17.底にて踊る
事故は唐突に起きた。
群れを成したスケルトンの猛攻。それを焼き払いその身体を砕くゲインに同行者を気に掛けるほどの余裕はない。
しかし、スプリアに骨達の手は伸びてこなかった。余程彼女が近づきでもすれば話は変わるだろうが、アンデッド達が真っ先に狙うのはゲインだ。
色濃い死を宿し、それでも確かに生の側にいる特異な存在を彼らは無視できない。
これまで通りに、戦闘に巻き込まれないよう、ゲインの邪魔にならないようにスプリアは一歩後退した。
コサッ、と。
どこか間抜けに響く柔らかい音の後、右足が沈み、体勢が傾く。
「ゲインさ……」
足元の地面が崩れたのだと気づき、咄嗟に声を出すも遅い。踏ん張ろうとしてもその甲斐なく、持っていた袋で頭を守るのが精一杯。
「っ!、おい……!?」
振り返ったゲインが驚愕の声を上げ……その隙を突かれて幾多もの骸骨に群がられる中、スプリアは落ちていった。
屍兵の待つ塹壕の中へと。
***
転がり落ちる最中に頭に強い衝撃。視界が白く染まる。意識が制御下から失われ、時間が間延びする。
霞む意識の中で走馬灯の如く浮かぶ景色は……ああ、なんともつまらない、色褪せた日々のものばかり。
彼女が価値を見出すことのできない、息の詰まる思い出のみ。
スプリアはぼんやりとした頭で『最悪』を覚悟した。
実に笑える終わり方だ。
不注意の事故。曲がりなりにも色々なことを決意してこの地まで遥々やって来た結果が、そんなつまらないものになるとは。
(──ああ、こんな呆気なく?)
だが、この先に待っているのは、ある意味で彼女がずっと求めていたものである。それが思いがけず早く訪れただけ。
死。
破滅、そして解放。
受け入れてしまえと瞼が重くなる。
肖像画でしか見たことの無い祖父が変じた魔物の消滅など、見たところでどうせ何一つ変わらない。これまでのように流れに身を任せろと。
それが彼女の人生だった。
ただ流されるままに生きてきた。不満しかない筈なのに、現状を変えようとする努力を怠ってきた。意味がないと思っていたから。そう考えて諦めてしまったから。
最近は少しばかり自分の意思で動くこともあったが……それだってこうして意味も無くなる。
手放せ。
受け入れ、流されろ。
迷う必要なんてない。だって今回はいつもとは違うのだ。そうだとも、今回こそ願い続けていたものは手に入る。
そうやって目を閉ざせば……
何時ものように身を任せたならば……
──何も考えず、ただ死ねる……?
(それは……嫌だ)
漠然と、そう思った。
続いて明確な意思でもってスプリアはその終わり方を否定した。
そう思った瞬間、途端に身体が苦しくなる。
苦痛と疲労が思い出した様に主張を始め、ぼやけた頭は芯から響くような頭痛を訴え出した。
意識が覚醒へと近づいていく合図だ。
スプリアは全てを終わらせる気でこの地まで来た。その中には当然自分自身のことも含まれていた。
彼女にはプラウトゥス家である事しか無かったのだ。
プラウトゥス家が終わるのならば自分の生にはもはや意味などなく、ならばせめてどう美しく終わるかばかりを考えていた。
しかし、それは粛々と認めるべき、価値ある真実なのだろうか?
迷いが生じていた。それはゲインの過去を知り、村を見る中で知らない内に大きくなっていたものだ。そして彼との対話の中で明確に形を得たもの。
生きる意味が見つからない。潔く、奇麗に終わらせたい。そう思っていた筈だった。
或いはそれは悲劇の舞台の演者の様に、と。
生じた雑音は、彼女の内から出た声だった。
ただ諦めることを、お前は本当に美しいと思えるのか?
