8.魔獣注意報
『その後私を馬車に戻してから、一銭にもならない仕事だと悪態をつきながらゲイン様は残ったリビングデッドが居ないかを確認しにまた一人で村に戻りました。一応火葬しておくそうです。
討伐効率を考えれば、彼一人の方が良いのは自明です。やはり、一番の目的は私にあの亡霊を見せることにあったのでしょう。
”死霊狩り”とまで呼ばれているゲイン様は、一体何のためにアンデッドを討伐しているのでしょうか。
広まっていない正しい知識を持つ者として、魔物に”堕ちて”しまった人達を解放してあげるため──間違ってるとまでは言い切れませんが、恐らくは違う気がします。必要以上の嫌悪感こそ無けれど、死者への敬意のようなものはゲイン様の態度からは感じ取れませんでした。
それに、ゲイン様はゲイン様とアンデッドの気配が類似している理由については答えてくれませんでした。
類似、そう表現して良いでしょう。ゲイン様がリリフ村への寄り道を決めたのは、私からの彼の体質への発言が切っ掛けであることに疑いようはありません。体質への発言に不快感を覚え、それに対する行動としてアンデッドの歪さを私に教えたというのなら。誤魔化してはいましたが彼はその類似性を暗に認めていることが分かります。
アンデッドが持つ特有の瘴気。一体どのような事情があれば、あのように生きたまま濃密な死の気配を纏う人間ができるのでしょうか。
それにしても、私が焦がれたのはあくまでゲイン様であり、粗悪な劣化としか形容できないアンデッド達ではありません。死に方を間違えるのは確かに怖いですが、ゲイン様に殺されるのならばきっと未練は残さないでしょう。
彼の手で死ねるなら、劇的な幕切れであると私はそう思えます……ゲイン様にその気は完全に無いのでしょうが。
薄々予感はありましたが、ゲイン様は私が死のうとしていることに不快感を覚えているのでしょう。だから短絡的な死に対して忌避感を与えるためにアンデッドの説明をしてくれたのでしょう。
部分的には彼の狙い通り、私は確かにああはなりたくないと強く思いました。
アンデッドの成り立ちに関する説明──魂よりも死亡時の感情を主軸に置いたもの──は革新的、と言っていいほどに独自色の強いものでしたが、彼の言葉からは噓や誇張は感じられませんでした。
それに、あれらの手記とも理屈自体は一致します。
強い感情、未練によって中途半端な状態のままこの世に残る。考えただけでも身震いします。
しかし……
──書いていて思ったのですが、やはり私は死んだところでアンデッドには成りえないと思います。
私が死にたいのはまさに未練が無いからであり、激しい情動故ではありません。成りようが無いのです。
ああ見えてゲイン様が私の事を気に掛けて下さっている事は分かります。
その事自体は少々……いえ、かなり嬉しく感じるのも事実です。
ですが、私が彼に求めているものはもっと単純なもので……
どうやら揺れが酷くなってきました。続きは又後に』
手元を狂わせるあまりの振動に、スプリアはたまらず日記を閉じる。
リリフ村での体験を鮮明なうちに書き出しておきたかったのだ。
隣には既に村から帰って来たゲインも座っているが、今では聖詞や古典派歌劇でしか使われない古キリアス文字は彼には読めない様なので気にせず筆を進めていた。
彼もまさか真隣で自分についての考察が書き記されているとは思わないだろう。
観劇をより楽しむためにこの古めかしい文字を覚えるのには少なからず苦労したが、その特別な言語を使って自分の足跡を日記に記すのには僅かだが独特の充足感があった。
だから悪路の中でも筆を動かしていたのだが、この揺れはあまりにも酷い。
御者は何をしているのだと前方を向けば、丁度灰色帽の彼から逼迫した声が飛んできた。
「不味いです!化け熊みたいな魔獣が並走してきてます!」
「化け熊?」
そうして視線を外へと向けたスプリアは息を呑んだ。
その巨大さと迫力に、そして想像していたよりも此方との距離が近かったことに。
そこには四メートルを超えるぎらぎらと輝く鈍色の魔獣が、木々をなぎ倒しながら走ってきていた。
暴力という言葉をそのまま体現したかのような威容。血走った目、草木を刻み潰す太く鋭い爪。そして何より、刺のように逆立つ全身の体毛。
牙の中からは赤い舌がだらりと垂れ、熱を持った涎が地面へぼたぼたと落ちていく。
ギリギリと不安感を煽る異音を全身から立てながら、その魔物は馬車への距離を詰めてきていた。
食欲──その視線は逞しく育った二頭の引き馬に向けられていた。
***
場面はいくらか戻り、帝都冒険者ギルド。
華々しい武勇や苦労を語り合う冒険者たちの中には、問題を抱え先達に教えを乞う者もいる。
この魔術師も、組んでいるパーティの仲間には相談しづらいと先輩冒険者に悩みを打ち明けているところだった。
