17 違和感
会議から帰ってきて、リリアはずっと考え込んでいた。ヘインドル辺境伯のあの視線、違和感は一体なんなんだろうか。
どこかで会ったことのあるような気がするけれど、家督を継ぐことになるまではずっと表に出ることもなかったらしい。だとすれば、出会っているはずがない。それなのに、どうして会ったことのあるような気がするのだろうか。
「リリア」
名前を呼ばれ、ハッとして顔を上げるとセルがじっとリリアを見つめている。リビングでくつろいでいたが、リリアが帰ってきてからずっと考え込んでいることを気にしているらしい。
「どうかしたのか?会議から帰ってきてからずっと何かを考え込んでる」
セルの目は相変わらずいつものように気怠げで覇気がないように感じられる。だが、その瞳の奥底には何か熱く燃えるようなものを感じて、リリアは思わずドキッとした。
(セルに話を聞いてもらうべきかしら?でも、何も確信が持てないし、セルに言うことでヘインドル辺境伯の印象が悪くなっても良くないわよね)
「……ごめんなさい、少し疲れただけです」
リリアはごまかすようにそう言って微笑むが、セルはリリアから視線を逸らさず、席を立ち上がってリリアの座るソファへ歩いてくる。そして、リリアの隣に座った。
「リリア」
「は、はい」
「何か隠してるだろ?俺にはわかる。一体、何を気にしてるんだ?俺に言えないこと?」
「そういう、わけではないんです。ただ、確信が持てないというか、憶測だけで物事を言うには不確かすぎて良くないな、と思って」
リリアが苦笑いをしてそう言うと、セルは視線を床に落として小さく息を吐いた。
「ここは家の中だ。王城でも会議室でもない。真面目なのはいいことだが、家の中でくらいもっと気楽に考えてもいいし、発言してもいいんだよ」
セルはそう言ってリリアの両手をそっと掴んだ。セルの両手のぬくもりがリリアの冷えた手にじんわりと移っていく。そのぬくもりは、まるでセル自身のあたたかさのようだった。
「それに、もっと俺のことを頼ってほしい。リリアは一人できちんと物事を考えられる自立した女性だ。だが、俺はリリアのそばで役に立ちたい。どんな小さなことでもいい、リリアの不安や懸念を拭いたい。それがたとえ思い違いだったとしてもだ」
(セル……)
「本当にこれは何も確信が持てないことなんです。……ヘインドル辺境伯を見た時に、どこかであったような気がしたんです。でも、ヘインドル辺境伯は今まで公の場に出たことがなかった。出会っているはずがないんです。それから、ヘインドル辺境伯の視線が……その、とても恐ろしく感じてしまって。あ、でもだからと言ってヘインドル辺境伯の印象が悪くなってしまうのは嫌なんです。まだあの方については知らないことばかりですし、憶測や印象だけで勝手に決めつけたくないですから」
思いきってリリアはセルへ打ち明けた。リリアの話を聞いて、セルは一瞬眉を顰めるがすぐにいつもの飄々とした表情に戻っていた。そして、リリアへ優しい視線を向ける。
「そうか。話してくれてありがとう。ヘインドル辺境伯へ違和感を感じていることはわかった。彼についてはまだわからないことも多いし、俺の方で目立たない程度に調べてみるよ。ヘインドル家の後継者について知ることは、今後にとっても意味のあるものだ、無駄じゃない。リリア、話してくれてありがとう」
セルが優しくそういうと、リリアはほうっと息を吐いてから安心したように微笑んだ。
*
セルはまだ仕事が残っているからといって執務室へ戻ってきた。机の椅子に座り、机の上に積まれている書類の中からとある書類の束を取り出した。
(リリアは、ヘインドル辺境伯に対する違和感を感じ取っていた。俺もリリアに対するあの視線には嫌なものを感じていたが、やはり気のせいではなかったか)
リリアとの会話を思い出しながら書類に目を通す。そこには、ヘインドル家の歴史と、後継者である現辺境伯について書かれていた。
(体が弱く表には出ていなかったと言っていたが、他に何か理由があって前辺境伯があえて隠していた可能性もある。情報がないが故に怪しさしかない。リリアへ向けたあの視線、一体なんなんだ。まさかとは思うが、リリアの過去と何か関係があるのか?)
前辺境伯の頼みで現辺境伯を一時的に騎士団で預かっていたが、その時に現辺境伯について調べてはいた。だが、もう一度詳しく調べてみる必要がある。セルはいつになく真剣な表情で書類を睨みつけていた。




