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短編

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を

作者: 澤谷弥

 ソリジャ国の王立騎士団が常駐している屯所は、アイボリーの外壁にワインレッドの屋根が映える三階建ての横に長い建物である。ここで騎士団に所属する騎士らと、彼らを支える事務官たちが仕事をこなしていた。


 この建物の裏手には整備された庭が広がっており、騎士らはそこで訓練に励む。


 その屯所の三階、重厚な扉の前で、事務官服を身に着けている女性――ラウニ・バサラは片手で書類を抱きかかえて姿勢を正した。藍色の瞳を大きく見開いて、ここが目的の場所であることを確認する。


 この部屋は第五騎士団団長を務めているオリベル・ニッカネの執務室。


 事務官下っ端のラウニは、先輩事務官からこの書類をオリベルに手渡すようにと指示さていた。そしてそのまま彼の仕事の補佐に入るようにとも言われている。

 なぜなら、オリベルが書類仕事を溜め込んでいるからだ。どうやら彼はこういった書類仕事が苦手なようだ。


 南の窓から差し込む光は、回廊に短い影を作る。それでも急いで仕事を終わらせなければ、定刻を迎えてしまうだろう。なによりも、「明日まで提出」の書類が多い。


 第五騎士団は他の四つの騎士団と違い、平民で成り立っている団だ。

 だから同じ騎士団であっても、どこか無意識的に事務官たちも避けていた。というのも、他の第一から第四に所属している騎士らは貴族の血筋の者たちで構成されている。そして侍女や事務官として働いている女性も貴族令嬢が多い。いや、もちろんそうでもない女性も中にはいるが、そんな彼女たちが結婚相手にと望むのであれば、そちら――つまり第五騎士団以外の男性を狙う。


 ようするに、第五騎士団の連中と親しくなる時間があるのなら、その時間を第一から第四騎士団の面々とお近づきになる時間にあてたいと思うらしい。


 さらにその中でも第一騎士団は花形の近衛騎士隊。だから第一騎士団の仕事が入れば、皆が我こそはと名乗りをあげる。


 そのため下っ端事務官のラウニには、この第五騎士団への仕事がいつも回ってくるのだ。

 しかしラウニは、第五騎士団の執務室に来るのが一番の楽しみでもあった。

 なぜなら団長がオリベルだからだ。彼は孤児であったものの、子どものいないニッカネ商会の会長夫妻の養子として引き取られた。


 ニッカネ商会長は跡継ぎにと思ってオリベルを引き取ったらしいのだが、彼を引き取ってから三年後に子宝に恵まれた。

 その結果、オリベルは騎士を目指したとも聞いている。彼は年の離れた弟とも良好な関係を築いているとか。


 そんなオリベルは二十四歳という若さで第五騎士団の団長の座についた。

 現在は団長になって二年目。短く切り揃えてある黒髪と、夜空のような紺色の瞳が印象的な男性だ。もちろん、騎士団の団長に相応しく身体は鍛えられていて背も高く、小柄なラウニはいつも見上げるようにして彼に話しかけていた。


 ラウニだって騎士団の事務官として務めているため、男爵令嬢という貴族の端くれである。

 それでも生まれた時はただの商人の娘であった。


 父親が商才に長け、一代で財を築き上げたことによって、ラウニが十五歳のときに父親が男爵位を授かった。つまり、ラウニはなんちゃって男爵令嬢なのだ。貴族と名乗り始めてやっと四年。それでもまだ慣れない。


