2.300万と500万
──翌日。
スプリアと合流したゲインは、大荷物を抱える彼女の姿に表情を隠すこともなくげんなりとした。
服装はまぁ問題ない。灰色のワンピースにつばの広い帽子、悪目立ちはしない様な恰好だ。まぁゲインと一緒にいる時点で今更な話ではあるが。
ただし、重そうに抱える旅行バッグは問題である。荷物を減らすのは旅の基本だ。長旅において疲労する要素は少なければ少ないほどいい。移動が馬車であってもそれは変わらない。
きちんと自分で管理できるんだろうな?と心の中で悪態をつくのも無理のない事だった。
「……それにしても、本当に付き人一人居ないのか」
「えぇ。馬車は既に取っておいてくれたのですよね?それでは行きましょうか」
そう言った彼女だが、何故だか一向に動き出そうとしない。
「どうした」
「ええと、こういう時は殿方が荷物を持ってくださるのかと……」
「……」
嫌な予感が当たった。
機会があったら中身を捨てさせよう。ゲインは密かに心に決めてから無言でバッグを受け取る。
無駄に重かった。クソが。
当然だが、ゼフムダルカ大霊園まで一息に向かうわけでは無い。いくつかの町を経由して行くことになる。まずは商業で盛える町、レレトランだ。それなりに発展しており交通の便も良い。帝都から北方へ向かう者たちが最初に目指す場所だ。
御者はゲインの風貌に及び腰でいた。爵銀級冒険者として冒険者ギルドにその身分と実力を保証されている相手とは言え、怖いものは怖いのだろう。
だが、料金を多めに払えば大人しく乗せてくれた。持つべきものは金である。
そうして二人を乗せた馬車は北へと走り出す。
午前の柔らかい日差しが見える景色全てを覆い、都市の城壁を煌めかせる。
遠ざかっていく帝都の姿を、スプリアは車窓から体を乗り出してしばらくの間眺めていた。
「私、本当に帝都を離れるのですね」
「……まさか初めてか?」
「はい。生まれてからずっとここを離れたことはありませんでした。いえ、もうあそこ、ですね」
筋金入りの箱入り娘だなとゲインは思ったが、口に出すの止めておいた。
遠慮からでは無い。どの程度彼女の事情を詮索するべきか決めあぐねていたからだ。
スプリアはおもむろに窓の外へと手を出すと、手のひらを広げ意識を集中させる。
馬車の中へと手を引き戻した時、彼女の手の上には一口サイズの水の塊が作られていた。
空気中に漂う魔素を取り込み自らの魔力とすることで、この世界の人々、或いは一部の魔獣の類は魔術を行使できる。
今回スプリアは、魔力を使って空気中に漂っている水分を一か所に集めたのであろう。子供でもできるような簡単な魔術だ。
しかし、水球を見つめるスプリアはどこか満足げだ。
「これ、やってみたかったんです。動いている馬車からだと水分が集まりやすいから、旅人達は馬車での移動中に喉が渇きを覚えるとこうやって気ままに外へ手を伸ばす、と。そうですよね?」
「微差だろう。ある程度魔術が使えればどこでやっても飲み水程度の量は集まる」
「……そんな事は分かっていますけれど」
どうやら、それは彼女が求めていた返答では無かったようだ。
「風情というものがあるでしょうに」と不満げにしながら、スプリアは水の塊を口に入れた。
こくんと音を立てて嚥下すると、また外へと視線を戻してしまう。
それで会話が無くなる。
舗装された道を進む車輪の音だけが、馬車内に流れる音となった。
しばらくの間二人ともそうしていたが、景色に飽きを覚えたのかスプリアは一冊の本とペンをバッグから取り出す。
赤表紙の本を膝に乗せると、白い紙に視線を落としさらさらと何事かを書き始める。羽ペンに付いた金色の飾りが、時折差し込んできた日光を反射していた。
なんとなくゲインがそれを覗くも、どこか気取ったような文字で書いてあり意味が良く掴めない。
分かる単語はあるが接続詞や動詞に既視感が無く、名詞のスペルも偶に違う。昔の文字、或いは貴族の使う文字なのかもしれない。
「やけに装飾の付いたペンだな。何を書いている?」
「日記のようなものです。この羽飾りはアヴェリパボという鳥の羽から作られたものですよ」
「アヴェリパボ?」
聞きなれない名前に問い返すと、スプリアは淡い青緑色に輝く羽の輪郭を指先でそっとなぞった。
「その不思議な生態から演劇に使われる事もある、温帯に生息する鳥の名前です。彼らは異性に求愛する時、扇状の羽から粘着質の液体を分泌して様々な色の木の実などを貼り付けるんです。元の羽の模様と合わさり、その出来栄えは人から見ても息を吞むほど美しいとか」
「成程、いかにも貴族が好みそうだ」
知らなくて当然だなとゲインは鼻を鳴らす。
つまりは貴族階級で人気な鳥だ。演劇や歌劇なんてものは生まれてこの方縁が無く、自身の体質を考えればこれからも見に行くことは無いだろう。
