第五十九話 夏ちゃんだけ
九月十三日。
公兵員病院・長崎病院からチャーリー・サイモン邸に帰ってきた久佐賀は夏の今後の身の振り方について夏本人と話をすることにした。
「ケガで動けない加藤に代わって安藤が色々と動いた。
加藤は、いつまでも置屋の子であっては、これからの奴の立身出世の妨げになるだということで、先日に船大工の叔父の養子になった」
「そうなん?」
夏は目をパチクリさせた。
久佐賀は言った。
「加藤三太郎は加藤[[rb:山照 > さんしょう]]になった。名前が変わる。覚えておけ」
「サンショウウオ・・・」
そう言って夏が笑う。
久佐賀は注意した。
「漢字は木の方のヤマテラシだ。ハクサンボクともいう」
「そんな名前の木、夏ちゃん知らんよ」
ハクサンボクはレンプクソウ科の常緑樹であり、石川県の白山が原産地だと誤認されて、ハクサンボクと名付けられた。関西地方では庭木としても使われる。葉の光沢が、まるで山を照らしているようだということでヤマテラシの別名を持つ。
それで、と久佐賀は本題に入った。
「さっき言った通り、ケガで動けない加藤に代わって安藤が色々と動いた。
お前の親とも話はつけた。
加藤が叔父のところに養子縁組するのにあわせて、お前もそこの養女ということになった。これからは、夏ちゃんは加藤夏だ。戸籍上は加藤山照の妹だ」
「えっ」
さすがに衝撃が大きかった様子。
ここは一つ聞き分けてもらえなければいけない。
久佐賀は続けた。
「来年から、お前はとある高名な東京の女学校の生徒になってもらう。そのためには、ある程度は身元を整えなければならん。
サイモン夫人と俺と鶴女と兼が東京に発った後には、このチャーリー・サイモン邸は閉鎖される。加藤のケガが治るまで、夏ちゃんはまた甘利の屋敷に厄介になってくれ」
彼女は泣きだした。
「それ、夏ちゃんだけ、ずるかばい」
ずるい?
久佐賀にはわからなかった。
「なぜだ?」
「夏ちゃん、何もしていないのに、一人だけそんな果報に恵まれるなんて、間違っとるよ。夏ちゃんのまわりの他の子は、みんな。そんないいこと、何にもなかよ?」
夏の言い分を聞いて久佐賀は絶句した。
「そいつは」
確かにそのとおりだろう。
この世界は卑小な人間たちの考えを超えたところで動いている。
時として、言葉は答えにならない。
二人の話を横で聞いていた鶴女が歩み寄って、無言のまま、小さな夏の身体を抱きしめた。
抱かれたまま夏は嗚咽する。
「鶴女お姉ちゃん・・・」
シンプルな温もり。
時として、それは一つの答えにになりうる、血の通った生き物たちの間では。
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九月十四日。
東京行きの話が決まったので、サイモン夫人は鹿児島新聞社に赴いた。これまでお世話になったお礼の挨拶。義援金の処理についての話し合い。
護衛としては、大島と内田、通訳として久佐賀と荻原が付き従った。
荻原淳一郎。
長崎外国語学校から、せっかく通訳として来ているのだから、一度ぐらい実務経験を彼に積ませておいてやりたい。
そのように久佐賀は判断した。
他の生徒たち、元木孝也、中江源三、橋麟平はすでにサイモン夫人のために通訳としての実務経験を積ませている。
鹿児島新聞社は、紙面でサイモン氏の捜索費用のための義援金を集めていた。
すでにサイモン氏は無事に日本軍に保護された。
不要になった義援金の用途についてのサイモン夫人の提案。
荻原が訳する。
「貴社の集めてくれた私のための寄付は、長崎の貧しい子どもたちのために全て使ってほしい。この夏に私がお世話になった長崎の地への感謝を示したい」
この提案には鹿児島新聞社の社長である野村忍介も意表を突かれたようだ。右手に頭を押さえた。
「そうきたか。
鹿児島新聞社は本拠地が鹿児島であり、朝鮮の軍乱という騒ぎがあって、こちらは長崎に一時的に出張ってきているだけだ」
内田が横から口を挟む。
「長崎の子どもたちと限られると難しいですな」
はい、と野村はうなずく。
「鹿児島の貧しい子どもたちでもかまわんかどうか、奥さんに聞いてくれ、学生くん」
荻原はサイモン夫人と短くやりとりする。
返事。
「かまわないそうです。
この夏に奥さんお世話になった日本への感謝を示すということで、別に長崎の子どもたちでなくてもいい」
野村は苦笑した。
「では、そういうことにさせていただく。
私は鹿児島学校という私立の中学校も鹿児島で経営している。そちらの方で貧しい生徒たちの奨学基金ということにしたい、チャーリー・サイモン夫人基金。よろしいですか?」
「名前はサイモン夫婦基金にしてほしい」
との返事。
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荻原の通訳の実務体験は無難に終了した。
鹿児島新聞社・臨時長崎支部とされた一軒家を後にして、久佐賀は言った。
「おい、萩原」
「何でしょう?」
「長崎からの土産物というのは何がよい?