 ラウニは一つに束ねた赤茶色の髪を手櫛で整えてから深く息を吐き、目の前の扉を叩いた。

 やはりオリベルと会うのであれば、少しは見目を整えておきたいという気持ちが無意識に働いたのだろう。


 ――トントントントン。


 だが返事はない。この時間であればオリベルは執務室にいるはず。

 だからこの書類を頼まれたのだ。何がなんでも今日中に目をとおしてもらうようにと、事務官長からも言われている。遅くても明日まで、だそうだ。


 つまり、この書類にオリベルから押印をもらわなければ、ラウニは帰れない。


 もう一度扉を叩くが、やはり中からの返事はない。


 ラウニが扉のノブに手をかけると、ひやっとした感覚が手のひらを覆う。なぜか、不安な気持ちが心の中にポツンと生まれた。

 どうやら扉に鍵はかけられていない。となれば、中に彼はいるはずなのだが――。


「失礼します。事務官のラウニ・バサラです」


 そう声をかけて、ラウニは勝手に室内に入る。オリベルはこのようなことで怒りはしない。それが許されるのもラウニだからだ。


 部屋が開いていたにもかかわらず、ここにオリベルの気配はしなかった。彼の執務用の机の上には、山のように書類が積み重ねられている。


 ラウニは手にしていた追加の書類の束を、微かに隙間があった机の上にドンと置いた。


「オリベル団長。いらっしゃらないのですか?」


 茶系統の色調でまとめられた執務室は、落ち着いた雰囲気がある。それでも執務用の机とソファと背の低い本棚が一つ置いてあるだけの単調な部屋。他の執務室と違い、壁に絵画等も飾られていない。こういったところが、オリベルらしさを感じられる。


 ソファの前に置かれているテーブルの上もきれいに片づいており、お茶を飲んだとかお菓子を食べたとか、そういった残滓も感じられない。

 オリベルは仕事の合間にこのソファで休憩をとる。そして共にお菓子を食べようとラウニを誘うのだ。それがラウニにとって、ここで仕事をする上での楽しみの一つなのだが――。


(オリベル団長、どちらへ行かれたのかしら。まさか、この書類がイヤで逃げ出したとか?)


 もう一度執務席に目を向ければ、紙の山がこんもりとできあがっている。

 とにかく、オリベルを探そう。といっても、この部屋に隠れることのできる場所はない。


 むしろ執務席の下くらいだろうか。そこをのぞき込んでももちろんオリベルはいなかった。むしろ身体の大きな彼がこの下に隠れていたとしたら、隠しきれないはず。

 となるとオリベルがいそうなところは、隣の部屋しかない。


 この執務室にはもう一つ部屋が設けられている。それは、寝泊まりするための部屋で、寝台も置かれ、さらには浴室や厠所までもが備え付けてある。

 ラウニはその隣の部屋へと続く扉にじっと視線を向けた。


「くっ……、んっ……」


 その部屋から、どこか苦しそうな声が聞こえてきた。やはりオリベルはこの部屋にいるようだ。


「ふぅ……、うぅ……」


 ラウニは焦った。さぁっと身体中から血の気が引いたような気分になる。


(オリベル団長……。苦しんでいらっしゃる?)


