4.レレトランの追跡者
夕暮れ時を過ぎて辺りが暗くなった頃、二人の男が建物の陰に息をひそめるように隠れていた。
大柄で人相の悪い男と、小柄で神経質そうな男。
視線の先にあるのは、あちこちから商人や旅人がやってくるレレトランに建てられた宿泊施設の一つだ。しかし目の前にあるそれは、立地や同業施設との競合の関係からかどうやら繁盛はしていないようだ。
「あの宿屋で間違いないんだよな?」
「へへ。酷く恐ろし気な男が気品ある少女を連れてきた、らしい。まず間違いねえ」
「……やはり護衛の男の素性が分からんな。どうする、まだ様子を見るべきだと思うか?」
その懐に短刀を隠しながら、男がもう一人へと問いかける。
決行すべきか否か。
彼らはとある貴族から仕事を受けていた。
男たちが請け負った仕事はプラウトゥス家の御令嬢、スプリア・プラウトゥスの動向の監視。不審な動きをしていないか見張り、そして『いざという時は』殺害もやむなしというものだ。
だが、そんな依頼を態々彼らの様な者に任せる時点で……依頼主たる貴族の目的は明白であると言えるだろう。
「長引かしたところで報酬が上がるわけでもねえや。幸い、スプリア・プラウトゥスと護衛は別の部屋を取ったらしい。さっさと終わらせちまおう」
「ははっ、そりゃやりやすくて良いな。貴族のお嬢さんてのは馬鹿だねえ」
恥やプライドを優先したのかは知らないが、自分から護衛と離れてくれるなんてありがたい限りだ。相手の浅はかさを笑いつつ、男達は宿屋へと歩を進める。
彼らは金の為ならば何でもする。殺人に、ましてや金持ちを殺すことに抵抗などあるはずもない。
貴族の少女に死を与えるのが、今日の彼らの仕事になるのだろう。簡単に済みそうだと、男達は高をくくっていた。
風切り音と石畳の破砕音。
ぞくりと。
気づいた時には、それは既に背後に居た。
「儲け話か?興味があるな」
──二人の背後に、死が落ちてきた。
「ぅあああああっ!?」
仕事人ににあるまじき悲鳴、それも無理からぬことだろう。
慣れ親しんだ死の気配。それを凝縮させて人の形にしたようなものが、突然後ろに降ってきたのだ。
目深に被った黒い外套と併せて、それは御伽噺の死神のようであった。
何故こんなものに、これほど近づかれるまで気づかなかったのか。そんな疑問が浮かぶよりも先に、反射的に男達は火球を相手に向けて放っていた。
炎。それは魔力を利用した攻撃魔術において最もポピュラーなものだ。土や水を操るよりも手間が少なく、闇や光よりも簡単に扱えて、雷よりも指向性を持たせやすい。
なによりも消費した魔力がその分だけ火力に、つまりは殺傷力へと変わるのが良い所だ。暗い仕事を生業とする男達は、当然便利な炎魔法を己の武器として洗練させている。
例えそれが相手に近づかれたくないという情けない一心で放たれたものだとしても……その二つの火球には、人体を容易に焼き焦がすだけの威力があった。
その火球が、焼き払われる。
「……はあ!?」
「青い……炎だと……?」
男達は呆気にとられる。渾身の火球が、蒼炎を纏った右手の一薙ぎで消し飛ばされてしまったからだ。
鬼火、或いは幽炎。
非常に高温の炎が青色になる事は男達も知識として知っている。だが、死神然とした相手の手の上で妖しく揺らめく炎は、それとは違った不気味さを持っていた。
激しさは無い。動きに合わせ残像を残すように燃えるその炎は、まるでこの世のものとは思えない。
男たちの視線の先で握りしめるような動作で炎を消した黒衣の男は、わざとらしく外套を両手でパンパンと払う。
「……あぁ、酷いな。少し尋ねたいことがあっただけなんだが。心底恐ろしいよ。まさか武器すら持ってない相手にいきなり攻撃してくるなんてな」
そうして大げさにため息を吐いた後、暗闇の中でそれが男達を見つめた。
暗く、粘ついた圧迫感が男達を押さえつける。命の危機を全身にぶつけられる感覚に、小柄な男は小さく悲鳴を上げた。
それは、笑っていた。
「詳しく──話を聞かせて貰わないとな?」
獲物を前にした狩人の様に。
***
暗い夜道の建物の角に、僅かに見えた蒼い炎。
それを見たスプリアは窓から身を離し、
「奇麗」と、呟いた。
***
「なんだ、何者なんだお前ぇ!?」
「尤もな疑問だな。火の玉を投げつけてくる前に聞いていればだが」
宿屋から出て来た男を上から屋根伝いに追跡したゲインは、頃合いだと感じて二人の暗殺者の後ろへと降り立った。
旅人風の格好を装った男があちこちの宿屋へ入っては出てくる様子は屋根上から見えていたし、自分たちの宿屋に辿り着いた時もあえて入っていくのを見逃した。事を起こすなら二人そろってからだろうと考えて、相手の合流を待ったのだ。
つまりは、スプリアを囮に使ったわけだ。危険な行為ではあったが、こうして人気のない場所で男達を補足できた以上その価値はあったと言えるだろう。
丁度二本目の聖水の中和効果も消えかけてきていたので不安になる頃合いではあったが……結局途中で気づかれることはなかった。
ゲインの放つ死の気配。瘴気とも呼ばれるそれは、野生動物や魔獣、冒険者の様な生命の危機に敏感な者ほど過剰に反応する傾向がある。
スプリアは特殊な例としても、目の前の男達はどうやらそれに鈍感なようだ。
きっと普段の付き合い方が悪いのだろう。
だが今のように……それを真正面から全開で浴びせられたらどうだろうか?
