第六十三話 もう他に何もいらない
九月二十一日。
昨夜の鈴木亭におけるチャーリーのスピーチの評判が広がり、朝から国内外の記者たちから記者会見に飛び入り参加がしたいという申し込みか殺到した。
記者会見の会場を急遽にホテルの一室から大食堂に変更するとウエバヤシから連絡が入った。開催時間もディナータイムに変更した。
カネは笑いをこらえながら不快そうな表情をつくってみせた、
「こうなる気がしていましたよ」
そうね、とチャーリーは相槌を打った。
「これはチャーリー・サイモンの記者会見なのよ。いくらでも記者が来たがる。最初からもっと広い場所を用意するべきだった」
ウエバヤシは言った。
「私にはわかりません。どうして、貴女の記者会見だけでこんな騒ぎになるのか。
確かに、貴女の昨日のスピーチは素晴らしかったと私も思うのですが、これほどまでの騒ぎになっていることが私には理解不能です」
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ホテルの食堂を借り切っての記者会見。
この日の通訳は、ツルメであり、カネはその背後に控える。
ツルメの優等生らしい控え目な立ち居振る舞いに釣られるように、チャーリーも昨日とは打って変わって礼儀正しい貴婦人として振る舞った。
チャーリーが微笑むだけで記者たちから歓声が湧いた。
まず、最愛の夫であるジャンの無事を報告し、次に、アメリカ国民である自分たち夫婦に対する日本政府と日本国民のこれまでの温かい支援に対する感謝を示し、最後に二十九日にジャンと再会できることへの喜びを口にした。
日本の外務省と打ち合わせどおりの流れ。
このチャーリーの記者会見の目的は、二十九日のハナブサ公使の祝賀会に対して東京にいるアメリカの要人たちの注目度を高めることにあった。そして、アメリカを巻き込んで、列強の連帯保証による朝鮮の中立地帯化を実現したい。
そういう目的であれば、チャーリーとしても、東京にいるアメリカの要人たちに、頭の固い年寄りたちに、礼儀もマナーも弁えない若い馬鹿娘と思われるわけにはいかなかった。
この記者会見をチャーリーは、ツルメと一緒に無難にこなした。
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報告後の女性記者からの質問。
その質問者はチャーリーの上海時代からの友人、アン・ハーバートンであった。
「お久しぶり、チャーリー、長崎で一別して以来ね。
貴女の個人的な友人だと説明したら、私もこの記者会見に入れてもらえた。やっぱりジャンは無事に生きていたわね。おめでとう」
チャーリーは通訳のツルメと相談する。
他の取材関係者たちからすれば、何が起きているのか、わからないだろう。
説明の必要。
「今、質問している女性記者は、私の親友、アン・パーバートンです。
彼女はアメリカ本土で女性向けの雑誌の記者をやっています。
八月には、ジャンの行方不明で落ち込んでいる私を慰めるために、わざわざ日本の長崎まで駆けつけてくれました。
彼女もジャンの生存報告を非常に喜んでくれています。上海時代から、私とジャンとアンは、兄弟姉妹のようにとても仲の良い友達でした。
公開の場にふさわしくない個人的な会話が混じるようでしたら、どうか、お許しください。私も興奮を禁じえません」
アンは笑った。
「今日は、ずいぶん、よそいきの会話をなさるのですね、チャーリー・サイモン?」
空気を読め(Get in the program)。
そう言いたくなったのをチャーリーはこらえた。
笑顔。
「貴女はどうやってこの記者会見に入る許可をもらったのですか? もしも、差し支えがなければ教えていただけないでしょうか?」
大仰にアンは肩をすくめてみせた。
「長崎で貴女と一緒に並んで撮影した写真を何枚かホテルで見せたの。貴女の個人的な友人ということを証明するために」
ふと見ると、彼女の横に座っている日本人の男は、外務省警察のフジタだった。チャーリーと目が合うと、フジタは笑顔で手を振った。
フジタがアンの飛び入り参加について融通を利かせたのだ。
わかりました、とチャーリーはうなずいた。
「子どもの頃のような言葉で会話をしたいのならば、また後で、どうか、このホテルの私の部屋に個人的に来てください。心より歓迎しますよ。
他の記者の皆さんの質問時間を削りすぎてしまうので、早く、手短かに、本来の貴女の記者としてのご質問をなさってください」
アンの質問。
「昨夜の上野における貴女のスピーチを私も拝見させていただきました。