 具合が悪いのだろうか、それとも大きな怪我をしているのだろうか。嫌な想像がラウニの脳内を襲う。

 オリベルのもとに向かおうと隣の部屋へと続く扉に手をのばすが、やはりいきなり開けるのは失礼だろう。


 ノックをして、声をかける。


「オリベル団長。ラウニです。ご無事ですか?」


 それでも返事はなく、中から漏れてくるのは彼の苦しそうな声だけ。きっと苦しすぎて返事もできないのだ。


 ラウニは、ゴクリと喉を鳴らしてから扉を開ける。


 少しだけしっとりとした空気が頬を包んだのは、人の体温と熱気を孕んでいるからだろう。

 素早く室内を確認すると、寝台の上で横になっている身体の大きな男がいる。

 間違いない、オリベルだ。


「オリベル団長……」


 オリベルは寝台の上で丸くなり、苦しそうに呼吸をしていた。


「オリベル団長!」


 ラウニは慌てて彼の側へと駆け寄った。スカートがばさばさと乱れるなどおかまいなしだ。


「オリベル団長、オリベル団長。どうされたのですか?」


 顔をのぞきこむと、彼の瞼はきつく閉じられ、額には玉のような汗をびっちりとかいていた。


「……ラウニか?」

「は、はい。熱があるようですね。今、身体を冷やすものを準備いたします」


 オリベルは息もあがり、顔も火照っている。暑いからか、上着は脱いだのだろう。寝台の下に乱暴に脱ぎ捨てられていた。


 シャツの釦の上三つは外されているが、そこで力尽きたのか、今はもうぐったりとしている。ただそのシャツも汗が滲み、肌がすけて見えた。


「着替えたほうがよさそうですね」


 そう声をかけたラウニは、てきぱきと動き始める。

 オリベルがこのような状態だからって心配するだけでは何も始まらない。少しでも彼の負担を減らすような策を考えなければ。


 桶に冷たい水をいれ、大きな手巾を浸した。それから着替えのシャツを用意する。

 ラウニがこの部屋を訪れたのは、今が初めてではない。

 オリベルがここに泊まった日の朝、彼を起こし、着替えさせ、朝食の用意をして、「仕事してください!」と喝を入れることが、月に一度から二度ほどあるからだ。


「お水、飲まれますか?」


 これだけ汗をかいているのだから、まずは水分を取るのが先だろう。


「ああ、頼む……喉がからからで……」


 そう言ったオリベルの声は、掠れていた。いったい、どのくらいの間、彼はこうやって苦しんでいたのだろうか。


 水差しからグラスへ冷たい水を注ぐ。彼の身体を支えるようにして起こすと、布越しだというのに熱が伝わってきた。


「どうぞ」

「すまない……」


 これほど弱ったオリベルを目にしたことなど、今まで一度もない。


 いつだって彼は先頭に立ち、第五騎士団の面々を率いていた。

 今日だって、敷地内に入り込んだはぐれ魔獣を率先して討伐してくれたのが、オリベルなのだ。


 魔獣がいるこの国では、第五騎士団が魔獣討伐を行っている。

 魔獣とは、人にはない力をもつ獣で、口から火を吐いたり、氷の玉を投げつけてきたりして凶暴性がある。人の生活を脅かすのが魔獣という存在なのだ。

 魔獣は臆病で用心深く群れるため、人が集まって生活している場には姿を現さない。人のいない街道を移動するときなどは、気をつけなければならないが、そういった場合は護衛を伴うのが圧倒的に多い。


 そんな魔獣であっても、群れからはぐれて人の生活圏に入り込んでしまう場合がある。

 孤独な魔獣は、目に入るものすべてを敵とみなし、攻撃しながらも逃げていく。そういった魔獣をはぐれ魔獣と呼んでいるのだが、そのはぐれ魔獣が騎士団屯所の敷地内に入り込んできた。


 人が出入りする門などには騎士を配置させるものの、この魔獣は外壁を飛び越えてきた。さらに人の目が届かないような、木々の合間をすり抜けて、屯所の近くまでやってきたのだ。

 太くて短いしっかりとした四肢、後ろ脚で立ち上がれば人の背丈をゆうに超えるだろう。全身が毛で覆われ、鋭い爪と牙を備えもつ魔獣だった。炎を吐いたり氷の玉を投げつけたりはしないものの、その鋭い爪と牙で人を襲い、さらにそれには人にとって毒となる成分が含まれている。


 そして運悪く、その場にいたのはラウニだ。ちょうど洗濯メイドから騎士らの着替えを受け取り、それを各人に配ろうとしていたところだった。

 事務官の仕事は、騎士たちの訓練や任務の補助であるため、彼らに必要なものを確認し、補充するのもそのうちの一つ。


 先に悲鳴をあげたのは、洗濯メイドである。その声に臆病な魔獣は怯んだものの、なぜかラウニ向かって突進してきた。


 驚いたラウニは、綺麗になった洗濯物でつい頭を覆い、身を低くした。くるべき衝撃に備えて、恐怖のあまりに目を瞑る。


 だが、いくら待ってもそれがやってこない。

 恐る恐る目を開けると、目の前には魔獣と対峙しているオリベルの背があった。


『オリベル団長!』

『ラウニ、怪我はないか?』


 魔獣に向けている剣を両手でしっかりと握りしめているオリベルは、ラウニを気遣ってくれた。


『バサラ事務官。こちらへ!』


 オリベルが魔獣を相手している間に、ラウニと洗濯メイドを安全な場所へと誘導してくれたのは、第五騎士団副団長のガイルだった。


『ここは我々に任せてください。それよりも、お怪我はありませんか?』

 先ほどオリベルにも確認されたばかりだ。

『はい。ですが、着替えが……』


 手にしていた彼らの着替えはぐちゃぐちゃになってしまった。


『あぁ。洗濯物を増やしてしまって申し訳ありません。また、お願いします』


 そう言ったガイルもオリベルの元へと向かい、魔獣と向き合った。

 魔獣は無事、第五騎士団の面々によって討伐され、幸いなことに怪我人も出なかったはず。なのだが――。


(本当に、怪我人はいなかったのかしら? だって、私を助けてくれたオリベル団長の服には血がついていた……誰の血?)