「~~っ!ばば、化け物、いや、し、死神……?」
「お前、それ、なんだ!?いや、この感じ……アンデッドか!?」
息の出来なくなるような悍ましい気配を全身に浴び、細身の男の方は既に呂律が回っていない。そして……大柄な男の方は怯えながらも彼の知る近い気配の存在の名前を挙げた。
瘴気を放つ存在など、アンデッド以外に存在するはずもない。
目の前にいるこいつはまるで、死霊達の親玉だと。
不快そうにゲインが舌打ちをする。苛立ちに合わせるように、圧迫感が強まった。
「……俺はそれを狩る側だ。
──これでもれっきとした人間だよ。で、お前らはなんで俺の依頼主サマに用があるんだ?」
依頼主という言葉を聞いて、大柄な方の男が目を見開く。
「お前、スプリア・プラウトゥスの護衛か……!」
「嘘だろ、気づいてなかったのか?」
それくらい流れで察しろよとゲインがつい怒りを忘れて呆れる中、男達は必死に目くばせしあう。
突如現れた不気味で異質な謎の存在が仕事の障害という差し迫った脅威だったことが分かり、現実的な思考が恐怖を僅かに押しとどめたのだ。
「殺るしかねえ、こうなったらもう、殺るしかねえだろ……!」
「無理だ、あんな化け物に勝てるはずねえ!こんなやべえ気配……さっきの炎だって見ただろ!?」
「ざけんな!大人しくしてれば逃がしてくれるとでも思うのかよ!ボケがッ!」
と言っても、細身の男にはそこまで効果が無かったようだが。
動こうとしない相方を見かねた大柄な方の男が懐から短刀を取り出す。
それは光を反射しないように黒く塗られており、闇の中に輪郭を隠せるようになっていた。
……”死霊狩り”の前では、失笑が漏れるほどに陳腐な小細工だ。
血走った目で切っ先を向けられても、緊張するどころか呆れしか感じない。
「明かりは必要ないのか?手元が狂わないか心配になるだろ。まさかとは思うが……」
「うおおおおおおぉぉぁぁ!!」
大柄な男が、自分を奮い立てるように吠えながら突進する。
破れかぶれの攻撃、しかし彼とて腕に覚えのある仕事人。怯えていても狙いは正確に、ゲインの首元へ短刀を突き立てようとする。
短刀には毒が塗られてあり、刃先を掠めるだけでも相手の行動力を奪える代物だ。
掠められるならば。
ゲインは余裕のある動きで半歩引いて正確にそれを躱し、短刀を突き刺すため伸びきった腕を横から握る。
そして、もう一方の手で、男の頭を鷲掴んだ。
「──暗闇がお前に味方するなんて思っていないよな?」
そのまま躊躇いなく──男の頭を地面へと叩きつける。
暴力的な破砕音。石畳に振動が走り、ゲインの着地でできた窪みの横に二個目の陥没ができる。男はうめき声すら出す暇もなく沈黙した。
技量の差、筋力の差、闇への慣れ。全てにおいて明らかな隔たりがそこにはあった。
一瞬で大柄な男を叩き伏せたゲインは、意識を失った男の首の上に足を乗せる。
「やめ……っ」
「大丈夫だ、あんたのツレはまだ生きてる。まだな。
もう一度質問だ、お前らはなんで依頼主サマに用があるんだ。誰に雇われた?」
一方的な蹂躙、そして──いつでも仲間を殺せるぞという合図。
圧倒的な力の差を目にして戦意を無くした細身の男は叫んだ。
「ヴァイス家の執事に金で雇われたんだ!プラウトゥスの令嬢を尾行して、もし怪しい動きを見せれば殺せって……その場合は、金品を奪って強盗の仕業に見せろって、それだけ、それだけだ!他は何も知らねえ!」
「随分と雑な依頼だな。仮にも貴族を相手にしてそんな簡単に事が運ぶと思ったのか?これはお前が命惜しさに適当な事を喋っているんじゃないかって疑問なんだが」
