13.不吉の横で
その晩馬車が辿り着いたのは、果樹の香りを漂わせる小奇麗な村だった。
ゼイル村。
人が住む中ではゼフムダルカ大霊園に最も近い集落だ。かの地のアンデッドはほとんど移動することが無いため、安全面に関しても問題はない。
とはいえ、わざわざ禁則地の近くで暮らしたいという者も当然ながら少ないのだろう。住民の数も多くなく、農作業で生計を立てる静かな村だった。
「怪我を抱えたまま大霊園に踏み入る気は無い。二日もあればこの火傷も治るだろう。それまではこの村に宿泊する」
右手全体を覆う火傷跡が、明後日には治ると言うのだ。なんとも馬鹿げた回復力だと思ったが、スプリアはそれを口に出す気分ではなかった。
ゲインは前にもこの村に訪れたことがあるようで、村長とおぼしき人物に宿代を払い使われていない民家を借りていた。
そして、無駄に村人を怖がらせる気は無いと、就寝し朝を迎えた後も古い民家の中に引っ込んだままだった。回復に専念する意味合いもあるのだろう。
そうなると手持ち無沙汰になるのはスプリアだ。自分も民家の中に戻ってもいいが、今ゲインと同じ空間に居ても、気まずい気分になるだけだと思う。
(気まずい、ですか。そんな事数日前は気にもしなかったでしょうけど……)
溜息を一つ。座り心地の良さそうな切り株に腰かけて、農作業をしている村人達の姿を視界に収める。
小麦の他にもいくつかの果物を栽培しているようだ。勾配の弱い斜面すら利用して農地は広がっていた。見える景色は人の手の入った緑に覆われている。
呪われた地の近くにありながら、意外にも農業に適した土地であるらしい。
「ねぇねぇ……わっ、やっぱり奇麗なお姉さん。お姉さんはどこから来たの?」
聞こえた声に振り向くと、自分より二回りほど下の少女が興味津々と言った様子で立っていた。
この村の子供だろう。明るそうな子だ。手に持つ籠からは紫色の果実が覗いていた。
「帝都からですよ」
「帝都!凄いなぁ……服も顔も奇麗だし……本当にお貴族様みたい」
「……おや、私は貴族には見えませんか?」
「お貴族様はこんな所に、あんなおっかない人と一緒に来ないでしょ」
それは確かに、とスプリアは微笑む。
どこかのタイミングで少女はゲインの姿を目にしていたようだ。
華美な服とは言わずとも黒一色の装いを止めれば目にする者の印象も多少は変わるだろうに……そう考えかけて、それでは戦闘の汚れが隠せないのだろうとスプリアは納得した。
「因みにそのおっかない人は、すぐそこの家で休んでいるところですよ」
「ええ、大変……じゃあ、小声で喋らなきゃ……お姉さんはどうしてこの村に来たの?」
「──さて、どうしてでしょうかね」
耳の近くまでに顔を寄せひそひそ声で喋る少女を可愛らしいなと思いつつ、スプリアはなんと答えるべきかと言葉を詰まらせた。
どうしてこんな所にきたのか。
自分の手で一族の歴史に決着を付けるためだ、なんて言ってもこの子には伝わらないだろう。
それに、今は少し揺らいでいる。その答えを正しいと自分で断言できるのかも怪しい。
「この村はどんな場所なのですか?」
「えー?そんなに面白い所じゃないよ。大人たちはみんな農作業ばっかりで、たまにしか遊んでくれないの。手伝ったら喜んでくれるけどそんなに楽しくないし……でも、ほら、ブドウはとっても美味しいよ!」
少女は籠から取り出した実の大きな葡萄を一粒千切ると、スプリアの方へと差し出した。
受け取ると、それは既に洗ってはあるようで少し濡れた葡萄は光沢を放っていた。少女がそのまま食べているようなので、同じように口に入れたスプリアは僅かに顔を綻ばせる。
酸味がそれなりに強く、それが甘さをより引き立てている。好みの味だ。
「美味しいですね」
「でしょーー!?」
少女は嬉しそうに叫んだ後、「こんなに美味しいのになぁ」と不満そうに呟いた。
「この葡萄に何か問題があるのですか?」
「ないよ!……でも。この村は大きなお墓の近くにあるんだけど、それじゃ縁起悪いからって売れないんだって。だから、この村で育てた事を隠して売った方が良いんだって」
当然の事だろうとスプリアは心の中で頷いた。
大きなお墓、何と可愛らしい表現か。
禁足地、それもよりにもよってアンデッドの楽園の近くだ。そんなところで採れた果物をわざわざ食べたがる者は居ないだろう。少女には悪いが、どう考えても縁起が悪すぎる。