 ラウニは水を飲んでいたオリベルのシャツの釦に手をかける。


「ラウニ……な、何を……」


 オリベルからは戸惑いが感じられたが、けしてこれからラウニが彼の貞操を奪おうとかそういう状況ではない。


「やっぱり……オリベル団長。どうして黙っていたんですか!」


 彼の肩には何かが刺さったような穴が二つあった。


「あのとき、魔獣に噛まれたんですか?」

「大したこと……じゃない」

「私をかばったばかりに……」

「違う……ラウニ、おまえの……せいじゃない……。あのような場所に、魔獣を入れてしまった……俺たちの失態だ」


 息も荒いというのに、オリベルはラウニを気遣うような言葉しか口にしない。


「あの魔獣は毒を持っているのを、団長もご存知ですよね? どうしてすぐに適切な処置を受けなかったのですか? もしかして、俺なら大丈夫とか、そんなふうに思っていたわけではないですよね?」

「……うっ……」


 どうやら図星だったようだ。


「薬をもらってきます。オリベル団長はおとなしく寝ていてください。あ、せっかくだから先に着替えましょう」


 ついでだから、とでも言わんばかりに、ラウニは汗をかいたオリベルの身体を拭き始めた。


「お身体は辛いですか? すぐに薬をもらってきますので、もう少し我慢してください」

「水を飲んだから……少しは楽になった。……迷惑をかけて……すまない」

「そう思うなら、もっと自分の身体を大事になさってください」


 ペシっと背中を叩いてから、新しいシャツへと着替えさせる。


「それに、こんなになる前に医務室へ行ってください」

「いや……行こうとしたんだが……身体に力が入らなくて……無理だった」

「私が来なかったらどうするつもりだったんですか!」


 腰に両手をあて、ラウニはぷんすかと怒ってみせる。


「いや……ラウニなら、絶対に来てくれると……思っていた。だから、ここで待っていた……」


 そう言われてしまえば、ラウニは何も言えない。恥ずかしさとか嬉しさとか、それでも彼のことが心配で、さまざまな感情が入り乱れてどうしたらいいかがわからない。


「……すぐに薬をもらってきます」


 それを誤魔化すようにして部屋を飛び出した。

 医務室に行き、毒のある魔獣に噛まれたときの治療薬をもらう。本来であれば、怪我をした本人が足を運ぶべきなのだが、その怪我をした者がオリベルで、代理できたとラウニが伝えれば医務官も納得する。


 オリベル本人が負傷した事実は、こっそりとしておきたい。とにかく、ラウニが責任をもって薬を預かり、オリベルへ飲ませると医務官と約束する。むしろ、誓約書のようなものを書かされた。