「アヴェリパボを題材にした作品としては『ノールマンの悲恋』や『トロヴァトーレの遺言』等が有名ですね」
「……なんだ。無駄に暗そうな題名だな」
「ええ、それも当然でしょう」
興味本位の軽い疑問。それに対し、スプリアがそっと微笑む。
柔らかく、それなのにどこか警戒心を覚えるような微笑に、ゲインの視線は自然と鋭くなった。
「アヴェリパボが自身の羽を飾る時が求愛行動以外にも一度だけあるんです。
──それが、自分の死期を悟った時」
照り付けていた太陽が鳴りを潜め、冷えた風が車内を通り抜ける。
ゲインは、いつの間にか雲行きが変わっていたことに気づいた。
「ゲイン様、一応伝えておきたいのです。私は貴方に殺されたとしても恨みはしません」
「……待て。恨むも恨まないもあんたの勝手だが、俺には依頼主を殺す予定なんて無い」
不機嫌さを言葉に乗せつつ、スプリアの言葉を否定する。
事実である。
最初はその難易度に難色を示したし、条件が変わったからこそ依頼を受注したのは確かに事実だ。だがゲインには矜持がある。依頼を受けた以上は完遂するつもりであった。
確かに、最も安全かつ効率よく稼ぎたいのならば──誰にも見られない場所で、適当なタイミングでスプリアに死んでもらうべきだろう。
だがその気は無い。無いのだ。
自分の考えを邪推されるのは、ましてや確定事項のように語られるのは不快であった。
「もちろん、あなたにその気が無ければいいのです。忘れて頂いて構いません。ですが万が一の時は、最後に書き物をする時間くらいはお願いしたいと」
「──ハッ」
勝手に続けるスプリアの言葉を遮る。
ゲインの胸に苛立ちと笑いが湧いていた。何が「その気が無ければ忘れてください」だ。建前も、こうも露骨に表されては不快感しか覚えない。
この女は悲劇のヒロインか何かのつもりなのだろうか。演劇とやらを見すぎて自分をその登場人物と混同しているのかもしれない。
変わり者であることに間違いは無いが、それでもやはり彼女は貴族なのだろう。どこか尊大で、話を無理やり通そうとする強引さがある。
だが、そんなことよりも。
安く見られたものだとゲインは笑う。
目の前の御令嬢は自分のことを、少女を殺して300万ゼルを手に入れて、それで喜ぶような小物に見えているのだろうか?
「まぁ確かに、昨日の会話の流れではあんたがそう思うのも当然なのかもしれないな」
「?それはどういった……」
「一つはっきりさせておこう」
ゲインは自身のフードを取り払うとスプリアとの距離を詰める。そして、世間知らずの少女の胸に真っ直ぐ指を突き付けた。
「俺が手に入れるのは500万ゼルだ。プライドの問題でもあり、金の問題でもある。
500万ゼル程度の小金のために不快な仕事はしないし、200万ゼルという大金をみすみす逃すような真似は絶対しない」
「……それは、無茶苦茶ではないですか。言っていることが矛盾しています」
怒りすら滲ませてゲインははっきりと言い切った。
何かの宣誓のような物言いだった。たしかな熱を帯びた言葉だった。
不満を漏らしていた時でさえどこか悠然とした態度を崩さなかったスプリアは、ゲインの言葉に、初めて本気の混乱を見せる。
「かもな。だが金の価値は人それぞれなんだよ。
覚えておけスプリア嬢。お前がどれだけ死にたかろうが俺には関係ない。お前が出した依頼だ。生きて帰って全額きちんと払って貰う。
──依頼が終わるまで、俺が絶対に死なさない」
────────
どうしても死にたいわけでは無い。でも、それ以外に道は無いと思っている。
ただ何もできぬまま漫然と終わりを待つくらいならならこの人に殺される方が良いと思ったのだ。いっそのこと潔くと、そう思っただけ。
濃褐色の瞳に睨まれながら、スプリア・プラウトゥスはそんな事を思っていた。
彼女がすべてを諦め始めたのはいつだろうか?父親が倒れた時か、自身の無力を思い知った時か。いや、もっとずっと前からだった気もする。
いつしか諦めるのが普通になっていた。この依頼が現実的ではないと一番分かっていたのは彼女であった。
「祖父の骸骨退治はあんたのやりたい事ではあるんだろ?」
その通りだ。自分にやりたいことが何かあるかと考えて、出てきたのはこんな斜め上の結論だった。
でも、あの忌まわしい土地で死んだ祖父のことをできるならば弔ってあげたい。その気持ち自体は嘘ではない。
もし本当に叶うのならば──
「非礼をお詫びします、ゲイン・アヴァ―ロ様」
一族の汚点を消し去ることが出来るなら──
「そしてお願いします。祖父の亡霊を天に還すその時まで……私のことを守り抜いてください」
かつての栄華の象徴が崩れ去る所を目にできるなら──
「承知した」
それはきっと、良いピリオドになるだろう。




