16.突入、ゼフムダルカ大霊園
「行くか」
明朝。村には白い薄霧がかかっており、数歩先の視界をぼやかしていた。
外套から微かに覗くゲインの右腕は、彼の宣言通り火傷の跡を消し去っているようだ。
「行きましょう」
スプリアは一度村を見回した後、そう答えて馬車に乗り込む。
たなびく銀髪は、未だ答えを出せずに揺れていた。
それでも彼女に、ここまで来て進まない選択肢はない。
それに──決着を付けてこそ出てくる答えもあるかも知れない。
馬の脚はいつもより緩やかに、しかし確実に小石混じりの地面を進んでいく。
二人を乗せた馬車は人の住む場所を越えて死人の領域へ。
禁足地、踏み入る事許されぬ場所。
標識があるわけでも、明確な区切りがあるわけではない。しかしその境を乗客達は肌の感覚で感じ取っていた。
二頭の馬が、我慢できないといった様子で嘶いた。
「……すいやせん。これ以上は」
「充分だ。この近くで待機していてくれ。上手くいけば夕刻には戻れる」
身を震わせる御者にそう告げると、ゲインとスプリアは灰色の地面へと降り立った。
スプリアは烏型のマスクを装着しており、手には両手サイズの皮袋。ゲインはいつもの黒衣。しかし、外套の中に常とは違う緊張感を漂わせていた。
上手くいけば早く済むとは言ったが、楽観視しているわけではない、むしろ逆だ。この場所で時間をかける事、それ自体が危険であり死への一本道。目的を迅速に遂げてさっさと戻る事が望ましい。
眼下に広がる戦場跡は、この大陸に六つしかない禁則地と呼ばれる場所だ。
政治的な意味は既に無く、蠢く魔物は疎まれつつも侮られがちなアンデッドしかいないにも関わらず、この地は人が立ち入るべきではない場所として広く知られている。
なにせこの場所は──
***
ゼフムダルカ盆地と呼ばれる肥沃な大地があった。
当時、その土地を求め帝国がガッテリア公国相手に戦争を仕掛けたことが始まりであった。
軍を率いたのは猛将カヴァリア・プラウトゥス。
下火ではあったが、それでも未だ国土拡大が叫ばれていた時代。正当性の薄い戰いではあったが、そんな事を気にする者は帝国内にはどこにも居なかった。
対するガッテリア公国側からすればたまったものではない。
戦力で劣る彼らはしかし、待ち構えるように陣を敷き、幾つもの籠城施設を作り、徹底抗戦の構えを見せた。
公国が多くの土属性魔術を得意とする魔術師を抱えていた事、宣戦布告から時間を掛けての出兵が彼らの準備を大げさなほどに強固なものにした。
大小様々な砦や要塞が景色いっぱいに乱立され、その中には張りぼてのダミーすら多量に存在したと言われている。
戦線は混迷を極めた。
如何にカヴァリアが名将であったとはいえ、地の利においては帝国兵と公国兵の間には圧倒的な差がある。
高所から放たれる砲弾や魔術に、偽装された地面から奇襲を仕掛ける敵兵。必要性を疑いたくなる程に複雑かつ煩雑に掘られた塹壕はまるで迷路だ。
兵力が同程度であったなら帝国軍はなす術なく敗北していただろう。占拠した砦を利用しながら少しづつ少しづつ戦線を押し上げる帝国軍は、その頑強さと将の優秀さを示していたと言える。
戦況は互いに苦しいものだった。しかしこのままならば帝国が辛うじて押し切れるだろうと予測されていたその時。
戦場に悪意が落ちた。
下手人は今でも分かっていない。
帝国はこれを勝てぬと悟った公国の手による悪逆極まる非道行為だと評し、公国もまた理性を失った帝国の暴挙と見解を示している。
戦場上空に打ち上げられた土気色の袋の中身は、人知れず殺された毒竜ディドラスの肝と死血と毒袋。
撹拌されて希釈されたかつて竜であった液状の混合物は、上空にて弾けた後ゆっくりと戦場全域に降り注いだ。
生き残った者は居なかった。
死毒の雨霧によって、帝国の人間も公国の人間も、貴きも卑しきも種族も関係なく、兵達は皆一様に死んでいった。
その場において、何が起きたのかを理解できた者は少ない。
しかし──苦しむ時間だけは充分にあった。
薄められ霧と化した毒は確実に兵達の身体を犯したが、即座に死亡させる濃度では無かったのだ。
苦しみ、手立てを探し、頑強な身体を奮い立たせようともその甲斐は無く。
その場にいた全ての者が誇りの無い死を迎えた。
苦痛があった。悲嘆があった。憤怒があった。憎悪があった。絶望があった。
風を通さぬ塹壕があった。屍体を守る砦があった。負の感情に呼応する魔素があった。
……嗚呼、そこには必要な全てがあった。