「…………っ!」
はっと目を開く。
目の前にはこちらに手を伸ばす骸骨の窪んだ眼窩。少女の柔らかい喉に掴みかかり、握り潰さんと迫る骨だけの屍兵。
大霊園の地の底で数十年も燻り続けた不死の怪物は、今まさに落ちてきた生者を逃がすまいとその命を摘み取りに掛かる。
「私は──」
考える猶予はない。躊躇などしている場合ではない。
終わりたくないならば、進まねばならない。
剝き出しの骨で出来た指が喉を突き破り彼女の肌を赤く染める前に、スプリアの右手は瓶を掴んだ。
ゲインから予備にと渡されていた聖水瓶。彼の所持分を含めて正真正銘最後の一つだ。
スプリアの白い掌が冷気を放つ。空気と触れるガラスの表面に霜が付き、その中身を急激に冷やしていく。
キンッ、と破綻を感じさせる音を立てて瓶の表面に亀裂が走った。
「私はまだっ、」
そのまま……スプリアは骸骨の顎元へと右腕をかち上げる。どこか小気味良い音と共に瓶は割れ、中の聖水が骨組みの中の空洞へ、そしてそのカルシウムで出来た身体へと降りかかった。
シュアアアアアアッッ!と焼けた鉄板に水滴を垂らしたような音が響く。
祝福された液体をその身に浴びて、声もなく灼かれ苦しむ兜付きの骨の怪物。
しかし──沈黙することはない。活動を止めて倒れ伏すことはない。
分かっていた。この地のアンデッドが他と比べて特別強く、そして極々単純な表面積的な問題として、骨だけで出来た空洞の身体に聖水の効果が薄い事は説明されていた。
故に、スプリアの両手は既に前へと向けられている。
掌に集められた魔力より、全てを出し切るが如く極寒の冷気が生み出されている。
「死ぬ気はありません──!」
氷風が吹きすさぶ。
凍れ、凍れ、凍れ。
祝福されていようと聖なるものであろうと、その形態はあくまで水分。ならば急速に冷やせば氷へと変わるのは当然のこと。
聖なる液体が地へと落ちるよりも先に、骸骨の身体から離れていくよりも先に、その身体を凍らせ固定する──!
「ヵ───」
体を覆う氷によって動きを止められた、物言わぬ骸骨がガチガチと歯を打ち鳴らす。
それはいっそ面白いほどに寒さに対する人間の反応と似通っていた。
しかし、その原因は冷気によるものでは無い。氷に込められた祈りが、怨念を浄化していく。身体から離れなくなった聖水、その効果によって不死の怪物はもだえ苦しみ……そして最後には沈黙した。
機転と決意による、スプリアの勝利だった。
「……これで、」
眼前のスケルトンが浄化されただの人骨へと戻ったことを確認したスプリアは安堵のため息を吐き……
振り返って、もう一体のスケルトンが此方に向かって襲い掛からんと腕を振り上げていることに気づく。
「……!」
生命の危機を前に、時間がスローモーションのようにゆっくりと進んでいる感覚に襲われる。
絶望するに十分な状況だった。
もう聖水瓶は手元に無く、慣れない魔術を全力で使用したため魔力も大半を失ってしまった。
同じ手段は二度と使えない。彼女にはもうこのスケルトンに対抗する手段はない。
後はもう、無力な少女は嬲り殺されるだけ。
しかし──スプリアの口もとに浮かぶのは冷たい微笑であった。
決意さえしてしまえば、こうも流暢に体は動く。それが何だかとても面白い事に感じられた。
ある意味では死者の楽園に相応しい、人の温度を感じさせない表情で淑女は微笑む。
「粗野な殿方は好みでは無いのですが、ね」
呟くと共に、今しがた倒したスケルトンへと手を伸ばす。
此方に向いたまま動かなくなった骸骨の右手に自身の左手を重ね……スプリアはその手をリードするように一気に腰元まで引いた。
手を繋いだまま、半円を描くステップで彼我の位置を交換する。
ぎこちなくも、どこか優美。
