18.フレ―ム・アウト
「ああ、勘違いしないで下さいね?ゲイン様は依然として魅力的です。身体が危険を危険と認識した故に生存本能への刺激こそ感じますが、それと同時に貴方個人への安心と信頼もあるのです。恐ろしいのに安心もできるというこのギャップは新しい感覚で、これも中々──」
「いい、いい、要らん。声を落とせ……というか黙れ」
スプリアの口を強引に閉じさせると、ゲインは上を指差す。
「むぐ」
「視界内の奴は粗方始末したが、同時にそれだけ派手にやった。今も炎に反応して此方に向かってきてる筈だ。流石に穴の中まで覗きに来る奴はいないだろうが.……時間の問題だな。聖水の効果が切れかけてる」
ゲインの存在感が隠しきれなくなれば、それを察知して塹壕内にまで骸骨達が殺到するだろう。
狭所で数の暴力に晒されたのなら、それ即ち一巻の終わりである。ゲインだけなら生存は可能かもしれないが……それこそ何の意味もない。
スプリアが落ちた時に直ぐに下まで助けにこれなかった理由だ。
この場所で悠長に話していられる時間は少ないという事だ。
「持たせた分は……使っちまったか」
「申し訳ありません。私の勝手な判断で、」
「いや、良い。むしろ大きな怪我無く乗り切れたのだから最上。称賛モノだ」
「ああ、やはりそう思われますか?」
「……自分で言うのは良い性格してるとは思うがな?」
聖水はもう仕方がないと、ゲインは壁際に放っておかれた黒翡翠の入った袋を手に取り……小さく呻く。
砂漠地方に生息する蛙の魔物の腹から作られたその黄土色の袋は、耐火性と耐水性、ついでに伸縮性に優れた逸品。
しかし今は、破れて穴が開いてしまっていた。
中の黒翡翠……爆火鉱は作戦を続けるなら必要不可欠なもの。
これでは持ち運びが格段に不便であり……そしてこれでは、気軽に炎を使えない。
「破れたか」
「落ちた時に壁に引っ掛けてしまったかもしれません」
「仕方が無いが、さて、どうしたものか……」
「それなら、良い案がございます」
スプリアは躊躇いなく烏型のマスクを外し……その瞬間、大霊園の臭気が彼女の臓腑に侵入する。
腐土に黴、錆びた鉄、人骨に腐った油。それらを内包する秩序なき死の大気。重苦しく耐えがたい不快感が彼女を包みこんだ。
「っ……!」
「おい、無理はするな」
「……言っている場合ではないでしょう?」
肺に入れるだけで寿命の縮まるような空気に怯むのもほんの一瞬。スプリアは嘴の先端に詰めてあった香草を迷いなく地面へと捨てる。
そして袋の中の黒翡翠をマスク内部へと詰め替え始めた。中が一杯になるまで詰めたところで、切り取った蛙皮の布を被せるように貼り付け、水分と氷でさらに固定した。
「どうでしょうか?」
「なるほど、思ったよりそれらしいな」
作り上げられた即席の梱包道具に素直に感心する。これならば、多少不格好でも黒翡翠の持ち運びに問題はない。
そして、依頼の遂行に支障は出ない。
ゲインは優秀な冒険者だ。
個人的な感情でこの討伐依頼を完遂させたいと強く考えてはいるが、それでもいくつかの前提条件が崩れた時は撤退も視野に入れていた。
スプリアが塹壕へと落ちた時は思考がショートしかけたし、怪我の具合によっては即離脱を決めていた。
しかしその必要がなさそうであることに安堵する。何より、これまでにないほど前向きな彼女の意思に期待をしてしまう。
だってそうだろう?依頼主の思考には、諦めが欠片も浮かんでいないのだから。
ゲインは得物を背中に挿し、固く封された魔法瓶を手に取った。
