19.天幕の中で
一昔前の栄華の象徴であり、家の評判を回復不可能なものにまで下げた忌むべき人。
スプリアにとって祖父のカヴァリア・プラウトゥスはそのような存在であり……しかし母と違って恨みは抱いていなかった。
それは父が一度だけ見せた、昔を懐かしみ惜しむ寂しげな瞳のせいだったかもしれないし、悲惨な経緯で死霊に成り果てた祖父に対する哀れみのせいかもしれない。
「お祖父さま──」
虚ろにこちらを見つめる骸骨騎士を前にして、彼女には願うことがある。
プラウトゥス家のことではない。今のスプリアが望むのは、彼女自身のことだ。
「どうか……」
祖父を天に還すことで私の見る世界が変わるのではないか、と。
過去を全て断ち切ることで、新しい一歩を踏み出せるのではないかと。
だからもう──楽になって欲しい。
そんな自分本位な願い。
身勝手さを自覚しながらも、スプリア・プラウトゥスは祈らずには居られなかった。
「……妙なのがいやがる」
一方ゲインの目が捉えていたのは、カヴァリアの骸骨騎士の……左奥。
白骨で形成された二メートルほどの馬。アンデッド化した魔獣。
骸骨馬──否。ただの馬ではない。その頭部からは鋭く長い角が突き出ており、付け根の部分から頭蓋骨と一体となっていることが見て取れる。
「一角獣……縁起物ってところか?」
おそらく帝国軍の士気高揚の一環としてこの地まで連れてこられたのだろう。
絹のような美しい毛並みに、汚れること無く勝利へ向かう一本角……そんな神秘的な魔獣も戦場に蔓延した毒には打ち勝てなかったようだ。
強い感情で未練を残し骨だけに成り果て、その姿からかつての神々しい美しさは失われてしまった。
しかし、その健脚は未だ健在。
炎の傍で戦闘の邪魔にならない位置を保つスプリアから注意を外すべく、前へと出たゲインに向かって猛然と──突進する。
「チッ──!」
凄まじく速い。
驚くべき事に未だ形を保っていた天幕内の机や椅子を無惨に破壊しながら、ゲインの心臓に鋭く尖った角を突き入れんと一直線に迫りくる。
寸前で横へと躱したゲインはすれ違いざまに肋骨へとメイスを叩きこみ……表情を歪めながら必死に柄を握る。
(持っていかれる──!)
肋骨の隙間へと差し込んだメイスが勢いそのままに奪われそうになり強引に引き抜く。
どうにか引っ掛かった骨をへし折ることで手放さずには済んだものの、ゲインの体勢は大きく崩れた。
それを合図としたわけでも無いだろうが……ここぞとばかりにスケルトン達が殺到する。
総数は一二体。
元々の役職が高かったのか、ここまで見てきた骸骨兵達よりもいくらか上等な装備を着けていた。
先頭の両手剣持ちが、床を蹴って飛びかかる。
剣風が空気を切り裂き、後方に倒れかけているゲインの頭を狙って横薙ぎに振るわれる。
上体を──更に後ろへ。背骨が軋むほど深く反らし、首を後方へやる事でこれを回避。
そのまま、左手を床についた。
指先が地面を強く押し、体全体をバネのようにしならせる。右足を浮かし、腕一本で体を一回転させる。
後ろ周り回転。曲芸じみた動きで黒衣が翻り、その奥で光った蒼がお返しとばかりに固まったスケルトン達へと放射される。
「──」「ヵ──」
炎の危険性を見てとった骸骨達は即座に反応、散り散りに別れ回避する。
しかし骨の身体が重なり合い動きが阻害された二体が炎に呑まれ……分断され周りから浮いた先頭の一体も重厚な両手剣を構え直す前に、地を蹴り弾丸の如く突っ込んだゲインに肩口から破壊される。
「……ふぅ」
