44 お兄さん
(騎士団長であるセルに勝つために、獰猛な魔物の出る森へ出向き、魔物を倒していた、ということ……?)
リリアは驚いてガイザーを見つめ、セルは詳しく話すようにと視線でガイザーへ圧をかけている。
「あ、あのですね、リリアと騎士団長が婚約したと聞いてから、俺はリリアの意思ではなくきっと何か理由があって無理やり婚約させられたのだと思っていたんです。いくら騎士として優秀であり国にとって重要な人物であろうとも、年もかなり離れているし、女性関係でいい噂を聞かなかった。リリアがそんな男と自ら好んで婚約するわけがないと本気で思ったんです」
ガイザーの言葉に、セルの眉がピクリと小さく動き、リリアの笑顔も流石に少し引き攣った。
(確かに、兄さんの予想はある意味間違ってないけど……最初は私の飲酒を秘密にする代わりに婚約を持ちかけられたんだし)
「騎士団長は強い。騎士団長からリリアを引き離すためには、騎士団長に勝つしかない、そう思ったんです」
「だから、他の領地の境目まで言ってわざわざ魔物を倒していたと?」
セルは怒りのこもった声で聞き返す。静かに淡々としてはいるが、明らかに怒っているのがわかるし、何より目が怖い。ガイザーは冷や汗を垂らしながらその視線から逃れるように目を逸らすと、小さく頷いた。
「今のままではどう足掻いても勝てるわけがない。だけど、あの森の獰猛な魔物を倒し続ければ、可能性は上がるはずだと思って……それで、身を隠して夜中に森へ行っていました、ね……」
最後の方は聞き取れるかどうかも怪しいほどに小さな声になっている。それを聞いて、セルは重いため息を一つ吐いた。
「……いくら領地の境目とはいえ、勝手に不法侵入した上に魔物を倒すなんて、一体何やってるんだ。あんたのしていることは犯罪だと言われてもおかしくないんだぞ!……全く、ヘインドルの人間にまともな奴はいないのか?」
「……申し訳ありません。だけど、リリアとあなたが相思相愛だとわかってからはもうあの森へは一度も行っていません!それに、この間の騎士団長の剣と魔法の腕を見て、どんなに獰猛な魔物を倒し続けたところでかないっこないと痛感しました。あんな特級クラスの魔物を一瞬で殺せるような人間に俺が太刀打ちできるはずがない」
諦め混じりにガイザーがそう吐くと、セルは呆れた視線をガイザーへ送る。
「あ、あの、セル、兄さんはどうなるのでしょうか?」
たとえリリアの兄だとしても、森へ不法侵入していた不審者には変わりない。リリアの質問に、セルは小さくため息をついた。
「本来なら騎士団へ連行して事情聴取、然るべき処罰を下すのが妥当だ。……だが、理由が理由だし、今はもう森へ行くこともないと言っていた。この件はここだけの話にしよう。他言は無用だ」
「「え?」」
リリアとガイザーが同時に疑問の声を発した。
「そ、それでいいのですか?騎士団長であるあなたがそれを許すはずがない……まさか俺が、リリアの兄だから?」
「勘違いされては困る。あんたはリリアの兄でもあるが、それ以前にこの領地の領主だ。前領主が捕まり極刑になる上に、今の領主まで捕まって処罰されたらこの領地はどうなる?領民は混乱し、不安に苛まれるだろう。不安を肥大させて国へ反乱を起こそうとするかもしれない。そんなことが起こらないよう、混乱を未然に防ぐためにはやむ負えない対応だ」
セルは表情を変えずに淡々と告げる。そんなセルを、リリアもガイザーも驚いたように見つめていた。
「だが、国王への報告だけは行う。もう二度と変な行動を取らないようにと、現ヘインドル卿を厳しく監視しろと言われるだろう。覚悟しておくんだな。今後は領主という自覚をきちんと持ってもらわないと困る」
「……!」
(騎士団長とはいえ、騎士一人が単独でここまで判断を下して対応するなんて、セルは本当に国王から信頼されてるのね。そういえば、国王から直直に婚約者まで当てがわれそうになっていたほどだもの)
それを回避するためにリリアと婚約したい、と最初の頃セルは言っていたのだ。相手が聖女でなければ、国王から推薦された婚約者を拒否することなどできなかっただろう。
(セルは不思議な人だわ。それだけ優秀なのはわかっていたけれど……本当にすごい)
「この話はこれで終わりだ。それよりもガイザー殿、ずっと気になっていたんだが、いつまで俺のことを騎士団長と呼ぶんだ?俺は一応リリアの婚約者で、歳上とはいえあなたの弟になる男だ。日常会話のときくらいは、名前で呼んでくれて構わないし、敬語も必要ない」
「いや、それは……」
「それとも、やはり俺が敬語を使うべきでしたか?お 兄 さ ん」
セルがニヤリと笑いながら言うと、ガイザーは慌てたように両手をばたつかせる。
「や、やめてください!参ったな……わかりました、今後は日常会話ではセルと呼びますし、敬語も、……無しにするよ。セルも敬語なんて使わず、今まで通りにしてほしい。殿もいらないよ」
「わかった」
(仲良くなった、のかしら?)
男同士のやりとりはよくわからない。リリアが複雑そうに微笑んで二人を見ていると、ハッと何かを思い出したようにガイザーがリリアを見た。
「そういえばリリア、もうすぐ聖女交流会の時期だね」