少女の口ぶりからして、どうやら産地はある程度誤魔化しが効くらしい。となれば販売に難がある訳ではなさそうだが….…
「あなたは、それが嫌なのですね」
「そうなの!みんな一生懸命作ってるのに、なんでそれを隠さなきゃいけないの?」
「この村が好きだから、自分たちでそれを貶めるような真似が許せない、と」
「おとしめる?」
少女がキョトンと問い返す。言葉が難しかったかと言い直そうとする前に少女が「でも」と続ける。
「……好きって、別にそこまでじゃないもん。大きくなったら出ていくつもりだし」
「そうなのですか。そこまで村のことが好きではないなら、何故あなたは怒っているのでしょうか?」
その問いに、再び少女は少しキョトンとする。
しかし今回はその答えが出ないからではなく……なんでそんな当たり前のことを聞くのだろう、そんな顔だった。
「そんなに好きじゃなくても、この村は私の家だもん。怒るのは当たり前だよ。楽しさは少ないけど、みんな毎日頑張って生きてるんだよ……」
「.……ああ、なるほど。その気持ちは私にも良く分かります」
スプリアはその言葉にゆっくりと頷いた。少女の言葉が納得と共に胸に沁みていく気がした。
或いはそこから抜け出したがっているとしても──家というのは自分を構成する最も大きな要素であり、生まれてからここまで自分を形作ってきた、自己と切り離せないものなのだ。
ゲインにとってはその限りではないかもしれない。それでもスプリアにとっては間違いなくそうなのだ。
過去の自分の行為に、漸く理解が及んだ気がした。
「ていうか、お姉さんの話聞きたかったのに、私ばっかり話してる!」
「ふふ、ごめんなさい。でも私には面白い話なんてできそうもありませんし……」
「えーー!?」
「そうですね、帝都の劇場で見た事のある演劇の話なんていかがでしょう?」
「劇?聞きたい!」
「ええ、良いですよ」
目を輝かせる少女に「少し待って下さいね」と一声かけると、スプリアは日記を取り出した。
日記に演劇の内容がそのまま書かれているわけではないが、観劇した時の感想が書かれている。当時の事を思い出す助けになる筈だ。
ページを捲り、思い出を呼び覚ます。ほんの少しだけ、あの頃に戻る。
「さて、これより語るは身分違いの恋の話──」
息を吸い込むと、スプリアは滔々と語り始めた。
題は『ノールマンの悲恋』、スプリアの記憶に強く残っている劇であり、世間的な評価も高い。
靴磨きの男が貴族お抱えのチェロ奏者に一目惚れする所から話は始まる。男は彼女に会う為に全財産を使って工面したスーツと最高級の靴を纏って夜会へと忍び込みその口八丁で周囲を騙し通すと、なんと彼女と一緒に踊ってすらみせる。
だが貴族を騙ることは重罪だ。事が発覚し法廷に召喚された彼は、しかし逃げることなく夜会で見せた見事な正装で現れ、追放刑を断るとその場で毒杯を呷る。
『彼女と共に生きることは叶いませんが、この死によって私は──』
「……なんだか悲しいお終いだね。頑張ったのに最後は報われずに死んじゃうなんて」
「そうですね。でも矜持を貫いた結果でもあります」
少女は難しそうな顔で微かに唸る。今聞いた話に思いを巡らせているようだ。
良いことだと思う。作り話だと分かっていてなお、そこには考える余地と意味がある。
それにしても。自分でも驚くほど、台詞や描写の一つ一つを覚えていたことにスプリアは気が付いた。
「他には、どんなお話があるの?」
「ふふ、次はもっと明るい題材にしましょうか。喜劇を上手に諳んじる事ができるかは不安ですが……」
少女の催促に、微笑みを絶やさず日記のページをめくる。
思えば、こうして昔の記録に目を通すのは随分と久しぶりだ。
その後いくつかお話をして少女を帰すと、スプリアはまだ農地の方へと視線を戻した。そこには未だ農作業に勤しんでいる村人達が居る。
食べるものを作る。それは生きることにより直接的に繋がる仕事だと感じる。
木々や畑を弄っている彼らが、具体的に何をやっているのかはその知識の無いスプリアには分からない。
それでも、『みんな毎日頑張って生きてるんだよ……』と少女の声が思い出される気がした。
「……私は」
それからの一日と少し、スプリアは時折り遊びにくる少女とお喋りをする以外は、働く村人達を眺めながら過ごした。
長く穏やかな、寂寥の時間だった。