「私たちのパーティ最近狩場を変えたんですけど、討伐する魔物が頑丈になったせいで戦ってるうちに魔力が足りなくなっちゃって。途中から私だけ皆のお荷物になりがちでぇ──」
「ほーん、魔力量が足りない、ねぇ」
魔術師である彼女が組んでいるパーティはより良い稼ぎを求めるため狩場を変えることにしたそうだ。
そしてより強い魔物と戦うことになって戦闘が長引くようになったせいで、魔術に頼りきりの彼女だけがガス欠になってしまう……という話だった。
相談を受けているのはギルド内でも信頼の厚い歴戦の冒険者であり……そして、あくまで補助的にしか魔術を使わない戦士職の男だった。
なんでこいつ俺に相談してきたんだと困惑しつつ、話半分で答えを返す。
「なんか少し前に流行ってなかったか?魔力の回復を促進する呼吸法みたいなやつ。ほら、空気中の魔素をより効率的に肺に浸透させるとかなんとか、」
「先輩、まーだあんな与太話信じてるんですかぁ?あれは何の根拠もない迷信ですよぉ。そもそも魔素は吸い込むだけじゃ駄目なんですからぁ。体内で魔力に変える速度に上限があるんだから、吸い込む魔素の量増やしても意味がある訳ないじゃないですか呼吸法なんてぇ」
吸い込んだ魔素を体に馴染ませて、自分の持つ固有の魔力として確立して初めて、生物は魔術を使用することが出来る。
食物が消化されて栄養に変わるまでに時間が掛かるのと同じだ。
その過程における魔素から魔力への変換速度は個人差が出にくい。普通に呼吸しているだけで変換に使い切れない程度の魔素は空気中から身体へと入ってくるので、深呼吸をしてみたり魔素の濃度が高い場所に留まったりした所で魔力の回復量に変わりは無いという訳だ。
魔術師はいかに呼吸法が無意味であるかを力説した後に、「私も試してみたから分かります」と締めくくった。
「てめえしっかり試してんじゃねえか!……じゃあもう手っ取り早く、魔力保有量の高い良い杖を買うしかねえんじゃねえか?」
「そういう諸々の費用を稼ぐために狩場を変えたんじゃないですか。それくらい分からないかなぁ……」
「なんでお前さっきから若干偉そうなんだ?」
横柄な後輩の態度に苛立ちつつ、戦士職の男は正論を投げかける。
因みに、魔力保有量は魔力量と殆ど同じ意味であり、主に杖の許容量を指すときに使われる。
事前に自身の魔力を杖に移動させておくことで、魔術師達はいざという時に外付けの追加の魔力を利用できるのだ。
自分固有の魔力を一時的に保管できる杖にはどうしても個々の魔力と杖自体の相性の問題が付き纏い、良い杖の購入には元手が掛かりやすい。つまりは金が要る。
「結局、魔力量なんて日々魔術を行使する中で少しずつ許容量が増えていくものなんだから、今は他の攻撃手段を用意するしか無いんじゃないか?小型クロスボウくらいなら安く済むしお前の体格でもなんとかなるだろ」
「……やっぱりそういう話になりますよねぇ」
嫌そうに突っ伏す魔術師。
「そういうのは誇りがナー」とぶつくさ文句を言い始めた。
どうやらパーティに迷惑をかけている分際で自分の戦闘スタイルに拘りがあるらしい。
「あーあ、飲んだら魔力が回復する薬無いかなぁ」
「ねえだろ」
「分かってますけどぉ!」
うがー!と威嚇するように吠えられた所で、これ以上この話を続けても益体も無いなと思った男は話を変える。
「狩場て言えばよお、聞いたか?リリスタ鉱山の奥でワーム種が空けたでけえ横穴が見つかったって話」
「横穴……ですか?」
「おうよ、もしかしたら希少な鉱石が手に入るルートを見つけられるかもしれねえ」
魔素によって変質した鉱物は様々な力を持つ。
『共振』することで遠く離れた場所とも会話できる水晶、共鳴石。日中の間に日光を取り込んで夜中になるとオレンジ色に発光する、ランプ代わりの灯石。炎の威力を何倍にも強める特殊な黒翡翠、爆火鉱など。
そうした特殊な鉱石は、鉱山のより深部に埋まっている傾向がある。今のリリスタ鉱山では、巨大ワームが滅多矢鱈に開けた地中の穴がそうした鉱山深くの場所と繋がっている可能性が高いらしい。
上手くいけば一攫千金を狙える……可能性がある、という訳だ。
「ほぇ~。夢がありますねぇ」
話を聞いた魔術師も後でパーティメンバーに伝えてみようかと考え始め、何かに気づいたように顔色を変えた。
「でもそれって鉱山深部の魔物がどこか変な所に湧いて出るかもしれないってことじゃ……」
「そん時ゃそん時だろ。んな事にビビってたら掴めるもんも掴めねえ。リスクの中で成果を掴み取ってこその冒険者だろ?」
「……そういや、なんだかんだ先輩も剛の者でしたねぇ」
豪胆に言う先輩冒険者にため息交じりにそう返すと……魔術師は再び魔力量のやり繰りについて頭を悩ませるのだった。
ただでさえ足元も定まっていないのに、無用なリスクなど犯すべきじゃない。強力な魔物に偶然遭遇して命を落とすなんて、冒険者に最もありがちな結末だ。
面白い情報ではあったが、彼女には関係のない話だったという事だ。
彼女には。