聖水が足りない以上は、最早隠密行動を前提とした安全策はとれない。
故にここからは……時間勝負である。
「……使うのですか?」
「ああ、こうなった以上大本営の天幕までは一息に行くしかない。当初の予定より早くはなったが……どうやらスプリア嬢も覚悟は決まっているようだしな」
そうしてゲインは瓶の封を開け、スプリアの見つめる中亡霊を飲み下す。
深い息を吐き出すとともに瞳孔が開かれていく。
支配する。圧し潰す。燃料に変える。
瓶から現れた異質な気配が直ぐにゲインのものへと塗り替えられて一つになるところを、プラウトゥス家の少女はまじまじと観察していた。
「凄い……えっ?」
その変換を見てぼうっと呟いたところを……いきなり抱きかかえられる。
硬直したまま此方の顔を見つめる腕の中のスプリアに、そして彼女の抱える黒翡翠を詰め込んだマスクに視線を落とすと、灰褐色の瞳を爛々と光らせたまま狩人は言った。
「大事に抱えていろ。決して離すなよ」
「振り落とされる心配は、しなくて良い」
***
死者の楽園にして戦場跡。
普段は生命が音を立てることの無い禁則地の只中、その静寂を破壊しながら男が走っていた。
過剰なほどの前傾姿勢を維持しながら、土煙を上げるほどに速く、踏みしめられた大地に跡を残すほどに力強く。
荒れ果てた景色を抜き去って、足下に埋まる動き出すことの無かった死体を抜き去って、そして──その背に剣を振り下ろそうとする骸骨の群れを引き連れて。
気配が隠せず匹敵が確実ならば、いっその事派手に征く。
その身体から発される瘴気は骸骨達と比較するまでもないほどに濃く、怨念渦巻く大霊園の大気の中にあってなお一際の存在感を放っていた。
大地に散らばっていた骸骨達は、明かりに誘われる蛾の様に彼を追いかけて行進を開始する。
何故なら、彼を追うアンデッドは皆理解しているのだ。どれだけその存在が死に近くとも、どれだけその威容が彼らを超える化け物であっても──その存在が生の側に在ることを。
故に本能に導かれるまま後を追う。それを殺さんと生前の武器を振り上げる。
ゼフムダルカが禁則地たる由縁、容易に起こり得る集団暴走。
その一体一体が強力なスケルトンであり、強行突破などという馬鹿げた選択をした愚か者に、避けられぬ死を与える屍兵の群れだ。
男の腕の中には白髪の令嬢。奇妙なマスクを我が子の様に必死に抱えたまま、生命の危機を感じながらも決して目は閉じない気丈な少女。
……そしてついでに言えば自らの置かれている状況に── 横抱き に心臓の鼓動を加速させていたりする年頃の少女だ。
数百を超えるスケルトンの群れに追いつかれたならば、今度こそ確実に命は無い。しかし、スプリアの心臓を強く鳴らしているのは別の何かであった。
(どうしてでしょう。この地の空気にも命を脅かす感覚が含まれているのに、ゲイン様と違って少しも魅力的に感じないのは)
自らを支える丈夫な腕を背中と後膝部に感じながら、少女は不思議に思っていた。
地上の空気は塹壕内よりは匂いで言えばかなりマシだが、それでも依然として命を脅かすものだという感覚は残っている。
それを不快にしか思えないのは、今は死ぬ気が無いとスプリア自身の心持ちが変わったからなのだろうか?
この地に薄っすらと蔓延する瘴気からは、品の無い無秩序さしか感じ取れなかった。
(ゲイン様という一つの意思、存在の元に統一された濃縮された瘴気であったからこそ、私にとって洗練された印象を与え魅力的に感じるのでしょうか……?)
