22.腹ぺこシスター
──それから、半年が経った。
帝都の冬はあと少しで終わりかけだが依然として外気は肌を刺すように冷たく、通りを歩く人々は皆厚手の服に袖を通していた。
その中を、年中通して変わることのない黒い外套に身を包んだ男が一人。
沈みかけている太陽を背にして、迷いの見える足取りで教会へ向かって歩を進めていた。
帝都四番区の端に建っている、孤児院を併設したこじんまりとした教会。
その設備はお世辞にも新しいものとは言えないが、それでも石造りの建築内の粛然とした空気からは、神聖なものが感じられた。
当然、黒衣の中から放たれる異様な気配は抑えられていてなお非常に浮く。
曇りの無い聖水の中に決して混ざり合うことのない漆黒の毒を一滴垂らしたかのような、救いようのない異物感であった。
すぐに、男の元へと修道服に身を包んだ金髪のシスターがやってきて……
「どうしたのですかゲインさん。見たところ、聖水はまだ充分に余っていますよね」
彼の腰元のがちゃがちゃとした瓶に目線をやりながら、柔らかく……そして気さくに話し掛けた。
一般の聖職者が嫌悪するであろう瘴気の塊を前にして、その顔には恐れも蔑みも見られない。子供たちに向けるような慈愛の笑みを保ったままだ。
「もしやもしや、追加のご寄付だったり?それだったら文字通りいくらでも大歓迎ですよ~。うちはいつでも善意を受け取る用意がありますからねぇ」
「違うシスター・マリアナ。今日は……」
そこで男──ゲイン・アヴァ―ロは一瞬言葉を止める。
そう、彼が今日このルセント教会にやってきたのは聖水瓶の補充でも孤児院への寄付のためでもなく……
「聞きたいことがあって来た。そうだな、懺悔とでもしようか」
「それはそれは……随分と珍しいこともあるものですねぇ」
金髪のシスター、マリアナ・ルセントは驚きを露わにし、神妙な顔つきになってそう続けた。
さて、流石にゲインが神聖な教会内に居座り続けるのはあまり宜しくない。
話はレストランの中で聞きましょう、と一見敬虔なシスターは真面目くさった顔でそう言った。
マリアナは他のシスターたちに引継ぎを済ませた後、角付きの赤いフードを被って現れた。傍から見ればそれを着ているのが修道女であるとは誰も思わないだろう。
「なんだその恰好は」
「これですか~?悪い子シスターです」
「は……?」
「他者から与えられる事を当たり前としてはシスターとして不適格。しかし、施しを固辞するのもまた悪徳。これは仕方のないことです。つまり、この格好でならば奢られることに何の支障もありません~」
何を言っているのかよく分からなかったが、神に仕えるシスターの立場として死霊狩りと同席する訳にはいかないのだろう。恐らく。
決して食い意地からくる言い訳ではない筈である。
「そもそも、俺が奢るのは前提なのか」
「ここしばらく、ずーっと美味しいものを食べていないんです。どうか甲斐性を見せてください~」
亜人だか魔族だかに扮した赤いフードの不良シスターは、ほんわかとした笑顔のまま続けた。
ゲインとマリアナとの付き合いはそれなりに長い。物怖じすることない彼女だからこそ、ある程度上手くやれているのだろう。
黄金の子豚亭。冒険者の利用者も多くみられる大衆酒場。
マリアナは席に座るやいなや店員に対し食事を注文し始めた。
海老や鳥、魔獣のステーキなどの食欲をそそる料理がテーブルに並べられていく。教会の教えに肉食を禁じるものは存在しないが、それにしても遠慮なしである。
「はふぅ~」
マリアナは脂の乗った肉を頬張ると、至福の表情でため息を漏らす。
ナイフとフォークを手にした両手を盛んに動かし、あくまで丁寧で上品な所作を崩さないまま……とんでもない速度で皿の上から料理が消えていく。
飢えた獣のようだな、とゲインは思った。なぜ上品さを保ったままこの速度が出るのか甚だ疑問である。
「……お前のところの教会はそんなにカツカツなのか?」
「補助金も一般のご寄付も充分ではないと言うのは事実ですねぇ。帝国では利他の精神を重んじる教会の教えは歓迎されませんし。他の国ならここまでではないのですが、やはり、実力主義の色が強すぎるせいでしょうね~」
「一応は世界的な宗教の筈なんですけどねぇ」と、どこか他人事のように呟きながら、マリアナは食器のみを使って器用に巨大海老の殻を取り外して中身を取り分ける。熟練の手さばき。