 薬はときとして毒となる。そういったこともあり、この医務官はいつ、誰に、どれだけ、なんのために薬を渡したかを記録しているのだ。


 医務官から薬の注意点を確認したラウニは、急いでオリベルの執務室へと戻る。

 形だけのノックをして、すぐさま奥の部屋へと向かった。


 寝台に横たわっているオリベルは、やはり苦しそうに「うんうん」と唸っていた。だけど、ラウニが来ると平気な振りをするのだ。


 先ほどだって、水を飲んだだけで楽になっただなんて、ラウニを心配させないようにと振舞っていた。

 ラウニがそれに気づいたとしても、知らんぷりするのも必要だろう。


「オリベル団長……薬をもらってきました。飲み薬と、あとは塗り薬です」


 今だって苦しそうに唸っていたのに、ラウニが声をかけただけでその表情を少しでも引き締めようとする。


「身体、起こせますか?」


 支えるように手を伸ばすと、ラウニの助けなど不要だとでも言うように身体を起こす。


「君には……みっともないところばかり……見せているな……」

「怪我をして寝ているのは、みっともないところではありませんよ」


 まずは飲み薬を手渡した。黒い小瓶に入っている液体の薬だ。それを見ただけで、顔をしかめるオリベルが、少しかわいらしく見えた。


「この薬か……不味いんだよな……」

「良薬は口に苦しと言うじゃないですか。ほら、くいっといってください。くいっと」


 まるでお酒の一気飲みのようなラウニの言い方に、オリベルも心を決めたのか、一気にくいっと飲み干した。


「……不味い」

「お口直しの果実水です」


 すぐさま、さわやかな果実水の入ったグラスを手渡した。


「ありがとう」


 オリベルは、それも一気に飲んだ。


「はぁ……」

「では、傷口の手当てをしますね。出血は止まっているようですけれども、毒の中和をしなければなりませんから」


 手当をするために、ラウニはオリベルのシャツを脱がしにかかる。


「お、おい……何をするんだ」

「何って……手当をするんですよ? そのためにはシャツを脱がないと。団長、手もふるえているから、釦をはずすのが難しいのかと思ったのですが……」

「な、なるほど。そうか……だったら、お願いする……」


 いったい何を考えたのだろうか。


 そんな気持ちを胸に秘めて、チラリとオリベルを見やる。ほんのりと頬が赤く染められているのは、まだ熱が高いからだろうか。


 先ほど、新しいシャツに着替えさせたばかりだというのに、それもまた、汗でしっとりと濡れていた。


「先に、身体を拭きますね。汗をかいて気持ち悪いですよね」


 てきぱきと動くラウニを、オリベルは黙って視線で追っていた。

 それをどこか誇らしく感じたラウニは、余計に張りきって動き回る。


 オリベルは、ラウニを信頼している。それが感じられるからだ。

 桶にためてある温湯に新しい手巾を浸して、きつく絞る。


「まだ、身体はお辛いですか?」

「いや。あの苦い薬が効いてきた、ような気がする」

「それは、よかったです」


 ほっと安堵のため息をつき、今度は傷口に塗り薬を塗って、綿紗をあてた。そこをぐるぐると包帯を巻くのだが、場所が場所なだけに巻きにくい。どうしても、オリベルに抱きつくような形になってしまう。


 汗ばんだ肌からする雄々しいにおいにすら、ドキリとしてしまう。背中にまで手を伸ばして包帯を巻こうとすれば、その胸板の厚さに心臓が跳ねる。


 緊張のあまり、ゴクリと喉を上下させたがその音が彼に聞かれてしまったのではないか。

 だが、オリベルはされるがままだった。


「はい、オリベル団長。終わりました。こちら、新しいシャツです」

「ありがとう」


 それでもオリベルは着替えにくそうだった。ラウニが手を出すと、オリベルは驚いたように目を見開いた。


「オリベル団長。一人でできないときは、私を頼ってください。私だって、事務官なんですから」

「だが、事務官の仕事に俺の着替えの手伝いは入っていないだろう?」

「そう……かもしれないですけど? ですが、今さらですよね」


 他の事務官も、ラウニがオリベルを起こして、身支度を整えさせ、朝ご飯を食べさせ、仕事をさせているというのを知っている。


 むしろ、あのオリベルを扱いこなせるのはラウニしかいないのでは? と言われているくらいだ。

 ただでさえ、他の事務官たちは近づきたくない第五騎士団。


 そのなかでも、ラウニだけはどの騎士団に対しても平等に接していた。と、周囲からはそう見えるのだ。


 ラウニにとっては第五騎士団が贔屓の騎士団なのだが、他の事務官がまったく第五騎士団を気にとめないため、ラウニが贔屓して平等になるという扱いを受けている。

 とにかく事務官は、騎士らの補佐をするのが仕事。広義に解釈すれば、オリベルの着替えも事務官の仕事ととらえても問題ないのだが、それを大々的に認めてしまうと、第一騎士団に所属する彼らの貞操が危ぶまれる。


