞬呆然としたがやがて口々に言い始める。
「さすがヴァイス先生!」「一瞬で消しちゃった!」
安堵と歓声が教室中に広がる。
ヴァイスは「ヒーローは遅れて登場するものだからね」と軽く肩をすくめてみせる。
レオナは混乱していた。
ヴァイスに触れられた瞬間、胸の奥で何かがはじけた感覚が残っている。
(いま何が起きたの……? 消したの私じゃないよね?)
サーシャが真っ先にレオナの袖をつかみ「すごいよレオナ、守ってくれて」と嬉しそうに言う。
カリンも静かに頷き「意外と根性あるじゃん」とだけ呟く。
レオナは「ううん、全然……」と首を振ったが二人はそんな彼女の控えめな否定を気にする様子もなかった。
その様子を横目で見ながらヴァイスはひとり飄々とした笑顔を浮かべていた。
けれどその目は鋭くレオナを観察している。
(……今の感触。やっぱりこの子ただ魔力がないわけじゃない。火球を消したのはレオナだ。俺はキッカケを与えただけにすぎない)
自分だけが知る違和感、魔力の流れが一瞬だけ変わったことをヴァイスは見逃していなかった。
だが、あえて何も言わず周囲には「はいはい、みんな怪我してないね? じゃあ授業再開だよ!」と明るく声をかける。
事件が収束し生徒たちがそれぞれの席に戻っていく。
教室の隅ではクラスメイトが「やっぱりヴァイス先生が一番」と囁き合っている。
レオナは静かに席につき戸惑いをそっと抱え込んだ。
疑問と不安とほんのわずかな期待。
複雑な思いを胸にレオナはゆっくりと手を握りしめた。