「でも、子供達には十分な食事を与えられておりますよ~。そこだけは自信を持って断言できます」
「まぁ、それなら良いが」
「それで懺悔でしたか?私が適任だとは正直全く思いませんが~、──でも私で良ければいくらでも聞きますよ」
「教会に来た名目として言っただけで、本題とは違うんだが……」
ゲインはそう言った後もなお躊躇うようにしてから、
「いや、そうだな。聞いてくれ」
途端にマリアナの手が止まり、冗談かなにかと窺っていた瞳が真剣さを帯びる。
この場所は告解室には程遠いが、その所作と意識の切り替えだけで喧騒で溢れた酒場の一角に静謐な空気が出現したようだった。
本人の自認がどうであれ、懺悔を告白するならば彼女以上の適任は居ない。
言葉はなくとも自然と促されて口を開いてしまう空気だ。逆らうことなく、ゲインは半年前に起きたことを言う。
「全てを諦めて死にたがっていた奴がいたんだ。変な依頼の依頼主でな。俺はその考えを変えてみたくなった。生きたいって願いは理屈無く抱いて当然の願いだとそれだけを散々焚きつけて……最後に、踏み込み切れなくて行かせてしまった」
「その方に希望を示せなかったのが心残りなのですか?」
「……成程、そうかもな。きっと俺は生きることで生まれる喜び自体を示してやるべきだったのだろう。だが、後悔しているのはそこじゃない」
サンドイッチを頬張って笑っていた少女の顔を、そして何らかの決意を秘めていた別れの時の顔を思い出しながら呟く。
「俺は最後に金を受け取った。正当な報酬だ。……突っぱねるべきだった、突っぱねる余地はあった。感情を優先して、無理にでもそいつに着いて行くことは出来ただろうに、大金を受け取らない選択肢を作れなかった。
今までやってきたこと、生き方を否定するのかってな。手段と目的がぐちゃぐちゃになって、最後に金の重みに負けたんだ」
皮肉気に言う男の目に、自身への怒りと失望が混じっていることをマリアナは見て取った。
「俺は金に左右されない生き方を目指してた筈だった。欲しいものや、それこそ、食いたいものに、幾らでも好きなように手を伸ばせるようにだ。その有無で二度と惨めな思いをしないようにだ」
「未だに子供の頃の意地を張っているんだ。捨てられたのは自分が悪いわけでも、今じゃ顔も忘れた親が悪いわけでもなく、偏に金の有無のせいだっていう子供ながらの責任転嫁を捨て去れていないんだろう」
「金が嫌いだ。それが手元に無かったせいで、あんなのが幅を利かせているせいで俺は最悪な目にあった……だが、知っていた。何にでも変わり大抵の事柄を解決できる魔法のようなモノを真に憎しみ続けることなんて不可能だってな」
金貨を本当に憎しみの対象に出来る人間なんていない。そんな人間は荒野か洞窟の中で獣の毛皮でも身に纏って生きていくしかないだろう。
その矛盾を、ブレを抱えていたせいで、ゲインはあの時後悔しない判断をし損ねた。
「最後にそいつが何を決意して、何になったのか。今もなお分からない。それがどうにも心残りで……惨めな気分だ」
告解が終わり、マリアナは神妙に頷いた。
懺悔を聞いてどう諭すのかは個々人の判断によるところが大きいが、どうも目の前の彼は、既に自分で結論を出してしまっているように思えた。
それに、彼の事情は余りにも……込み入っている。シスターとして全貌を知るわけにはいかないマリアナはそれに踏み込む気は無く、だから無理に諭すことはしなかった。安易な言葉は逆効果になるだろう。
それでも告解に意味はある。彼のような、誰かに胸の内を吐き出すことが難しい人にとってはとくに。
──願わくば、彼に自分を許す機会が訪れますように。
「幼い頃に手に入らなかったものに執着してしまうのは自然なことだと思いますよ~。私だってその気がありますからねぇ」
ゲインにもそれは教えている。
マリアナ自身が、かつて孤児だったことを。
捨てられて空腹で死にかけていたところを教会のシスターに助けられて、心を動かされその道を志して今に至る。
教会の一員としては、そこまで珍しくもない経歴だ。しかし、
「私、神の教えは良いものだと理解していますが、その教え自体を信仰しているとは言い難いのですよ。私の命を救ってくれた黒パンは神の思し召しではなく人の思いやりによって与えられたものですから」
たとえ善意に救われようとも、幼子が親に捨てられ、放っておかれ、餓死寸前まで衰弱した記憶が消えることはない。世界への……あの時抱いた神様への恨み言が完全に忘却されたわけじゃない。
