5.スプリアの目的
朝の光が宿屋の古びた木窓の隙間から柔らかく差し込む。
スプリアは薄くて固いリネンのシーツに包まれながらゆっくりと目を覚ました。彼女の長い白髪が朝露の様にきらめき、枕の上で優雅に波打っている。
快適な睡眠を終えた令嬢は静かに身を起こし、伸びをした。
「んん……朝、ですか」
「そうだな」
「……あっ」
瞬く間に眠気が覚める。
そーっと気まずそうに首を回してゲインの姿を確認したスプリアは、誤魔化すように咳払いをした。
「コホン。ええと、淑女の寝顔を黙って見ているだなんて、紳士としてどうかと思いますよ?」
「そいつは済まなかった。正体不明の追手に追われている状況にしてはあまりに気持ちよさそうに寝ているものだから、紳士としては叩き起こすのが忍びなくてな」
「……申し訳ありません」
スプリアが素直に頭を下げる。声には反省と気まずさが感じられた。
ばつの悪そうな様子に、ゲインはちゃんと反省できるのだなと感心する。
掴みどころのない普段の様子と比べると可愛げすらあった。
「起きていようとはしたのですが……その、急にやってきた疲労と眠気に抗えず。いつもなら起きていられる時間帯なのですが」
「ま、理解はできる。あんたみたいな細っこい体には一日中馬車の中ってのは疲れが溜まるだろうさ」
スプリアは帝都から出るのも初めてなのだ、長時間の移動で精神的・肉体的に疲労が出て寝てしまうのもある意味当然。
「つまりはガキってことだ」
「……その言い方は大変不服ですが、甘んじて受け入れましょう。眠ってしまったのは私ですしね」
「しっかりベッドに入ってなけりゃ俺もここまでは言わないがな」
「でも、床で寝るわけにはいかないでしょう?」
「……」
ゲインは思わず口を噤んだ。
それが、取り繕うための言い訳では無く彼女の常識から出た言葉だと悟ったからだ。
だからこそ、彼我の間の価値観の隔たりを見せられた様な心地がした。
(……いや、これに関しては貴族関係なくしつけの良い平民の家でもそう教える、か)
そうやって自分を納得させる。
彼女の言葉に他意が無い事は分かっている。いちいち噛みつくような真似はみっともない。
──床で眠れるなら上等。そんな時代は、ゲインはとっくに乗り越えたのだから。
「……ゲイン様?」
「何でもない。飯でも食いに行こう」
ゲインの様子に不思議なものを覚えつつ、置いていかれそうだと気づくとスプリアは慌てて身支度を済ませてその後に着いていった。
黒衣の男と白髪の少女が、活気あるレレトランの街中を進んでいる。
見るからにおどろおどろしいゲインに近づこうとする者はおらず、二人が進む先は自然と道が開けていた。
そのおかげで、行商人や旅人でそれなりの人混みが出来ているのにも関わらず二人は朝食を片手に快適に歩けていた。
とは言っても騒ぎになるほどではない。ゲインの気配も死線から遠い一般人からすれば見た目も相まって『随分気味が悪い奴がいるな』、程度。その見た目だって、今はスプリアの大荷物を背に抱えていることもありもあり若干コミカルなほどだ。
ゲインがこれ見よがしに聖水をぶら下げているのも、自分が邪悪な存在じゃないとアピールするためだ。
なお、昨晩の気配消しの様な使い方は特殊なケースであり、彼が聖水を持ち歩く理由は半分以上そのアピールのためである。
二人が手に持つのは露店で買った具入りのパン。甘めのタレに漬けられた肉に新鮮な葉野菜とチーズ、それを質の良い黒パンで挟んだ片手でつまめるものだ。
少々ジャンクなそれは貴族の御令嬢に食べさせるものとしてどうかとゲインは一瞬思ったが、特に問題なさそうに小さな口で頬張るスプリアの姿を見て杞憂かと安心する。
そしてそれが無意識に価値観のすり合わせを行おうとしたものだと気づき、軽く自嘲した。
「それで、昨日の二人はどうなったのですか?」
「脅した後裸に剥いた。もう追ってくることは無い」
「まぁ」
「それで奴らを雇った相手だが、ヴァイス家という名前に心当たりはあるか?」
「当然です……ヴァイス家、そこ、ですか」
ゲインは少し驚く。
スプリアの言葉の内に、仄かだが確かな怒りを感じたからだ。一貫して泰然とした態度を崩さない彼女にしては珍しい。
思わず視線を向ける。
だが、その怒りの感情は諦めるかのように白髪の少女の表情からすとんと消えていた。
「──まぁ、考えても仕方がないですね」
あっけらかんと宣うスプリアはとても嘘をついているようには見えない。ゲインには理解しがたい事だった。
胸に抱いた怒りの感情を、こうも簡単に捨てられるものだろうか。
「それと、追手はあんたが……というよりプラウトゥス家が没落貴族だと認識してたようだが」
「事実ですからね」
弁解もなく呆気なくそう返されたので、ゲインは思わず吹き出しそうになる。
