21.守銭奴と貴族令嬢
きっとこれは罰なのだろう。
不確かな結果に希望を求めた、その無根拠な楽観に与えられたあまりに静かな罰。
奇跡が起こすのは、必ずしも救いとは限らない。そんなことは、とっくの昔に分かっていたことだろうに。
狩人は言った。人の考えなど変わるものだ、結論を出すのはその後でいいと。
少女は頷いた。特別な意味合いを骸骨討伐という行為に託してしまった。そして、
***
依頼は終了した。
数刻後、二人の姿は馬車の中にあった。
車内の空気は大変な依頼をやり遂げた後にしてはどこか重苦しく、それ以上に空虚で満ちていた。
大霊園からの帰路、崩落に近い傾斜地を強引に駆け下りる脱出劇の間も、スプリアはずっと落ち着いていた。指示に従い、激しい揺れに耐え、ただゲインの背を離れず……。
その動じなさは、彼女の中で既に心の整理が完了してしまったことを物語っているようだった。
馬車は何事もなく街へとたどり着いた。
リリフ村への寄り道を決めなければ往路にも使用した、帝都と大霊園の間にある、小さな街だ。
「お前はこれから……この先、どうするつもりだ?」
「そうですね。命の危険がある以上もう帝都には戻れませんし……どこか適当な場所で、細々と仕事でも探してみましょうか」
慎重にゲインが問えば、返ってきたのはどこまで本気か分からない答え。
その選択肢に自死が入っていないことを、せめて喜ぶべきなのだろうか。
「……本気か?」
「ふふ、なんでしょうかその顔は。見知らぬ土地でも生きていけるほど優秀で図太いと仰ってくれたのはゲイン様ではありませんか」
「言ったがな。だが、あの時とは状況が違う」
確かに言った。否定しようのない事実だ。
だが今のスプリアには前とは別種の危うさがある。このまま放っておくのが危ぶまれるような違和感がある。
何ひとつ諦めていないようでいて、その実、すべてを燃やし尽くす準備を終えたような違和感。このまま放っておけば、彼女は音もなく世界から消えてしまうのではないか――
違和感の正体が何かは分からないが……いや、その一端は。
半ば確信とともに、ゲインは問いかける。
「今、俺のことを少しでも恐ろしく感じるか?」
「いいえ。ですがまだ死ぬ気はありません。ただ諦めることを、どうにも私は美しく思えないようだと分かったので」
死の気色を濃く纏うゲインを、彼女は全くと言っていいほど恐れていない。
諦めて死ぬ気はない。だが、死を恐れてはいない。
その変化をどう受け止めるべきだろうか、ゲインには測りかねた。
「そうだ、報酬のお話をしなければなりませんね」
会話を打ち切るため、というより流れを気にしていないように、スプリアは旅行カバンを拡げる。
持ち運びに不便なほどの巨大なカバン、苦労しつつもその最奥から、茶色の装飾があしらわれた銀色の箱を取り出した。
その中身は……
「完遂報酬、追加分の200万ゼルです。どうぞお確かめ下さい」
「……最初からずっと持ち歩いていたのか」
黄金色に輝く、重厚な金貨の山。
なるほど、馬車に置いておくのを渋るはずだ。文字通り全財産が詰まっていたのだから。
その上で、最初からゲインにその重みを背負わせていたことになる。豪胆というべきか何というか。
「冒険者ギルドには、私は大霊園で死亡したと伝えていただければ幸いです。そうすれば問題なく全額支払われる筈ですね?」
「こんなもの、はいそうですかと受け取れるか」
「では私に帝都に戻り、姿を晒して生存報告をしろと仰るのでしょうか、それは少し……酷ではありませんか?」
そう言われてしまえば何も返せない。
依頼完遂に関してはプライドもある。しかしスプリアが他の貴族家に命を狙われている事が明らかである以上、帝都のギルドまで報告のためだけに連れて行くのは少女を獣の巣に放り込むようなものだ。