明後日の方向へ突き抜けていった一角獣が、どうやら壁に角を突きさしてしまい動きが制限されているのを視界に捉え、一呼吸。
「──アレは何をしている?」
そこで、ゲインはカヴァリア・プラウトゥスの骸骨騎士が未だに動かない事を訝しむ。
依頼の討伐対象たる骸骨騎士は、炎の前に佇む孫娘を見つめながら沈黙を続けていた。
手に持つ戦斧を振り上げ襲い掛かる事なく、魂が抜けたかのようにスプリアと視線を合わせたまま静止。
同じように見つめ合うスプリアとの間に、謎の膠着状態が出来上がっていた。
妙な事だ。
まさか目の前の少女が子孫だと認識できているわけでもあるまいに。
その立ち姿に異様なものを感じるが……今は考えている場合ではない。
他のスケルトンと同時に相手せずに済むだけ幸運とする。
そうとも。時間に余裕があるわけではない。
今はただ、ひたすらに──自身の仕事を全うすれば良い。
最後の瓶を飲み下す。
沸騰する怒りを、押し込めて、消し飛ばす。
あくまでも冷徹に、冷酷に。狩人は死霊の群れと対峙した。
そうしている内にバララ、バララッと後方から骨製の爪音が聞こえてくる。
自由を取り戻した一角獣の骸骨が、姿勢を低くして突進する音だ。段々と加速度を増し、ゲインの肉体をひと貫きにせんと迫る音。
このままでは前方から取り囲んでくるスケルトン達との挟み撃ちの形になる。
前にも後ろにも逃げ場はない。
炎に揺らされた影が重なる──その一拍前。
ゲインは両脚に意識を集中させ真上へと跳躍した。
空中で身を捻ったゲインの左手が、馬骨の背、鋭利に突き出した頸椎の突起を捉える。
その瞬間、世界が横に引き裂かれるような衝撃が襲った。
「ッ……ぐぅううッ!」
下手に得物を差し込むのは危険だと知れた。
ならば今度はその勢いに逆らわず、自分ごと持って行かせる。
ゲインは一角獣の骸骨の背に掴まったまま、スケルトンの包囲網をぶち抜いた。
加速による負荷が丸ごと左腕に襲い掛かり、筋繊維が嫌な音を立てる。凄まじい加速の余波が、自身の肉体を容赦なく引き伸ばす。それでも決して握力を緩めない。
走る馬体にしがみ付き、得物であるメイスを滑らせ短く持ち替える。
「掴んだ以上は──簡単には離さん」
その状態のまま、柄を短く持ったメイスで馬体を殴りつけた。
叩きつける。へし折り、削り壊す。
ゲインを地に叩き落とそうと身体を左右に激しく揺さぶり始めた一角獣の骸骨は、生きていた頃の気高さなど忘れ去ったかのように暴れ狂った。
背骨が波打ち、肋骨が軋む。それでもゲインは気にする事なく、メイスの先端を頸椎へと……そして、肩甲骨の継ぎ目へと叩きつける。
嵐のような乱打。そして、
ガキャァン、と決定的な破壊音が鳴った。
右の前脚が一本、根本からへし折れて吹き飛んだ。バランスを崩した馬体が大きく傾き、地面を削りながら地を滑る。
「終わりだな」
三本になった足で立ち上がろうともがくかつて神聖であった獣の頭蓋をあっけなく潰し、色濃き死を纏う生者は振り返った。
次は誰だ、と冷徹な光を瞳に宿して。
「──ヵ」
スケルトンに怯える機能などない。協調性も躊躇いもない。
ただ骨と鎧をカタカタと打ち鳴らしながら、生者に向かって襲い掛かるのみ。
そうやって何かを学習することなく死霊狩りに向かって襲い掛かり……そのどれもがバラバラにされていく。
それは、傍から見れば一方的な解体劇だった。
突き出した長剣を抑えつけられたまま、避けられない位置で炎を浴びて。
武器としていた長槍を軸に跳ね上げられて宙を舞い。
後ろ手に投擲されたメイスに足を砕かれ仲間を巻き込み転倒し。
動けぬところを一点集中された蒼炎で構えた盾ごと飲み込まれ。