貴族が面子や外聞を我が子のように大事にしているのは言うまでもなく当然だ。だが、彼女が没落を認めるその言葉には微塵の躊躇も無かった。
妙なことだ。そもそも魔物に変じた祖父の討伐という依頼自体が、家の面子を守る目的だと推測していたのに。
色々な辻褄が合うのは確かだ。だが、当然他の疑問も生まれてくる。じっと見つめるゲインの様子にスプリアは微笑みを返した。
「ええ、約束でしたので当然お話します。とは言っても、権力争いに順当に敗北した、つまらない貴族家の話になりますが」
そう前置きして、スプリアは語り始めた。
プラウトゥス家は、シャーマンと呼ばれる特殊な儀式を行っていた士族を祖先に持つ帝国貴族だ。
治める領地を持たない宮廷貴族。その特殊技能をもって皇帝に近待していた。
しかしそれはあくまで昔の儀式であり過去の技術。忘れさられるべきものであり、現代で持て囃されるようなものではない。
時代に合わせて織物産業や貿易などに家業を変化させていったが、その手腕は他の貴族より秀でているとは言い難かった。
それでも、祖父の代はまだ勢いがあった。魔族反乱を契機として帝国が国土拡大を推し進めていた最後の時代。貴族が軍の指揮を取り、私兵の規模で権力を誇示していた時代。
将としての才があったスプリアの祖父、カヴァリア・プラウトゥスはその才能を存分に発揮して、プラウトゥス家の名を世に響かせていた。
そして彼は勢いを落とすことなく遠征に向かい、戦場であるゼフムダルカ盆地で非業の死を迎えた。
「お父様はかなり頑張っていたかと思います。碌に力のある産業も無い中、祖父の代で築いたパイプを使って立ち回り、各家との親交を切らさないようにして、子爵家から妻を娶って。名家との繋がり、名声はそれだけで大きな力になる、それが貴族というものです。ですが……」
スプリアが言葉を止めてゲインを見る。
「しばらくすると問題が発生したんです。分かりますか?」
「……あ?俺に分かる訳が。──いや、」
ゲインは反射的に言い返した後、わざわざ自分に問いかけたたスプリアの意図を見抜き思い当たる原因を口にした。
「祖父の亡霊か」
「そうです。カヴァリア・プラウトゥスの亡霊が今もゼフムダルカ大霊園で彷徨っている。その不名誉な噂は確実にプラウトゥス家のダメージとなりました」
落ち目の貴族に更なる醜聞が……明らかな弱点が加わったのだ。スプリアの父の心労は察するに余りあるだろう。
スプリアが目を伏せる。
「……もっとも、その噂が消えた程度でどうにかなる話では到底無いんですけれど。母親は繰り返しのように言っていましたよ。あの悪霊さえ居なければ、と。あの人は私を名家と婚約させる事に全ての望みを懸けていましたからね」
「そりゃあ……」
彼女がこうしてここにいる以上、それは達成出来なかったのだろう。スプリアの口ぶりから、母親には良い感情を抱いていないことが伺えた。
ゲインも流石に面と向かってそれを口に出す気は無いが、態度にはありありと表れていた。スプリアが不満げな顔をする。
「言っておきますが、私に落ち度はありませんからね。社交界に出たところで、今のプラウトゥス家に敢えて近づきたい者はいません。私に魅力が無かったのではなく、殿方達がまともだっただけです」
「そうか。別にそこはどうでもいいが」
「……」
スプリアは食べ終わったパンの包み紙を折ってゲインの胸にぐちゃりと押し付ける。無言の抗議である。
「……話を戻します。半年ほど前、お父様も倒れました。疲労で倒れたことになっていますが、主治医の見解だと毒物の可能性が高いと。きっと、家の中にヴァイス家の手の者が紛れ込んでいたのでしょうね」
「ここでヴァイス家か」
昨晩の二人から聞き出した名前が出てきた。そもそも暗殺者を差し向ける時点で碌な連中ではないが、刺客にあの様な低俗な連中を選ぶとは趣味の悪い貴族だ。
「どういう関係なんだ?」
「どうもこうも、織物産業における競合相手の一つとしか。まぁ事業の規模には雲泥の差があるのですが──あぁ、勿論こちらが泥です──利益が高くないとはいえ、権力も含めて取り込めるものは取り込んでおきたいのでしょう。ヴァイス家はそれが出来る位置の家ですから。
プラウトゥス家の滅亡はもう避けられない。利権の吸収まで秒読みだというところで一人娘の私が不審な動きをしたので、帝都の外で手っ取り早く始末しようとしたのでしょうね」
「気分の悪い話だな」
「それが貴族というものです」
淡々と語るスプリアは、既に権力争いに敗北した貴族としての諦め故か、その在り方に達観している故か。
なんとなくスプリアの事情は分かったが、やはり行動原理とは今一結びつかない。
「不審な動き、か。もしかして、この依頼の本当の目的は命の危機を察しての亡命か?」
「違います。ふふ、そもそも亡命したところで私に一人で生きていく力があるように見えますか?」