考え方が異なっていた。感激と教義は、それを塗りつぶしてくれることは無かった。
赤いフードに身を包む不良シスターは言う。
「教義を信じる教会の徒に救いを得たならばそれも神の思し召し、神に仕えるならばそう考えるべきなのでしょう。でもそう思い込むことは私には出来なかった。私が尊べたのは、教えを信じる人間の善良さそのものの方。悩みましたねぇ。割り切る必要は無いと司祭様が仰ってくれなければ、きっと今のように能天気では居られなかったでしょうねぇ……」
遠くを見つめるように、昔を思い返して。
そして今に戻って柔らかく笑う。
「ゲインさんの……ええと、気まぐれ、でしたっけ?定期的に起きる貴方の気まぐれのお陰で、多くの子供たちが救われてきました。それが彼らの欠損を癒す助けになっているのです。題目が何であろうと、その善良さは確かなことなんですよ」
ゲインの行った孤児院への寄付のことだ。
その時だった。
「食い逃げだ!」と怒号が店内に響き、獣人の、冒険者らしき男が扉に向かって駆けていく。
ざわつく店内、マリアナの行動はすばやかった。
食べ終えた鳥の骨を持つと、手の甲に埋め込まれた聖印から祝福が流れ出る。
投擲。
仄かに光る聖なる鳥の骨は狙い過たず食い逃げ犯の後頭部に直撃し、うめき声と共に男は倒れて直ぐに店主に取り押さえられた。
「はしたないところをお見せしましたぁ……」
実のところ、淑女が鳥の骨を投擲するのは褒められた行為ではない。
マリアナは本当に恥ずかしそうに顔を赤くしてから、誤魔化すように指を拭った。
──ラストネームにルセントの名がついているのは、教会にシスターとしての敬虔さが認められた証である。彼女が祝福した聖水に込められた祈りの量を思えば、当然のことでもある。
心の奥底で神の尊さを信じていないと語る彼女は、しかし聖職者として一級の実力と、そして紛れもない信仰を持っていた。
その特殊な在り方故に彼女はゲインという異常な存在とも分け隔てなく接することができ、それ故に狩人の過去を認めることも称賛することも有り得ないだろう。
彼女が瘴気について、誰もが忌避感を覚えるその体質に関して深く聞こうとしないのは優しさだ。知ってしまえば許しを与えることは出来ないと気づいている。その範疇に居ないと気付いている。
本質的にゲインと彼女が分かりあうことはない。それでも……そうやって割り切ってしまう必要は無いので、馬鹿な振りをしてマリアナは穏やかに笑っている。
元孤児同士として、そして孤児の支援をしている者として、傷を抱える若者として、敬意と同情、憐れみと無償の親愛を払っている。
死と金。ゲインを構成する大きな二つの要素。その一つに対してゲインは正直に打ち明け、マリアナは真摯に話を聞き届けた。しかし、ある意味で真に懺悔すべきもう一つの要素について語られることはない。
「しかし、何故今そのことが気になり始めたのですか?」
「どうにも今度こそ──今度こそ向き合わないといけないようでな。本題だ、読んでくれ」
ゲインは懐から一通の封筒を取り出した。
中の手紙を手渡されその文面に目を通したマリアナは、違和感に首を傾げる。
「古キリアス文字ですね。確かに私なら読めますけど……不思議ですね、少々字が荒いような気がしますよ?」
この昔の文字をわざわざ使うのは、祝詞に使われているため覚える必要のある聖職者か一部の上流階級、文化人くらいだ。
それなのに筆跡が若干汚いのには違和感がある。
「ああ、俺も少ししか見ていないが……下手になっている」
「手紙を書いた人とお知り合いなんです~?」
「恐らくな」
「恐らく?」
ゲインは封筒に同封された羽ペンを指先で摘まむ。どこか眩し気に。
そのペンの飾り羽にはモチーフの鳥の如く派手な装飾が施されており、金色の粒がよく目についた。
「それで、内容はなんだ」
「はいはいえっと……おや……これって結構情熱的なお誘いじゃないですか。ゲインさんも隅に置けませんねぇ」
内容を読み取り、微笑ましいものを見るようにマリアナは言って……
「あれ?これって待ち合わせの場所が──お墓?」
「そうか」
ゲインは一言頷いて目を閉じた。
それが贖罪の一歩となるか、それとも過ちの再確認となるのか、いまだ分からないが……
誘われた以上は向かうべきであろう。
風の噂によれば。
つい先日、一つの貴族家が潰されたらしい。