帝国はこの戦以降軍事力に物を言わせた国土拡大行為を控えるようになる。
最初から正当性の薄かった侵略行為もまた時代の中で忘れ去られるべき汚点と見なされ、兵達の遺体が回収される事はついぞ無かった。
ゼフムダルカ戦場跡、と一時期そう呼ばれた場所には、大気から毒の蔓延が消えた後もその恐怖が消えることは無く、近づきたいと考える人間は誰一人現れなかったのだ。
欲しがった側も守りたかった側も、忌まわしき土地の一切を放置した。
そこには呆れる程の、時間があった。
全ての要素が、死霊達を育むのに最高の環境を作り出していた。
帝国兵と公国兵、両軍合わせて一万を超える死者たちの約六割がアンデッドへとその身を変じた。鍛え上げられた身体と、質の確かな武器を持つアンデッドに。
その危険度たるや、凡百の屍体たちとは比にならない。人々はここをアンデッドの楽園と呼び、忌み嫌うと共に忘れ去った。
故にここは禁足地、ゼフムダルカ大霊園。
怨念が沈澱した吹き溜まり。埋葬されぬ死者達の墓場。
楽園とは名ばかりの、棄てられた土地である。
***
「此処らはまだ安全な筈だが、奴らも移動はする。警戒は怠らず離れず歩け」
「ええ、しっかり先導して下さいね」
荒涼とした戦場跡に、冷たい霧が漂う。かつての小砦は今や崩れた石壁と朽ちた木の梁が絡み合い、複雑な迷宮のような地形を形成していた
スプリアとゲインが通っているのは、ゲインが前回アンデッドを掃討したルートだ。
ゲインがまだ死霊喰らいを続けていた頃、彼の行動理念からすれば当然の如く単身この地へと踏み入った事がある。
そして高いリスクに反して利薄しと、逃げるように脱出したのだ。
こいつらからは、望むものは得られそうにない、と。
兎に角、そのルートをなぞればある程度までは比較的安全な道筋を辿れるのだ。専門家の面目躍如と言った所であろう。
とは言ってもあくまで比較的。絶対の安全を担保するものでは無い。それを証明するように……
鉄を引きずる音と共に現れたのは、未だ生前の武装を身にまとうスケルトンだった。
「武器を持っているのですね。それに、なんというかこの感覚は」
「──一体。後続は無しだな」
呟きと同時に、ゲインが跳ぶ。
胴ごと砕き割るべく振るわれた渾身のメイスは茶色く汚れた骨の身体へと吸い込まれ、スケルトンを吹き飛ばす。
容赦のない一撃、しかし。
壁に叩きつけられたスケルトンは土屑を振り落としながら、ゆっくりと起き上がると硬質に体を鳴らして見せた。
その手には、ゲインからの攻撃が加わる瞬間、即座に体の前に差し込んだぼろぼろの小盾が握られていた。
スプリアが驚きの声を上げる。
「まだ動くのですか……!?」
”意志持つ骨” スケルトン。
肉体が腐敗しづらいリビングデッドが長い時間をかけてその駄肉を落とし、内に宿る亡霊をその骨子に定着させた姿。
ゲインの調べによれば、その変化に要する期間は概算で約十五年。長い時間を経てアンデッドは、一段その存在を確かなものにする。
柔らかく重い肉と一緒に筋肉まで無くした筈のスケルトンは、いかなる理屈か更に俊敏かつ強力な力を振るうようになる。
緩慢で知性を感じさせないリビングデッドと比べれば、その動きに『洗練』という言葉が形容できるほどに。
生前の動きを思い出したのか、それとも新たな自我を獲得したか。
相対した冒険者たちは、その窪んだ眼窩の奥に意志の光を幻視したという。
……勿論、彼らに生物的な意思を期待してはいけない。進化を遂げたところで彼らの行動原理自体はリビングデッドとなんら変わる所は無いのだ。
生きているものに本能的な敵意を持ち、自分達と同じ目に合わせようと襲い掛かる、卑しく、そして恐ろしい魔物。
「とはいえ、コイツはもう終わりだ」
冷たく視線を向けるゲインの前に進み出た骸骨の腕から小盾が落ちる。
その腕はひしゃげ曲がり、亀裂のような罅が入っていた。力の籠ったゲインの一撃を経年劣化した盾で防ぎきれる筈が無かったのだ。
それでも右腕に握った長剣を振りかざし襲ってくるスケルトンをゲインは柄で弾き、そのまま脳天から叩き壊す。
一連の戦闘自体は危なげのない快勝に終わったが、スプリアの顔色は優れない。
──怨念が、素体が、量が全くの別物だ。
頑強な兵士の肉体と戦用の装備、殺意と絶望に満ちた怨念、醸成に十分な時間と環境。
初撃、ゲインは一切の手加減をしていなかった。にも関わらず当然のように相手は攻撃を防御し動いてきた。