存在の割れていた暗殺者程度ならいざ知らず、立場としてはあくまで一介の冒険者であるゲインにスプリアを貴族から守り切る権力はない。
「……お前のことが分からない。何を決意した?」
ゲインの問いは低く、重かった。
差し出された銀色の箱――そこにあるのは、彼が何よりも執着し、絶対的な動機であったはずの「報酬」だ。
だが、黄金色に輝く200万ゼルを目の前にして、ゲインの指先は凍りついたように動かない。
依頼が完遂され、報酬が支払われる。それは本来、冒険者にとって至上の喜びであるはずだ。
しかし今、その金貨は二人の縁を断ち切るための手切れ金として、冷徹なまでの完成度を持ってそこに鎮座していた。
「進み続けると決めました。私にもできることがあると気づいてしまったのです」
「それは──一体何を指しての言葉なんだ」
「お答えできません。ゲイン様にとっても愉快な話ではないでしょうし……何より、もう関係ないでしょう?」
スプリアの言葉通りだった。
依頼という前提を失った今、ゲインは少女の人生に関わる権利を失いつつあった。
……本当はそんなものはただの妄想に過ぎない。しかし金という建前が無ければ、ゲインは動けない。
無為に金を手放すことなどあり得ない。
そういうやり方で生きてきたせいだ。
金というものをどこか憎らしいものと思っていながら、他の動機を、情熱を傾けられるものを見つけられなかった。
生きたいという願いに、嫌うものがその理由として嚙み合ってしまった結果。
それを自覚できずに少女の人生に助言を重ねてしまった。
「──私は私であるために進まなくては。この道を教えてくださったのはゲイン様ですよ」
対するスプリアの瞳には、以前のような悲観的な陰りはない。
代わりに宿っているのは、折れた刃を無理やり叩き直したような、鋭利で、いつ砕けてもおかしくない不自然な決意の光だ。
彼女は諦めることを拒んだ。それは一見生への執着にも思えるが、ゲインには分かっていた。
スプリアが選んだのは過去への執着だ。
それが何を意味するのかは分からないが、彼女が自身と家を切り離せなかった事だけは確かだった。
それを突き付けたのがカヴァリアの骸骨騎士であり、そこに至るまでを焚きつけたのは他ならぬゲイン自身。
分かっているからこそ、何も言えない。
だってスプリアにはそれしかない。家から脱却する最初で最後の機会は、目の前で失われてしまった。
「……受け取れ、と言うんだな。これを」
「ええ。ゲイン様はプロでしょう? 私は依頼主としての最後の役目を果たそうとしているだけです」
金を受け取れば、関係は終わる。
だが、受け取らないという選択肢は無い。報酬を受け取らない理由を、自分を納得させられるだけの理由を作り出すことが出来ない。
そのすべてが、ゲインに重くのしかかる。
諦観に満ちたその眼差しを変えてみたかった。家と共に散るなど馬鹿馬鹿しいと、生きたいという願いに理由は必要なく、誰もが抱いて当然のものだと証明したかった。
腐臭に塗れた半生を間違っているものだと、それでも尊敬すべきものとして表現された時、どこか救われた心地がした。
自分の行いが正当化された訳では無い。決してそうでは無い。
でも、心のどこかで認められた気がしたのだ。
そんな思いで口出しをして、その結果として今がある。
彼女の孤独な行進を止める術はない。
ゲインは拳を膝の上で強く握りしめた。幾多もの死霊を屠ってきたその手は、今、目の前で自らを壊そうとしている一人の少女を、言葉ひとつで引き止めることすらできないほどに無力だった。
掴んだ金貨は、吐き気がするほど眩しかった。
名前など文字の羅列に過ぎず、
それでも、スプリアはスプリア・プラウトゥスであり、ゲインはゲイン・アヴァ―ロであった。
故に、二人の短い旅はここで終幕を迎える。




