46 婚約者のキス
リリアとセルがガイザーに会いに行ってから一ヶ月後。この日、リリアとセルは聖女交流会に出席するため、ネイランドを訪れていた。
セルは転位魔法を使えるが、使用許可は自国の中だけであり、他国間では使用できない。ネイランドとの国境、関所まで転移魔法で移動すると、ネイランド内では馬車で王城まで移動することになった。
馬車の中では、リリアのすぐ隣にセルが座っている。リリアは気になっていたことをセルに聞いた。
「あの、いつもセルは単独で馬に乗って護衛していましたが、今回は馬車で一緒なんですね」
「今まではただの騎士だったが、今は婚約者だからな。こうしてすぐ隣で護衛することができる。俺は嬉しいが……リリアは嫌か?」
リリアの問いに、セルは当然のような顔で返答するが、ほんの少しだけ不満げな顔をしている。他の人が見たら全くわからないかもしれないが、リリアにはそのほんの少しの変化がわかるようになっていた。
「えっ、いえ、嫌ではないですよ?ただ、いつもと違うからなんだか慣れないと言いますか……」
「俺はこうやってリリアのすぐそばにいられることがすごく嬉しい。でもリリアはそうでもないんだな、残念だ」
そう言って、リリアの片手を取ってチュッと手の甲にキスを落とす。
(なっ!セルはそういうことを平気でするから……!)
「御者の方に見られたらどうするんですか!」
「別に婚約者なんだからいいだろう。それに御者からは見えないよ。窓にもカーテンがかかってる。誰かに見られることはない。照れてるのか?」
小声で怒るリリアに対しセルはフッと不敵な笑みを浮かべ、またリリアの手にキスを落とした。手の甲にはセルの唇の感触が残り、リリアは思わず赤面する。しかも、リリアを見つめるルビー色のセルの瞳には熱がこもっていて、余計にタチが悪い。
「……もう!セルはもっと騎士団長としてちゃんと護衛してくれるものだとばかり思っていました」
「外ではきちんと騎士団長として聖女リリアを護衛するよ。……まあ、でも確かにちょっとやりすぎたか。俺も少し浮かれているのかもしれない。こうして婚約者として他国へ行くことに浮き足立ってるのかもしれないな。反省するよ」
そう言って、セルはリリアの手をそっと下ろして申し訳なさそうに目を逸らす。そんなセルを見てリリアは思わず胸がキュッとなった。
(あっ……って、手が離れたことを残念に思うなんて、ダメダメ!私は聖女リリア。優しく清楚で美しく、誰もが羨む完璧な聖女、なのよ!)
リリアは首をブンブンと振って、聖女であることを自分に言い聞かせる。
「いくら誰にも見られてないからと言って、セルがいつものように甘やかしてくると私はダメな私になってしまいます。聖女交流会、気を抜くことはできません!お願いですから、ネイランドにいる間は、どんな時でも騎士団長としていてください」
キリッとした顔でリリアがそう言うと、セルは目を大きく見開いてからフッと優しく微笑んだ。
「わかりました、聖女様。……俺の前でダメになってしまうリリアはむしろ愛おしいし大歓迎だが、今は我慢しよう。騎士団長として、聖女リリア様を全身全霊でお守りします」
胸に手を当てて、セルは軽くお辞儀をする。それを見て、リリアはほっと胸を撫で下ろした。
「だが、騎士団長セルになる前に、婚約者セルとしてもう一度だけリリアに触れたい。ネイランドにいる間は、もうこれ以上絶対に婚約者セルとしてリリアに接したりしないから。お願いだ、いいだろ?」
そう言って、セルはリリアの頬にそっと片手を添える。まさかそんなお願いをされると思わないリリアは、胸がドンッと大きく高鳴った。
「えっ!?えっと……」
「拒否しないなら俺の都合の良いように捉えるが」
リリアがオロオロとしている間に、セルの顔が近づいてきて、あっという間にキスをされてしまった。軽いキスのはずなのに、セルの唇が離れるまでの時間がずいぶん長く感じてしまう。
ゆっくりと唇が離れると、セルは満足そうな顔で微笑んだ。
「ありがとうございます、聖女リリア様。これでしっかりと騎士団長として護衛に専念できます」
「……っ!セルったら!もう!」
顔を真っ赤にしたリリアを、セルは嬉しそうに見つめていた。