ぞっとする。一体倒すだけでもこの苦労。そして、同じような力のスケルトンがこのゼフムダルカ大霊園には大量に存在するのだ。
それらがもし騒ぎを聞きつけて群れを成すように集まってくるとするならば……対応を誤った途端に囲まれて、成す術なく嬲られて終わるだろう。
「それにしても……この場所で既に出てくるのか。どうやら楽は出来そうにないな」
「アンデッド達も移動する、という事でしょうか?」
「そういう事だ。死者は死者らしく大人しく眠っていて欲しいものだが……それが出来たらあんな姿にはなっていないか」
ゲインは自身の身体に聖水を適量振りかけた。潜めていた気配が更に和らぎ、怨念渦巻く大霊園の空気に溶け込む。
ゲインの存在が大きいほどアンデッドの注意はスプリアから離せるが、それで周囲のアンデッドを惹きつけてしまえば本末転倒だ。故にこうして紛れ込む。
二人は細心の注意を払いながら、大霊園の奥へと進み始めた。
そこらを彷徨っている武装した骨達全てを相手にするわけにもいかない。下手なものを踏まないように意識しながら倒壊した建物の傍を隠れるように進む。
遅々とした行軍。
明らかに多くの兵士が潜んでいそうな原形を保った建物や、遠くから確認できた骨達の溜まり場。そういった場所を避けながら進むには、どうしても迂回を余儀なくされる。
しかし如何に気を付けようと、無数に潜む彼らとの遭遇を避けきる事はできない。
「! バレました!」
「チ──」
ガチャガチャと、鈍く金属質な音。呼応するように現れる骸骨の群れ。
二人を見つけたスケルトンが動き出すと、くすみきって錆び付いた鎧が骨の身体とぶつかり鳴らしあい、耳障りな音を響かせる。
すると、その音自体が仲間への呼び声になっているようであり、惹かれるように周囲からも骸骨が湧いて出るのだ。
厄介な事この上ない。ある程度の技量と力を兼ね備えたスケルトン達が、ここぞとばかりに徒党を組んで群がってくるのだ。
連鎖するように、共鳴するように、骸骨たちは集まって攻撃を仕掛けてくる。
生者を迎え入れろと、幽世への呼び鈴が鳴り響く。
「本当に.……クソだな!」
出し惜しみなど出来る筈もなし。ゲインの対応もまた果断にして単純なものとなる。
視認と同時に骨すら燃やす火力の蒼炎で巻いて、湧き出る骨達を手早く壊すことに終始した。
例え周辺の骨達を倒しきったところで全体にとっては全くの痛手にならないし、一体一体をメイスで殴りつけていては時間が掛かりすぎるのだ。
戦い続けたなら間違いなくこちらが一方的にガス切れする。
鎧を纏う個体に動かれた時点で連戦が殆ど確定する。故に、速攻で仕留める。
対処を変えなくて済むのは楽ではあるが、禁則地の中で限りある魔力量を減らされていく感覚は不快の一言だった。
ミスの許されない緊迫感はゲインの精神と魔力を着実に削っていく。
時間をかけて戦う訳にもいかず、また、炎を向けられると同時に回避行動を取ってくるスケルトン相手に、範囲を絞って魔力を節約する事は出来なかったのだ。
そして、その炎が他のスケルトンを呼び寄せる前に急いで場所を移さないといけない。
着いていくだけでもスプリアは一苦労だ。足場も視界も悪い中、打ち捨てられる人骨を踏むのも構わずに必死で追いすがる。
「はぁ、はぁ.……ふぅ、は」
「問題ないか」
「ああ……お気遣いありがとうございますゲイン様。なんでしたら抱えて運んで頂いても……」
「……意外と余裕そうだな」
冗談を言ったわけでは無かったのですが、というスプリアの呟きは風に消える。
明らかに風化が原因でない破壊跡。陥没した大地や抉られたような岩壁からは、当時の戦場の激しさが感じさせられた。
二人の進行もまた、強行軍のようなものに変わっていた。戦場を身一つでの横断。しかも、大霊園へと変貌したこの場所においては公国兵と帝国兵の両軍が敵である。
もっとも、劣化し紋様すら判別できない鎧からはそれがどちらの兵士であったかなど知る由もないのだが。
「……皮肉なものですね。互いに争いあっていた彼らが、今では……」
「お手手繋いで仲良く襲い掛かってきやがる。それがアンデッドだからな」
二人の顔に疲労が見えていた。
だが、幸いにして向かうべき場所は決まっている。この地の骨達のようにあてもなく彷徨う必要は無い。
カヴァリア・プラウトゥス、帝国軍の総大将。ならばその居場所は当然の如く──。
「見覚えのある景色だ。そろそろ近いぞ、大本営が」
かつての帝国軍大本営仮設天幕。
それが、ゲインとスプリアの目指す場所だ。