数の利は時として集団の側に不利を齎すこともある。
群れて現れることの多いアンデッド相手の戦闘経験が豊富なゲインはそのことをよく理解していた。
勿論、その活かし方も。
四方全てを囲まれないように立ち位置を変えながら、互いの体を障害物にさせつつ、突出した相手に確実に損傷を与えていく。
骨の体であろうと鎧を着ていようと、四肢がへし曲がり欠損し、損傷が増えれば当然動きはがたつき動作が崩れる。
身動きが効かなければ蒼炎は避けようがない。
そうしてゲインは最後に孤立したスケルトンの前に立つ。振るわれた斬撃を半身で避けながら、物言わぬ頭蓋を砕き抜いた。
天幕の中に残された死霊はこれで……あと一体。
未だに孫娘と見つめあったままのカヴァリア・プラウトゥスの死霊のみ。
重なる視線の間にゲインは体を割り込んだ。
戦いの予兆を感じ取ったのか、その時になってようやく、骸骨騎士は錆びついた戦斧を重厚な動作で構える。
身に纏う鎧は薄汚れ、のぞく白肌も骨のそれだ。
だが、威風堂々とした立ち姿にはどこか気品すら感じることが出来た。
「妙なことになっているが……討伐は続行してかまわないな?」
「──ええ、お願いします」
生者を前にしても本能のままに襲い掛かってこなかった事と言い、知性の残滓を感じさせる構え方と言い、どう考えても異様な相手だ。
考えたいことはあるが……やることは変わらない。依頼主からの許可も出た。
スプリアの目の前で祖父の骸骨騎士を討伐する。それがゲインの受けた依頼である以上は完遂するのが彼の役目だ。
「祖父を、名誉を求めた先で果てた騎士、カヴァリア・プラウトゥスを──どうか、楽にしてあげてください」
「承った」
先に仕掛けたのはゲインだった。
瓶詰の亡霊を取り込んだばかりの体内には、悍ましい魔力が大量に渦巻いていた。
その有り余る魔力を潤沢に消費して、扇状に蒼炎を放射する。
確実な損傷を目的とした範囲攻撃。俊敏な速度を持つ相手でも逃れ切ることが不可能な、前方の空間を丸ごと灼き尽す業火。
それに対してカヴァリアの骸骨騎士は戦斧を回転させることで炎を散らして見せた。
「冗談だろ──!?」
「素晴らしい武技。流石はお祖父さま、と言うべきなのでしょうか……?」
「言ってる場合か……!」
スケルトンが行うには芸達者が過ぎるその動作にゲインは舌を巻く。
叫びながら炎を一点に集中させ火力を上げる方向にシフトするも、密度の高まった蒼炎が戦斧の風圧を突破する前に横へと回避された。
「まあ、馬鹿正直に付き合ってくれる訳がない、か」
「──」
メイスを握りしめて地を蹴れば、骸骨騎士も戦斧を振るい迎え撃つ。
重い加速を乗せた金属同士がぶつかり合って、真っ赤な火花が飛んだ。
弾かれた火花がスプリアの瞳を焼き、二人の影を天幕の壁に映し出す。
一合、二合、三合。
カヴァリアの剣筋には迷いが無い。死してなお、その骨に刻まれた「型」が、ゲインの急所を的確に、冷酷に、最短距離で狙い定めていた。
戦斧が空気を引き裂くたび、低い唸りのような風切り音が響く。ゲインはメイスでそれを受け流そうとするが、一撃一撃の重みが尋常ではない。
一角獣の対処に無茶をした代償か、ゲインの左腕の筋肉が軋み、防御のたびに骨に痺れが走るのだ。
「……ッ、骨のくせに、随分と筋が良い!」
ゲインが踏み込み、メイスを下から掬い上げるように叩きつける。
しかし、カヴァリアは戦斧の石突きを地面に突き立て、それを支点に最小限の動作で回避。流れるような動作で斧頭を返し、ゲインの側頭部を狙って横薙ぎに振るう。