ショウとして非常に面白かったです。
長崎で私たちが会った時と打って変わって貴女は元気いっぱいで、私が知っているチャーリーが戻ってきたなと思いました。
ここにいる多くの日本人記者たちは、昨日の貴女のスピーチの評判でやってきているようです。
いくら何でも今日の貴女は大人しすぎると私は思います。みんな、がっかりしていますよ。どうしたのですか?」
困った。
アンの暴走を食い止めたのは別の暴走であった。
チャーリーの後ろで声をあげた。
昨日の劇場興行の成功の立役者の一人であるカネ・アマリ。
「私のせいです」
「え?」
アンも他の記者たちも一斉に彼女に注目した。
堂々とした態度でカネは英語で語った。
「通訳の違いだと思います。
私の名前は、カネ・アマリ。
私も先月の二十四日からサイモン夫人の通訳を務めさせていただいています。
アン嬢、貴女の噂はかねがね奥さまの口からうかがっておりますわ。以後、私のこともお見知りおきくださいませ」
「はじめまして」
アンも毒気を抜かれた。
「今日に通訳をしているツルメ・ゴガクは私と同じ長崎における公立の通訳養成学校の卒業生です。ご覧の通り、彼女は控え目の優等生です。私のような生意気娘ではありません」
カネとアンのやりとり言葉をツルメが日本語に同時通訳する。
日本人記者たちはドッと沸いた。
「やはり、通訳の存在は話し手の心にも影響を与えるものです。それを意識して、サイモン夫人は通訳を使い分けておられます。
私が通訳をつとめるのは、昨夜のステージのようにエンターテイメントが欲しい場面。ツルメが通訳をつとめるのは、今日の記者会見のように常識的な礼儀やマナーが非常に必要とされる場面です」
お見事。
外国人記者たちは拍手した。
━━公開の記者会見の場ですから常識的な礼儀やマナーを大切にしてください━━
道化役を演じながらカネは伝えた。
巧みなレトリック。
まいったとでも言うように、アンは両手をあげてみせた。
「ご忠告に感謝」
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他の新聞記者たちからの質問も終わり、記者会見も終了かと思われたとき、フジタが手をあげた。
「サイモン夫人、日本の外務省は本日の記者会見において貴女のためのサプライズを用意しています。それが何だか、わかりますか?」
八幡町演劇場でフジタが何をやったかチャーリーは思い出した。。
相手を驚かせるプレゼント。
わからないと愛想なく答えようとしたとき、チャーリーの頭の中に何がが閃いた。
この状況で彼女を驚かせたいのなら、答えは一つしかない。
チャーリーは会場の人々の顔ぶれを見まわしながら、
「私の夫、ジャン・サイモンはすでに日本にやってきていて、今、この会場のどこかにいる」
静寂。
場内が一瞬にして静まりかえった。
やがて、フジタが拍手した。
「正解です」
記者たちはざわめく。
混乱の中を抜け出すためにチャーリーは叫んだ。
「どこに隠れているの、ジャン? 子どもみたいな悪ふざけはやめて。子どもみたいに尻っぺたを蹴りあげられたい? さっさと顔を出しなさい!」
再びどよめく記者会見場。
「本当に彼が来ているのですか?」
「日本政府の発表では、二十八日の夜にハナブサ公使たちと一緒に東京に到着するはず」
答えはすぐにわかった。
会場の後ろの方から一人の黒髪碧眼の若者がバツの悪そうな表情で歩いてくる。
「ごめん、チャーリー」
まぎれもなくジャン・サイモンであった。チャーリーの最愛の夫。あの朝鮮の動乱の中で離れ離れになってから、約二か月ぶりの再会だった。
彼が死ぬはずがない。生きているに決まっている。やはり生きていた。
しかし、それを自分の目で確認するこの瞬間まで、チャーリーは不安だった。
その反動が出た。喜びと安堵が全身を駆けめぐり、身体の芯が激しく震え、涙となって溢れ出てきた。
言葉にならない。
すぐに夫の胸に飛び込んでいきたかった。
失敗。
久々に着た欧米の上流階級のドレスは左右の裾を両手で持ち上げなければ走れない。それを忘れていた。
走りだそうとしたチャーリーは自分のドレスの裾に足を取られて見事にすっ転んだ。顔面をしたたかに床に打ちつけてしまった。
「大丈夫かい、チャーリー」
あわててジャンが駆け寄ってくる。
鼻を押さえたチャーリーの目があうと、ジャンは笑顔で手を差し伸べてきた。
彼の手を握り返してチャーリーは立ち上がると、すぐさま彼の身体に抱きついて彼の温もりを確かめた。
「愛している、ジャン」
それだけ言った。
もう他に何もいらない。