「自分で言うことじゃねえな。……待て、そもそもの成功報酬の500万だが、本当に払えるのか?」
正確に言うならば追加の200万ゼルの話だ。
300万ゼルは既にギルド預かりとなっているのが確認できており踏み倒される心配は無い。完遂報酬の500万ゼルもスプリアの実家が貴族である以上心配はしていなかった。
だが、プラウトゥス家が取り壊し寸前だとくれば話は別。それを心配してのゲインの確認だ。
話の腰を折る行為だが、ゲインにとって重要な事だ。それはこの旅の意義でもある。
「ええ、間違いなくお支払いできます」
「そうか」
言い切るスプリアの言葉に嘘は感じられなかった。ゲインはひとまずそれで良しとする。他に考えたいこともあった。
「長くなりましたね。つまり私の目的は清算をすることです。どうせ滅びが避けられないのならば、後世にまで醜聞を残す必要は無いでしょう?」
「……美学か何かか?馬車の中でも似たようなことを言っていたな」
アヴェリパボ。死の直前を飾る鳥。馴染みのない言葉と緊迫した状況から、その名前はゲインの記憶に強く残っていた。
死の直前を飾り付ける。なんと馬鹿馬鹿しい行為か。
思わず否定するように唸る。
「俺には理解出来ない考え方だ、理解したくもない。死ねば本来それで終わりだろ、丁寧に整えたところで何の価値もない」
「あら、酷いことを仰るのですね。私がこの依頼への同行を決めたのはゲイン様が原因でもあるんですよ?」
ゲインが眉をひそめる。スプリアとは今回が初対面の筈だ。
「……どういう意味だ?」
「私はギルドのあの部屋で貴方に出会った時、貴方の中に美しさを感じたのです。だから無理を言って付いてきたのです。私が長年求めていたのはこれだったのかもしれない、と」
「──」
軽い調子で吐き出された言葉。
だが、ゲインにとってそれは複雑な意味を持っていた。一瞬、呼吸を忘れてしまうほどに。
しかし、スプリアの言葉は止まらない。
「お祖父さまの魂を解放した後、どうやって終わりを迎えるか決めかねていました。そこに現れたのがゲイン様です」
「最初はただアンデッド退治に適任の冒険者を選んだだけのつもりだったんです。ですが……ええ、ですが、貴方が現れた時は、運命だと思いました」
「──これ以上ないほどに鮮明な終わりが、色褪せた世界の出口が目の前にあると! もっと見ていたいと思いました。闇の中に抱かれたいと思いました」
色素の薄い頬を赤らめて、さながら恋する乙女の様に。
歌劇の登場人物が思いの丈を謳うように、スプリアは心の内を暴露した。
「……」
死にたがり。彼女がそうであることは分かってはいた。だが間抜けな事に、それが自分と直接的に結びつくとは思っていなかった。
同時に納得もする。スプリアが謎に好意的だった理由がはっきりしたからだ。
黒衣から漏れ出る死の気色。多くの人々から嫌悪されるそれをスプリアは気にしていないどころか……本当はその真逆。
彼女はそれに惹かれていたらしい。
『貴方に殺されたとしても恨みはしない』
あれは金次第で人の命を奪う性格だろうと決めつける、自分の品性を侮辱する類の言葉だと思っていた。
しかし、彼女が内にそのような憧れを抱いていたのなら。あの言葉は文字通り、偽らざる本心から出た言葉だったのかもしれない。
それはそれとして、違う方向性で業腹である事に変わりは無いが。
────美しい、か。
苦虫を嚙み潰したような気分だった。
ゲインにとって自分と何の怯えも無く会話のできる相手は貴重だ。だからスプリアに少し気を許していた部分もある。
だが、しかし。彼女が自分の中に積もった『死』を感じていて、それが彼女に向くことを求めているとするならば、それは筋違いだ。
筋違いであるべきだ。
しばらく考えた後、ゲインはようやく言葉を発した。
「……気に入らないな」
「それは……」
困ったように微笑むスプリアの横で立ち止まる。
目の前には目的地である馬宿組合の建物が見えていた。交通の盛んなレレトランでは他の都市のそれと比べても一際大きな建物だ。
特に約束はしなかったが、昨日の馬車の御者もまだいるかもしれない。金次第で融通を利かせられる相手は便利だ。
「なあスプリア嬢。ゼフムダルカ大霊園には最短ルートで行く必要は無いよな?」
「ええ、まぁ……」
「じゃあちょっと遠回りだが寄っていきたい場所がある」
「構いませんが……何のために?」
気に入らない。死を前提とした行動原理が、自分に対して破滅を求めるその姿勢が、全てを諦めたようなその灰色の瞳が。
依頼は間違いなく最後まで完済する。その決心は少しも変わらないし揺るがない。
それでも、依頼主の方を少し変えてみたくなった。
「アンデッド共を狩りに行く。言っておくが愉快なものは見れないぞ」
まずは、この世界で間違った死に方を迎えた者がどうなるのかを見せてやろう。