メイスを縦に構えて強撃を受け止めるも、衝撃で足元の地面に罅が入る。骨だけの身体とは思えないほどの剛力。
「んならッ」
ゲインは力で押し返すのを非効率と悟り、瞬時に力を抜いて斧の軌道を下方へ逸らした。
空振った斧が床に深く突き刺さる。
とは言え、カヴァリアの剛力ならば引き抜くのにかかる時間は一瞬。
その隙を見逃さず低く構え、足元を狙った横薙ぎの一撃。
だが、骸骨騎士の敏捷性と判断は予想を超えたものだった。
カヴァリアは鎧の薄い下半身を狙った横薙ぎを跳躍で躱し、滞空したまま引き抜いた斧の柄を槍のように突き出した。
ゲインは紙一重で首を逸らしたが、鋭い一突きが頬を掠め、鮮血が舞い散る。
「ゲイン様っ!」
スプリアから小さく悲鳴が上がり──
吹きだした赤い血が空中に線を形作った。
ゲインは距離を詰めるべく前方へ、あえて騎士の懐へと飛び込んだためである。
骸骨騎士の戦斧は前方の空間へと突き出されたままであり、腕もまた伸びきっている。
至近距離。空洞の眼窩と、燃えるような茶褐色の瞳がぶつかり合う。
「これなら防ぎようがねえだろ──!」
ゲインはメイスを捨て、空いた両手で直接カヴァリアの胸当てを掴み笑った。
内側から溢れ出す蒼炎。瓶詰の亡霊から得た魔力を、火傷を恐れることなく、一切の加減もせず、ただの熱として骨の隙間へ流し込む。
「────ッ!!」
カヴァリアの内部から青い煙が噴き上がり、骨の繋ぎ目がミシミシと音を立てて膨張する。
しかし、騎士は怯みはしなかった。炎に焼かれながらも、彼は自由な左拳を固め、ゲインの腹部へ渾身の打撃を叩き込む。
「カハッ……!」
同時に、ゲインも鎧から突き出た膝を蹴り砕く。
二人の身体が弾け飛ぶように離れ飛んだ。
ゲインは床を転がり、膝をついて激しく咳き込む。一方のカヴァリアも、鎧の隙間から蒼い残り火を散らし、膝をついて戦斧を杖代わりに体を支えていた。
「本当に、どうなってやがる……?」
ゲインがふらつきながら立ち上がり、再びメイスを手に両の足で立つ。
「──」
しかし、骸骨騎士が同じように立ち上がる事はできなかった。
熱と衝撃でその身体は多大な損傷を負っており、足が砕けて戦斧も手を離れていた。
内側から焼かれるのは余程堪えたらしい。ボロボロになって崩れかけていたその姿からは、これ以上の戦闘が不可能であることが知れた。
気づけば、既に決着は着いていた。
放って置いても、カヴァリアはこのまま崩れただの骸骨に戻るだろう。
その時、スプリアが尽きつつある祖父の前に歩を進めた。
「おい、まだ近づくな──」
「申し訳ありませんゲイン様。ですが、ほんの少したまけ我儘をお許し下さい」
「……危険と判断したらすぐに叩き壊すぞ」
忠告しつつ、カヴァリアの頭蓋をいつでも吹き飛ばせるように身構えながらゲインも二人の隣に移動する。
天幕の内外の空間を断絶している炎の壁は勢いを失いつつあるが、まだ暫くは持つだろう。
ゲインとしても、できる事ならスプリアが最も納得できる形で決着させたい。
だからスプリアが祖父の残滓に接近するのを許した。
「……どうか安らかにお眠り下さい、お祖父様」
白髪の少女が、膝を付く騎士に語りかける。
その端正な指から、銀の指輪が抜き取られた。
光を映さない眼窩が、刻まれた白菊の紋様の方向に向けられた気がした。
「この指輪は、お祖父様と共に埋めさせていただきます。私は──」
少女の口が言葉を紡ぐ。
それは、家への別れの言葉。
確かな意思と共に、決別の宣誓を謳い上げる。
その刹那、
『──プラウトゥス家に栄光あれ』
あり得ないことが、起きた。




