15.作戦前夜
「つまり……殺したのか、自分の父親を」
「はい。後悔はありません。もう少し話をしておきたかったというのが本音ですが.……言っても仕様がない事ですから」
スプリアの声は静かだった。
けれどその奥に、十五年間積み重ねてきた重い澱が、ゆっくりと滲み出ているのが感じられた。
葬儀は内密に行ったのだと言う。当主の死期を隠し公表を遅らせるのは貴族たちにとってそう珍しい事ではない。とは言え、使用人の中に間者が居るならばすぐに露見するのだろうが。
使用人たちも解雇した。誰が”そう”なのか確かめるすべがないためだ。
「事実、少し行動を起こしただけで暗殺者が差し向けられたわけですしね」
ヴァイス家の手先──その時はどこの家の者かも分からなかったが──が同じような手をスプリアに使う可能性は十分にあった。スプリアが見逃されていたのは、何もできない小娘と見なされていたからにすぎない。
意識を混濁させられたまま殺されるのは御免だった。それは、スプリアにとって最も避けるべき終わり方の一つだ。
そうして母が消え、父を看取り、使用人たちに暇をやって、スプリアは一人になった。
スプリア・プラウトゥスには既に戻る道も帰る家もない。
自分の意思で消している。
このまま、自分もそうなるべきだと考えている。
「その時には、既に俺にギルドを介して俺との面会予約を取っていたという訳だな。大した行動力だ」
「はい。祖父の亡霊を排し、プラウトゥス家の全てに決着をつけてから潔く自害する気でした。ですが……まぁその、実際に会ってみるとゲイン様が……凄く魅力的な方だったもので」
スプリアが気恥ずかしそうに言う。
妙な方向に話が進むのを察し、ゲインは顔をしかめた。
「服毒には抵抗が出てしまったので元々は自刃を考えていたのですが……漠然と、ゲイン様となら素敵な死に方が出来そうだな、と。私からすれば、ゲイン様の身体はとても蠱惑的なものとして映っているのですよ?」
「こんなに嬉しくない誉められ方も珍しいな」
頬に手を当てしなを作り、恥じらうようにに言われたところでゲインも困る。あるいはもっと別の方向で恥じてくれと言うべきなのかもしれない。
ただ、スプリアの意図は理解できる。詳らかに語ってくれこそしたが、これ以上は自分の過去を議論の場に置きたく無いのだろう。
話を逸らしているわけだ.……別に、嘘をついているようには見えないのが怖い所だが。
それでも、確認しておかなければならない事はある。
「というかスプリア嬢が事故と称して俺に殺された場合は、祖父の骸骨討伐の完遂には期待できないんじゃないか?」
「そうですね、その場合は中途半端な結果になる可能性もありましたが……なんだかんだ言って自分の感情を優先してしまう辺り、私も普通の女の子なのかもしれません」
「普通の定義を学びなおせ」
一応は軽口としてゲインはそれに突っ込みを入れ、
トン、と一度テーブルを指で強く叩く。
ポプラ製の天板は音を広げて、少女の意識を向かい側へと強制的に集中させる。
「──俺に殺されたい、と。結局その考えは今でも変わっていないのか?」
そのままゲインは姿勢を変えぬまま.……敵対者と相対した時にしか見せることのない、臨戦態勢の空気を身に纏う。
ちっぽけな古民家が、悲鳴を上げるかのように音を立てて揺れた。
彼の身体から漏れ出る瘴気は冗談のそれでは無かった。
返答次第では、本当にこのままスプリアの首を捩じ切りかねないのではないか。
それほどの圧を、まっすぐにスプリアへと向けていた。
「ああ──」
スプリアの頬に朱が差す。
ゲインの体内で濃縮された死。常人では立っていられないほどの威圧感でも、スプリアにとっては甘美な誘いに感じられる。
引きずり込まれるような感覚は由来を知っても何一つ変わることなく、堆積された死は今まさに彼女の方を向いていた。