考察してみれば、確証は無いがそれが正しい答えな気がした。
(出会った時からそうだったのか、一緒にいるうちに私がそちらに慣れていったのか。もし前者ならば……)
もしそうならば、スプリアが惹かれていたのは、或いは最初から──
(ふふ。それこそ考えてみても仕方の無いこと、ですね)
少女はそこで思考を切る。
今はただ、彼の腕の中に居る恐怖と安心感、そして風を感じながらの疾走による高揚感を楽しんでいたいと思ったから。
こうして、前へと進めている事がなにより楽しく感じられたから。
「……そろそろ準備しろ。天幕に着く」
疾走中のゲインが前方を睨みつけながら言う。
彼がこの戦場跡で帝国の大本営の巨大天幕の様子、形状を確認したのは数年前のことだ。汚れによって元々の色が分からなくなるほどにくすんではいたが、良い素材が使われていたのか倒壊することなく布も骨組みも損傷なく生き残っていた。
放置されていた数十年に比べれば、たった数年の短い期間。どうか劣化で壊れていないでくれと、半ば祈るような気持ちで睨みつけて……
「問題はなさそうだ。行くぞ……!」
さらに加速。
全身全霊、両足の筋肉を限界まで酷使してのラストスパート。後方より迫りくるスケルトンの群れに水をあける。
そうしてスプリアを抱えたまま、天幕の入口へと向けて全力で突っ込んだ。
突入と同時、ゲインはスプリアを地面に離すと入り口付近で彷徨っていたスケルトン達へ先制攻撃を仕掛ける。
「撒け!!」
雷鳴のような一喝で天幕内のスケルトン達の注意を自分に惹きつけると共に、依頼主への指示。
スプリアは烏型のマスクから皮を引っぺがすと、当初の予定通りに黒翡翠を地面へと敷き詰め始める。
地面が揺れる。大気が揺れる。
数百の……或いは千にも届きかねないスケルトンの大群が正面から向かってきている状況でもスプリアが恐怖で我を失うことはない。
過度に焦らず、手を振るえさせることなく、花壇に如雨露で水をやるかのような冷静さで……スプリアは砕けた黒い粉を撒き終える。
遅れて天幕まで突っ込んでくる無作法者達へと向けた、悍ましき花道を作り上げる。
「できました!」
「良し、なら離れろ!!」
即座に倒した骸骨の身体を黒い絨毯の上へと放り投げ、狩人の右手に蒼炎が宿った。
それを天幕内の相手への牽制に使いながら、目を細め、機を見定める。
まだだ、まだその時ではない。
「「「「「──!、────────!」」」」」
屍兵の大群が、音を立てて殺到する。
かき集められた骸骨隊に協調性など存在しない。我先にと迫りくる骸骨達は互いの身体に邪魔されて転倒し、後続に飲み込まれ、それを気にすることなく群体となって進み来る。
骨と骨が打ち鳴らされる。鎧と鎧が打ち鳴らされる。
生者を生かして返さぬと、我武者羅に前へとひた走る。
そうして列の先頭が黒い絨毯へと足を掛け、倒れていた骸骨に引っ掛かり体勢を崩すと同時──
「燃え盛れ」
蒼炎が放たれる。
爆火鉱。
魔素によって特殊な性質を持つに至った黒翡翠。
炎の威力を何倍にも増幅させる、鉱石由来の助燃材。
多めに魔力さえ込めれば、骨であろうと構わず燃やすのがゲインの蒼炎だ。その逸脱した火力にこの爆火鉱の粉末を掛け合わせたならば……結果は必然。
大霊園に、蒼い火柱が立ち昇る。
群がる骨達を瞬時に意思なき人骨へと変え、その骨すら新たな燃料として燃え続ける蒼き炎。その熱の前では、彼らが纏っていた鎧でさえ溶けていく。
骸骨共がどれだけの数を揃えていようと燃えながらの前進など許さない。ひとたび火の中に入れば、後は薪となって崩れるだけ。
喰らい飲み込む蒼炎が外の景色を隔て、天幕の入り口を封鎖する。
「十分、といったところか」
呟いたゲインが愛用のメイスを低く構えた。
有象無象は炎の壁に遮られ、この舞台から強引に退場させられた。
相対するは炎を背にした”死霊狩り”を見つめる幾つもの眼無き視線。天幕内に潜んでいた帝国の屍兵達。
そして……
「──お祖父さま」
数十年の風化を経て尚、他の骸骨と比べて華美な装飾の鎧と兜。一目見ればそれと分かる大将首。
帝国軍総大将、カヴァリア・プラウトゥス。死霊と化したその骸骨が二人の闖入者を見つめていた。




