第六十一話 地上の奇蹟
九月十七日。
ついに、久佐賀が長崎の街と別れを告げる日が訪れた。
サイモン夫人、鶴女、兼と一緒に軍の工作船に搭乗した。
八月三十日に乗せられた船と同じ船だった。
乗務員まで同じ。
「久佐賀くん、長崎では、ずいぶん活躍したそうだな」
「新聞を見たぞ」
口々に声をかけられた。
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長崎の港が遠くなっていく。
蒸気エンジンの騒音に囲まれつつ久佐賀は工作船のデッキの上から眺めていた。
ざらつく水面に巨大な白い波の模様が朝の陽ざしを反射する。そして、ゆっくりうねりながら姿を変えていく。
もはや長崎でやり残したことはないだろうか?
久佐賀は思い至った。
声をあげてしまう。
「あっ!」
「久佐賀くん、いったい、どうしたのよ?」
背後から鶴女の声が響いた。
久佐賀は言った。
「チャーリー・サイモン邸で長崎の最後の夜にみんなでそろって別れの宴を行うべきだったかもしれん」
鶴女は笑った。
「そういうことは思いつきなさるな。今朝早くから東京行きの船に乗るのだから、昨夜は無理。もしも、やっていたら、宴の準備と後片付けは女手の仕事になっていたよね?」
ああ、と久佐賀は言う。
「確かに、そいつは大変だ。男も手伝っただろう、少しぐらい」
「少しだけ?」
鶴女は不満そうな顔を見せた。
正直なところを久佐賀は話した。
「いや、慣れない男どもが余計な手をだしても、かえって女の仕事が混乱するだけだから」
「気は心」
「申し訳ない」
少し考えてから、鶴女は言った。
「チャーリー・サイモン邸のお別れパーティー、昨夜は無理よ。女手の立場からしたら絶対にやめてほしい。やるとしたら、十四日かな? 十四日には、けっこう余裕があったよ」
久佐賀はぼやく。
「みんなの別れの宴をやれたとすれば十四日か。もう少し早く思いつけばよかった」
「東京行きの準備で忙しかったからね」
と、鶴女。
やれやれ、と久佐賀は自嘲した。
「どうにも抜けているな、俺も。
過去に積み重ねたものをいざという時に全て出して見せる、などと俺は意気がったりもする。
されど、しょせん凡百の小僧。
過去に積み重ねたものを出しきっても、たかが知れている。手の届かないことも多いわい」
鶴女は謎めいた言葉を口にする。
「一足飛びの奇跡なんて起きてくれない」
「奇跡か?」
「今の世の中は、本当にどうしようもない哀しいことばかり。多くの人たちが、貧しくて悲惨な暮らしに追い詰められている。どうにもできない。もしも神がおわしますれば」
「あなたの神を試みてはならない」
久佐賀は洋学校で教えられた聖書の一節で応じた。
ルカによる福音書。
荒野の試練。
同じ洋学校を通っていた鶴女も忘れていなかった。
「ひとは神の奇跡を望むことなくおのれの手でおのれの生を積み重ねていくべきである、と」
「洋学校で教わったな」
「もしも本当にそれだけだったら、おのれの手でおのれの生を最初から積み重ねられない人たちは、どうしたらいいの?」
「神の奇跡が必要だ」
「もはや地上に神の奇跡は決して起きない」
悲嘆。
いいや、と久佐賀は首は横に振った。
「起きるぞ、神の奇跡は」
「え?」
鶴女は久佐賀の顔をまじまじと見返した。
心の内なる衝動に突き動かされて佐賀は言った。
「俺の目の前にお前が今いること自体が、俺にしてみれば立派な神の奇跡だ」
しばらく鶴女は何の言葉も発しなかった。
顔を真っ赤にして俯いた。
やがて、かすかに唇を動かす。
「どういうこと?」
覚悟を決めて久佐賀は言った。波に揺れる船のせいでなく、みじめに足が震えた。
「口説いているのさ、お前のことを」
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━━学問もあって力もあって金もある男(久佐賀)に頼って、私(樋口一葉)は、面白く、おかしく、爽やかに、勇ましく、世間の荒波を漕ぎ渡って行きたい━━
━━(久佐賀は)才をもって一世をおおわんほどの人━━
樋口一葉を月十五円で愛人にしたと言われる久佐賀義孝は、後世の樋口一葉ファンの間では評判が悪く、怪人とも呼ばれる。
大日本陰陽会初代会長。
主催する天啓顕真術会は三万人の会員を抱えた。
四大相場師の一人。
実業の分野でも経営手腕を発揮し、その財力で朝鮮関係の政治活動にも従事した。
そんな怪人・久佐賀義孝は初恋の相手として五岳鶴女のことを選んだ。後年になっても「特別な女だった」と讃えている。
弱く貧しい者に対したとき。
啓蒙主義(科学主義)は、語るに足る才のある者を探し、真理を目指す同胞として扱う。功利主義は、気力のある者を見れば、立ち上がらなければ死ぬぞと激を飛ばす。社会改良主義は、戦いを忘れた者たちの代わりに、自分が前に出て戦う。計画主義は、従順な者たちを捕まえて、指導者の計画に適合するように最適化する。
各思想の本来に想定する状況で、その行動で救われる者たちが確かにいる。
いずれの思想も傾聴に値する。
それでも、全ての根底に我と彼の区別がある。
語るに足る才のない者、気力のない者、戦えない者、指導者ではない者は、ヒトではないモノとして扱われてしまう。モノとして扱われて壊れる者もいる。救わない。救えない。
五岳鶴女はどうか?
おのれの手でおのれの生を積み重ねられない人たちの痛みを、我と彼の区別もなく、それでいて自我を保ちながら、自分の痛みとして引き受けて泣く。
それは地上の奇跡。