焦がれていた感覚。ギルドで初めて出会ったその時の衝撃といったら。彼にはきっと想像もできないだろう。
圧倒的な死の匂い。自分を一瞬で終わらせてくれそうな、昏く濃密な瘴気。
閉塞感の中で生きていた少女が、やっと見つけた明確な出口だった。
だが、
「──いえ。死にたいという思い自体が消えたわけではありません。ですが、それをゲイン様に求めるのは筋違いだという事は理解しています。泥水を啜っても生き延びてきた貴方を前にして『この程度』で命を諦めるのは侮辱になる、という事は」
死にたがりの少女はその機会を手放した。
矜持を語らんとする者が、どうして相手の矜持だけ踏みにじれようか。
それは許されることではない。他ならぬ彼女が許せない。
もしここで都合よく認めてしまえば、今度こそスプリア・プラウトゥスという人間の全ては喜劇に成り下がるだろう。
故に、名残惜しくともこれで良い。
後悔は──しない。
言葉にしてみて初めて、スプリアは諦めのついたような……そして、どこか重荷の取れたような、不思議な気持ちになった。
同時に、胸の中でチクチクと小さな違和感のような雑音も鳴り始める。
(……これは?一体何でしょうか)
答えを聞いたゲインは静かに頷くと、向けていた圧迫感を解いた。
互いの過去を踏まえた上での、確固たる返答。
彼女の答えはある程度満足のいく──そして、安堵を覚えるものだったからだ。
「……しかし、」
自らの中に生じた雑音に戸惑いを覚えたスプリアはそれを意図的に無視して言葉を続ける。
見るからに考えもまとまらないまま、謎の雑音に意識を割かれながら。
「それでも自分のした事へのけじめは必要だと思っています。どの道帝都には戻れません。貴族として生かされてきた私が、見知らぬ土地で生きていけると考えるほど、私は、優秀でも恥知らずでもないので、」
「──結論を急ぐな」
狩人が、少女の言葉を遮った。
それでもスプリアの気持ちは変わらない。死への欲求は変わらない。
そうして続けようとした少女の言葉を狩人は──かつて狩人になる事を決めた男は止める。
肉親を殺した貴族令嬢と、数えきれない亡者を冒涜してきた狩人。
近いうちに貴族であることを失うであろう少女と、既に目的を終えた狩りの結果を異名として背負い続ける冒険者。
歪な経歴と関係の二人。
「自分の口から出る言葉は思考の方向性に良くも悪くも影響を与えるものだ。無闇に卑下する必要はない。結論を出すには、まだ早い」
ゲインの言葉からは、彼にしては非常に珍しく、相手への気遣いが感じられた。
不思議な事ではない。ある意味ではゲインの態度は最初から一貫している。
彼は目の前の少女に死という安易な結末を選んでほしくないと思っているのだ。
「何がお前を変えるかなんてのは分からないんだ。一日でも長く生きてみろ、なんて言っても響かないだろうが……少なくとも、この地まで遥々やって来たのには明確な目的がある筈だ。そうだろ?」
この地へやってきた明確な目的。
ゲインが何を言いたいか察したスプリアは目を細める。
「.……祖父のアンデッドを祓えば、私の考え方も変わるかもしれない、と?」
「変わるかもしれないし、変わらないかもしれない。案外虚しく感じるだけかもな」
甘い事は言わない。けれど同時に、確かにあり得る可能性だ。
「だが、お前は此処まで来た。自分の目で見届ける機会を得た。なら、祖父の骸骨を倒してけじめをつけて、それで父親の事も家の事も含めて区切りにしたら良い。終わりじゃなくてな。そう自分に認めさせる事は出来る筈だ」
「そんな事……本当に出来るとお思いですか?」
スプリアはやんわりと否定する。
しかし『そんな事に興味はない』とも、『変わるはずはない』とも言わなかった。