再び青い炎を手に灯すと、頭から血を流し白目を剝いた仲間の顔を照らしてよく見せつける。
ゲインは貴族周りの事情については全く詳しくないし、ヴァイス家という名前も知らない。
貴族が別の貴族の力を削ぐために、暗殺者を送り込むというのは理解しやすい。自分の中のイメージとも合っている。
だが、こんな簡単に情報を喋るような暗殺者を権力争いに利用するとは思えなかった。リスクが大きすぎる。
「ぼ、没落貴族相手なら、護衛だって大したことないって思ったんだ!」
「……没落貴族だと?どういう意味だ」
「へ?」と細身の男が困惑を見せる。
不用意な言葉で怒らせたのか、本当に知らないのか。彼には判断が付かず、おっかなびっくり言葉を続けた。
「どういう意味って……プラウトゥス家は当主が病に臥せってて最近だって使用人を大量に解雇したって話だし……そうでなくても元々落ち目の貴族じゃねえ、じゃないですか……?」
「……」
ふむ、とゲインはしばし考える。
スプリアは全財産を依頼に使うなどと奇想天外な事を言っていた。『未来に展望が持てない』とも。
プラウトゥス家が今まさに没落の一途を辿っているというなら、驚きはあるが色々と辻褄は合う気がする。
そういう背景があるならスプリアの言動にもいくらか納得はいく。それにしたって彼女の行動は突飛に過ぎるとは思うが……
(こいつらもその雇い主も、まさか全財産を護衛一人にぶち込んでるなんて考えもしなかっただろうな)
そう思うと少しは愉快な気分になった。
恐らく嘘はついていないだろうし、これ以上知っている情報も無さそうだ。踏みつけていた男の首から靴底を離す。
細身の男から安堵の息が漏れた。おずおずとこちらの機嫌を伺うように尋ねる。
「そ、その、俺たちは……」
「死にたくないんだよな?」
「!?、そりゃもちろんっ、」
「じゃあお前のやるべきことは簡単だ」
こちらの言葉の一つ一つに怯える、いっそ痛々しいとすら言える様子の細身の男。それを哀れに思ったのか、狩人はにっこりと優しく笑いかけた。
「金品と衣類全部置いて消えろ」
そして、更に哀れにすることにした。
パンツ一丁の細身の男が、必死に同じ格好の大柄な方を引きずっていくのを見届けてからゲインは宿屋へと戻る。
ゲインの財布に仲間が加わる事になった。剥いだ衣服は臭そうだし持っておくのが嫌なのでその場で全て燃やしておいた。刃物や時計は、朝になって質屋が開いてなければ適当にそこらに捨てれば良いだろう。
悪党を殴って懐が潤う。なんて素敵なシステムだろうか。
……あんな屑共相手でも、殺す気にはならない。
それはゲインに、自分の手で死人を生み出すことへ抵抗があるからだ。彼の仕事はそれじゃない。
足の一本でも折っておいた方が良いかと思ったが、あの恰好でできることはたかが知れている。大柄な方もしばらくは目を覚まさないだろう。
夜が明けて憲兵のお世話になるか、ほぼ全裸のまま馬に乗って帰路に着けばよい。
「さて、スプリア嬢はどこまで話してくれるのかね」
気になる事はあるが、あれこれ憶測を働かせるよりも本人に聞いたほうが速いだろう。
来た時よりも少し増えた荷物と共に、ゲインは寂れた宿屋へと歩を進めた。
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「…………寝ている、だと」
寝台の上で呑気にすやすや寝息を立てるスプリアの姿に、ゲインは今日一番の恐怖を覚えたという。