「細かいことは気にせずに、お休みください」


 ラウニはもう一度横になるようにと、オリベルを促した。





 オリベルが静かに眠る様子を、ラウニはほっとした気持ちで見つめていた。


 数時間前の苦しそうな表情は嘘のように穏やかなものにかわっている。それでもまだ熱は高いのだろう。


 額にのせた濡れた手巾は、すっかり生ぬるくなっていた。それを冷たい水につけて、きつくしぼり、もう一度彼の額にあてる。


 気持ちがよいのか、目尻がふとゆるんだように見えた。

 オリベルはきっと覚えていないだろう。初めて二人が出会った日のことを。


 それはまだラウニがただの商人の娘だった頃――。


 父親に連れられてニッカネ商会を訪れた。

 そこにオリベルがいたのだ。養子であり商会長と血の繋がりはないと聞いてはいたけれど、彼は義両親の仕事の手伝いを黙々とこなしていた。

 そしてそんな彼を優しい眼差しで見つめる商会長夫妻。


 血の繋がりとは異なる繋がりが、この家族にあるんだろうなと、ラウニは感じた。

 奥の部屋から赤ん坊の泣き声が聞こえ出すと、すぐさまオリベルが生まれたばかりの赤ん坊を抱っこして連れてきた。


『かわいい』


 ラウニが呟くとオリベルは嬉しそうに笑った。


『そうだろう? オレの自慢の弟だ』


 不思議なことにオリベルに抱っこされた赤ん坊は、すやすやと寝息を立てていた。そして血の繋がりのない兄弟を見守っていたのも会長夫妻だった。


 ラウニの父親も会長夫妻を気に入ったようで、ニッカネ商会に商品を卸すようになったのはこれがきっかけだった。


 さらにラウニがオリベルを意識するようになったのも、このときからだ。

 彼が騎士団に入団したと聞いたとき、事務官となれば側にいられるのでは? と思った。

 だけどまだ、この気持ちをオリベルに伝えることができない。


 拒まれるのが怖いから。

 だからまだ、このままの関係を続けていきたい。


**~*~*~*


 燃えるように熱くて痛かった身体が、今はすっかりともとに戻っている。

 どこにいるのかと思って頭を振れば、額からはらりと濡れた手巾が落ちた。


(ラウニ……)


 オリベルのベッドに顔を伏せて、眠っている彼女の姿が見えた。


(夢ではなかったのか……)


 昼前、女性の叫び声が聞こえ、すぐさまそこへと駆けつけてみたところ、身体中、毛に覆われた大きな魔獣が、女性二人に襲い掛かろうとしていた。


 洗濯物を手にしている彼女たちは、洗濯メイドの一人と、ラウニだった。ラウニは着替えの補充のために、そこへ足を運んでいたのだろう。

 オリベルは迷うことなく、魔獣へ向かって走り出し、剣を向けた。魔獣の牙がラウニを狙った瞬間、その間に身体を滑り込ませた。


『……うっ』


 魔獣の牙はオリベルの肩をかすめた。だが、これで魔獣の動きは封じられた。右手に持っていた剣で魔獣の首を狙う。


 視界に入ったガイルに、彼女たちを安全な場所へと連れていくよう、視線で訴える。頷いたガイルにすべてをまかせ、オリベルは目の前の魔獣を倒すことに専念する。


 他の騎士たちも駆けつけ、なんとか魔獣を倒すことができたのだが、魔獣をここまで侵入させてしまった事実に胸が痛まないわけがない。

 すぐに対策会議が始まり、取り急ぎは見回りの強化となった。将来的には、外壁をもう少し高くするか、その外壁の上に割れたガラスや釘などを敷いて、よじ登れないようにする案も出された。これは予算と工数の兼ね合いから、もう少し検討する必要がある。


 その会議を終え、執務室に戻ってきたところで、身体に異変を感じた。

 ドクンと心臓が強く震え、熱い血液を流し始める。そうなれば、身体中が熱くて痛くて、寝台に辿り着くだけで精いっぱいだった。


 そこで痛みを逃すように、耐えていた。


『……オリベル団長!』


 都合のよい夢だと思っていた。

 想いを寄せているラウニが、看病に来てくれるだなんて。


 着替えさせられ、身体を拭いてもらい、薬も飲ませてもらって、眠りにつく。

 今までの妄想が爆発したものだと思っていたのだ。





 ラウニと出会ったのは、今から十二年前――。


 ニッカネ商会にラウニの父親がやって来たのがきっかけだ。


 ラウニの父親は商才に長けており、一代で財を築き上げ、ただの商売人から今では男爵位を受けている。

 彼の扱う鉱石類は、この国では珍しいものが多かった。彼自身に隣国との伝手があり、共同出資してそこの鉱山のオーナーになったとか。珍しい鉱石というのは、それだけで価値がある。


 当時、ラウニの父親は、販路拡大のためにニッカネ商会に足を運んだのだ。扱うものが希少で高価なものであれば、やはり信頼できるところと取引がしたい、というのが彼の考えだった。


 何がきっかけとなったのかはわからないが、ニッカネ商会はラウニの父親との契約にこぎつけることができた。

 そしてオリベルは、なぜかそのときからラウニが気になって仕方なかった。


 もしかして、生まれたばかりの弟を「かわいい」と言ってくれたのが引き金となったのかもしれない。その一言が、オリベルにとって誇らしかったのだ。


 オリベルだって健全な成人男性であり、そこそこ結婚願望はある。

 女性に対して「いいな、あの子」と思うときもあったが、それでも生涯を共にしたいと思う女性とは、騎士団に入団してから出会えていない。


 まして第五騎士団という特殊な騎士団の団長を務めていれば、出会いの幅も狭くなってしまう。それに文句を言う騎士たちもいたが、オリベルの心の奥にはラウニの存在があったため、彼自身は仲間を宥める側にまわっていた。