胸の奥で、小さな光のようなものが揺れていた。
「それはお前自身の問題だ。だが、そうだな──個人的には、スプリア嬢は見知らぬ土地でも自分の力で生きられる位には優秀だし図太い人間だと思っている」
「……こんな佳麗な令嬢を捕まえて図太い、とは酷い物良いですね」
思わず苦笑しつつ、ゲインの発した一つの単語がやけに耳に残ったスプリアは繰り返す。
「区切り……ですか」
「そうだ。一つの区切りとしてはこれ以上ないタイミングだと思わないか?」
スプリアは小さく呟く。
区切り。
ラストではなくその途中。一つの幕が終わった時、小休止を挟んでまた新しい幕が始まる。
その言葉が、何故だか胸に刺さった。
今まで彼女の世界は「終わり」しか見えていなかった。
死という終わり。家という終わり。罪の行く末。
しかし──
「……ええ、確かにそういう考え方もあるかもしれません」
吟味して、頷く。
どうしてこんな簡単な単語がこんなにも印象的に響くのだろうかと考えてみて……一つの可能性が脳裏に浮かんだ。
ゲインの言葉通り。これは、一つの希望だ。
一族に背を向ける罰当たりな発想でもある。
一族の汚点を消し去ることが出来た時。栄華の象徴が崩れ去る所を目にした時。
もしかしたらその時は……
──自身と家の繋がりを、真の意味で断ち切れるかもしれない。
その可能性に思い至った瞬間、ほつりぽつりとスプリアの口から思いが零れ落ちていく。
「私は、プラウトゥス家の一員である事が誇りだと胸を張って言うことが出来ません。それでも貶されたなら怒りが湧くし、他者に害されたら憎しみが募ります」
「……でも、それは愛着と呼ぶにはとても重苦しいものでした。一言では言い表せない胸中の思いが、間違いなく負の方向に寄っている。そのことを否定できずに長い時間を過ごしました」
「もしも、否定も肯定もなく、その全てを切り離せたのなら……」
それは彼女の、十五年間で初めて口にした、願いだった。
同時に、この依頼に新しく生まれた意義でもあった。
蘇った祖父の死霊を祓った時、彼女はプラウトゥス家である事をやめられるかもしれない。
言葉にするのは裏切りのような気がして、口には出さなかったが。
それは……正直に言えば、とても素敵な事に思えた。
幼い頃、彼女の好きだった台詞にこんなものがあった。
年齢を重ねるごとに否定し、嫌いになっていった言葉。
「『君にとっての世界の見方が変わるという事は、即ち君の世界が変わる事なのだよ』、でしたっけ」
「何だそれは?」
「とある劇中の紳士が言っていた言葉です」
15年の間、スプリアの世界が変わったことは無かった。これからも変化は無いだろうと思っていた。
しかし、この数日でゲインとの対話を通じて僅かだが見え方が変わったものはあった。ならば、
「同じように期待してみても……良いのかもしれませんね」
「知らん人物に同意するのは癪だが、捉え方で世界が変わるのは確かだ」
自分自身の世界を変えられたなら。
もしかしたらその時は……生きて良いと思うかもしれない。
スプリアは、欠片のような期待未満を胸に抱く。
当然、考え方が変わった所で何かが解決するわけでは無い。思考一つで現実が変化する道理は無い。
スプリアの未来は暗いままだ。
そんな事は理解している。ずっと昔から理解している。
いや、理解しすぎてしまっている。
もしかしたら、それこそが間違いだったのかもしれない。
「……ふふ、少しだけ明日が楽しみなものに思えてきました」
「禁則地に突っ込む奴の台詞じゃねえな。だが、まあ悪くない」
自然と、二人の間に笑みが漏れた。
思い付きのような依頼文の変更から始まった不可思議な関係の二人だったが、
禁則地への挑戦を目前に、ようやく──意志と目的を共有できた気がした。