それは社交ダンスにおいて曲調が盛り上がる際の動きであり、本来であれば彼女ではなく男性側が取るべき動作。
続いてぐしゃり、と人骨の潰れる衝撃音が歪なメロディーを奏でる。
パートナーにした人骨を間に挟むことで、立ち位置を変えながら淑女は相手の殴打を受け止めた。
凍り付いた遺体を盾にすることで、その衝撃を和らげる。
動きを止めぬ側の骸骨の攻撃を、止まった側の骸骨で防御する。
「ふっ、これは、中々──!」
一発一発が緩衝材を貫通して華奢な彼女の身体に痛みと疲労を与えていく。
同じ骨と骨の衝突である筈なのに、スプリアは手を引く側の身体だけが一方的に欠け落ち崩れていく事に気づいた。
恐らくは人骨がアンデッドでは無くなってしまった故に魔物としての力を失いつつあり、骨自体の強度に明確な差が生まれてしまっているのだ。氷で表面を固定していなければ、一瞬でバラバラになってもおかしくは無かった。
そしてスプリア自身の身体も限界だ。言うまでもなくこのスケルトンは強力であり、武器を持たぬただの殴打でも、その衝撃は淑女が経験したことが無いほど強い。
腕の痺れはとっくに限界を超えている。空気中から新たに集めた水分で自分の手ごと凍らせていなければ、すぐに盾たる相手役を手放してしまっていただろう。
ほんの数秒の時間稼ぎにしかならない。
そして、時間稼ぎで良いのだ。
轟音と共に、一際大きな蒼炎が塹壕の地下から僅かに見える灰色の空を埋め尽くす。
次いで黒い影が再び空を覆い……洗練された暴威が壁を蹴り地の底へと降ってくる。
──自由落下よりも速くスケルトンの頭上へと強襲したゲインは、両手で握ったメイスで頭蓋骨を砕き割りながら、その強張った身体を大地に踏み敷いた。
***
「済まない。遅くなった」
「充分です。私の騎士様」
「だからその呼び方は止めろと……全く」
ボロボロの骸骨を支えたまま此方に感謝の視線を向けるスプリアに返答するゲイン。
何なら彼女自身の不注意が発端とはいえ、長い間依頼主を危険に晒しておいたこの状況においてその敬称は皮肉ではないかとすら思う。
ゲインは、仕方ない奴だ、とでも言うように苦笑いした。
目を凝らさねば分からないが彼の外套には幾つもの擦り傷が増えており、剣先が触れたのか頬からも出血していた。黒布で覆われている髪の先も、自ら放った炎でチリチリに焼け焦げている。
陥った状況の激しさを感じさせる風体。それにも関わらず、彼の表情は何時になく晴れやかだ。
「だが、良い啖呵だった」
「ああ……聞こえていましたか」
「心境の変化は歓迎するところだ」
ゲインの機嫌が良いのはスプリアの言葉が聞こえていたためだ。
「『まだ』死ぬ気はない」という言葉の『まだ』が何を指しているかはゲインも察していたが……例え短い時間を対象とした言葉であっても、決意自体は本物であり喜ぶべきことだった。
「……正直、まだ自分の気持ちを測り切れてはいません。でも、」
対するスプリアの表情は少し硬い。
スプリアは今確かに、進みたいと思っている。
消極的意志で漫然と生きるのではなく、目標と掲げたものを達成するために。祖父の元へと辿り着くために。
そしてその場所で自分の世界を変えたいと願っている。指を咥えて諦めるのではなく、それ以外の選択肢を見つけられる自分に成りたいと思っている。
だから……
スプリアは自身の近くに立つゲインを真っ直ぐに見つめる。触れ合いそうな距離。聖水で薄まってはいるが、依然として色濃い死の瘴気を放つ”死霊狩り”を見つめて言う。
「今は少しだけ──貴方が怖い」
「……そうか」
それこそが、彼女が今この瞬間、死を拒んでいることの証明。
狩人は、少しだけ寂しげに頷いた。




