19 来訪者
セルと共にお茶会から脱出したリリアは、馬車の中にいた。目の前にはセルがいつものように気怠げな目を窓の外へ向けている。
「セル、迎えにきてくれてありがとうございました。ちょうど帰ろうかと思っていたところだったので、ナイスタイミングでしたよ」
リリアがそう言うと、セルは窓から視線をリリアへ移し、ふっと口角を上げる。
「それはよかった。それにしても、令嬢たちの嫌がらせを綺麗に返していたな。完璧で清らかな心を持つ聖女様の発言、誰も言い返すことができなくて見ていてすっきりしたよ」
「聞いていたんですか?いつの間に」
ククク、と楽しそうに笑ってから、セルは真面目な表情になる。
「途中からだが、話は聞こえてきていた。きっといつもあんな嫌がらせを受けているんだろう?全く、やることが幼すぎてあきれるレベルだな」
「本当に、あんなことする暇があるなら他のことに時間を費やせばいいのにと思います。よっぽど暇なんでしょうね」
リリアが呆れたように首をかしげると、セルはまたククッと楽しそうに笑った。
「まあ、他人が気になって仕方ないくらいには暇なんだろうな。時間を持て余すくだらない人間のやることだ。それでも、みんなの憧れる聖女として振舞いを崩さなかったのはさすがだったよ。リリアは本当にすごい」
「えっ、そ、そうですか?ありがとうございます」
(うっ、そんな手放しでほめられるとちょっと照れちゃう)
リリアが思わず視線をそらして顔を赤らめながらお礼を言うと、セルは優しい眼差しをリリアに向けて微笑む。ふと、リリアはそんなセルを見て気が付いた。
「そういえば、セルは仕事中だったのでは?」
「ああ、少しだけ時間が空いたんだ。せっかく時間があるんだしリリアの顔を見たいと思って、リリアの所在を確認したらお茶会に招かれてると聞いたんだよ。きっとめんどくさいことに巻き込まれてるんじゃないかと思ったら案の定だった。迎えにいって正解だったよ」
(わざわざ会いに来てくださったのね。セルって本当に、私のことが好きなんだな……)
今更ながら、セルの行動に少なからず愛を感じてしまい、リリアは思わず赤面する。
「リリア?急にどうした?」
「へえっ!?いえ、なんでもないです!」
「そうか?なんだか顔が赤いみたいだが」
そう言って、セルはリリアの隣に移動してリリアの額に自分の額をくっつける。
(ひっ!セルの顔が!近い!額がくっついてる!)
「熱はないみたいだな」
「だ、大丈夫、です」
ドッドッと心臓が異常な速さで鳴り、リリアはセルの顔が見れない。リリアが緊張のあまり縮こまっていると、セルがフッと小さく笑う音が聞こえた。
「リリア、まだ俺に緊張してるのか?」
「えっ?」
リリアが視線を上げると、そこにはセルの優しい微笑んだ顔がある。その顔はあまりにも甘く、リリアを見つめる赤い瞳には、ゆらゆらと熱い炎が見え隠れしている。
「す、すみません……こういうのは慣れていなくて」
リリアがまた顔を赤らめて視線を逸らすと、セルはリリアの髪の毛をひとふさとって静かに口づける。
「慣れてもらうまで俺はゆっくり待つつもりだ。でも、少しずつでいいから慣れて欲しいという気持ちはある。そうだな、これからは一日一回、触れ合う機会を持とう」
「触れ合う、機会?」
「ああ、もちろん、急に距離を詰めるつもりはない。例えば、こんな風に手にキスをするとか、頬に手を添えたまま目を合わせ続けるとか」
(う、ちょっと緊張するけど、それくらいなら大丈夫そう)
「あとは、……頬を摺り寄せるとか、鼻先を合わせるとか?」
そう言って、セルは実際にリリアの頬へ自分の頬を優しく摺り寄せ、最後に鼻先へ自分の鼻先をちょんっと触れさせた。
(!!!)
突然のことにリリアが驚いて固まっていると、セルは顔を離してクックックと楽しそうに笑う。
「すまない、まだこれは早すぎたかな」
「ーーっ!セル、私のことからかっているでしょう!酷いですよ!」
「ははは、からかってはいないよ。あまりにも可愛すぎるからつい触れたくなっただけだ」
もう!と顔を真っ赤にしてむくれながら軽く小突いてくるリリアを、セルは嬉しそうに見つめて笑っていた。
*
翌日。仕事へ出かけるセルを見送ってから、リリアは自室で書類の整理をしていた。この日は聖女の仕事は休みだが、休みの日でも書類に目を通しておかないと仕事が追いつかないことも多い。
(あーっ、疲れた。文字って長時間だと見てるだけで疲れちゃうのよね。肩も凝ってきたし、そろそろいったん休憩しようかな)
んーっと大きく伸びをしていると、コンコンとドアをノックする音がする。
「はい」
「リリア様、お客様です」
(お客様?私に?)
リリアに会いに屋敷にまで来る人間はほとんどいない。一体誰だろうかと応接室へ足を運び、その人物を見てリリアは驚いた。
「こんにちは、リリア様」
「へインドル卿!?」
そこには、美しい銀髪をサラリとなびかせ、切れ長の紫水晶色の瞳をリリアへ向けてにっこりと微笑むガイザー・へインドルがいた。