 そんなラウニと再会できるとは、オリベルも思ってもいなかった。

 ラウニは騎士団の事務官としてオリベルの前に現れた。さらに男爵令嬢という肩書まで身につけていた。


 それでもあのころと変わらぬ眼差しは、オリベルをすぐさま射抜いた。

 しかし、オリベルは第五騎士団の所属である。きっと彼女も他の事務官と同じように、第一騎士団を本命にして、次点として第二騎士団から第四騎士団の彼らが目的なのだろうと思っていた。


 だというのに――。

 眠るラウニを起こさぬよう、オリベルは寝台からおりた。


「……んっ」


 かわいらしい声が聞こえ、びくりと身体を震わせる。

 ラウニはまだ眠ったままだった。


 不謹慎だが、魔獣に噛まれてよかったのかもしれない。

 あのくらいの傷であれば、なんともないと思っていたのは間違いない。そして、ラウニを助けるのに夢中で、あの魔獣が毒をもっていたというのをころっと忘れていたのは、オリベルの失態である。


「……ラウニ」


 彼女の背に、そっと毛布をかけた。

 今はまだ、この気持ちは伝えられない。気持ちを伝えて、今の関係が壊れるのが怖いからだ。

 それでもまだ、この夢をみたいという気持ちもある。


(今日はもう少し、俺のそばにいてくれないだろうか……帰したくないんだ……)


 オリベルはきゅっと拳を握りしめた。


**~*~*~*


 ラウニの目が覚めたとき、部屋は暗かった。ゆっくりと身体を起こして周囲を見回すと、オリベルの姿が見えない。


 魔獣の毒を受けて、ぐったりとしていた彼はどこにいったのだろう。

 慌てて立ち上がると、肩からパサリと毛布が落ちた。


(もしかして、オリベル団長が?)


 落ちた毛布を拾い、それを丁寧に畳んで寝台の上に置く。

 急いで隣の部屋へと向かう。そこは煌々と明かりがついていた。


「ラウニ……目が覚めたのか?」


 彼女の気配を察したオリベルが、すぐさま歩み寄ってくる。


「あ、はい。すみません。眠ってしまったみたいで……オリベル団長、身体の具合はいかがですか?」

「ああ、もう大丈夫だ」


 ぐるぐると肩を回そうとして、「うっ」と顔をしかめる姿を見て、ラウニはくすりと笑みをこぼす。


「無理はしないでください……ところで、今、何時ごろでしょうか?」


 すっかりと寝入ってしまったし、あの部屋は暗かった。となれば、間違いなく外も暗いはず。太陽はすっかりと沈んでしまったにちがいない。


「ああ、そうだな。八時くらいだ」

「え?」


 なんという時間まであそこで休んでしまったのだろうか。


「ごめんなさい。こんな時間までここにいては、ご迷惑ですよね」

「……いや? 逆におまえがいてくれないと、俺は困る……おまえにそばにいてほしい……」


 トクンと胸が震えた。

 このような時間帯となれば、屯所にいるような者も数少ない。見回りの騎士か、仕事の終わらない者か。


 しんと静まり返った執務室。ラウニがオリベルを見上げれば、彼の紺色の瞳と目が合った。


「今夜は帰すつもりはない……」


 密室に男と女が二人きり。まして相手は思いを寄せる男性。となれば、ラウニだってほのかな劣情を期待してしまう。


 オリベルの顔が近づいてきた。トクントクンと心臓が早鐘を打つ。


 だが、そこで彼は顔を逸らす。その視線の先には――。


「なっ……。えぇ! オリベル団長……。なんなんですか、この書類。さっきよりも増えてるじゃないですか」


 ラウニが口にした『さっき』とは、彼女が書類をこの部屋に運んできたときのことだ。


「いや、体調が戻ったから急ぎの書類を片づけていたんだが、事務官長がやってきてな。追加で書類をおいていった。あ、今日中の案件だけは急いで終わらせて、事務官長に手渡した。だけど、これが明日中らしい」


 明日中の書類はやっぱり机の上にこんもりと積んである。


「というわけで、この仕事が終わるまで、お前のことを帰すつもりはない」

「えぇっ」


(今夜は帰さないって、そういう意味なの?)


 ラウニの心の声は、残念ながらオリベルには届かなかった。



【完】


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