もうすぐ、俺は東京に帰る。東京でお世話になっている方々もおるから、俺も長崎の土産の一つか二つぐらい買っておきたい」
話を横で聞いていた内田は笑った。
「よい心がけだ。国生のところの長崎ビードロのグラスはどうだ?」
「割れ物は少し怖いですよ」
「綿などを詰めて、きちんと箱に入れてもらえばよい」
久佐賀が国生貴也の店に出向くという話をすると、サイモン夫人も興味を示した。
「私も行く」
長崎を去る前に、彼女は国生に対しても挨拶をしておいた方がよいと考えたのだ。
それに、よく考えてみれば、彼女だって長崎土産を渡したい相手がいた。
鹿児島新聞社・臨時長崎支部の岐路にチャーリー・サイモン夫人一行が国生貴也の店に顔を出すと、店の中は瞬時にお祭り騒ぎになった。
「ようこそ、お越しくださいました! 本日はどのようなご用件ですか?」
店主の国生が真っ先に駆け寄った。
サイモン夫人の意向を荻原が伝えた。
「先日に貴方からもらったような長崎ビードロのグラスを花房公使にプレゼントしたい、と奥さんはおっしゃっています。奥さんは今月の末頃には東京で花房公使とお会いする予定です」
ギャッと国生は言葉にならない悲鳴を上げた。
花房義質。
この明治十五年九月において、花房は単なる全国的有名人といったものではない。知勇兼備の愛国者のイコンであった。
国生は感激のあまり涙まで見せた。
「これは大変な事態ですな。私どもの店の品を花房公使の手にとっていただけるようなことがあるなんて、まことに光栄なお話です」
荻原が続ける。
「仁川で一緒に脱出した他の仲間たちにも送りたいそうです。長崎輸送局に届けてほしいとのこと」
「承りました」
「あと、少しぐらい高くなってもいから、それなりの良いものを」
いやいや、と首を横に振って国生は言った。
「今回の朝鮮の動乱のことで花房公使ご一行にお渡しする記念の品だと言えば、そいつは職人たちにとっても一生ものの語り草です。恥ずかしいものはお渡しできませんよ」
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九月十五日。
長崎外国語学校からの通訳として橋麟平がやってきた。
幼い顔をした少年。
この日は特に通訳を必要とするような機会は特になかった。
サイモン夫人が言い出した。
「私たちが東京に行く前に、学生たちに日当を支払っておきましょう」
「ごもっとも」
と、久佐賀はうなずいた。
別に大した金額ではないのに踏み倒して逃げたと思われるのは癪であった。
この時期のサイモン夫人は、演説会において出演料やら寄付やらがあって、わりと自由に使えるポケットマネーを持っていた。
一般学生が見慣れないような高額紙幣を何枚か橋に押し付けて、サイモン夫人は言った。
「みんなで分けてね」
「はい」
橋は目を白黒させた。
サイモン夫人はたずねる。
「長崎の通訳養成学校から五人の学生が来るという話だったけれども、最後の五人目は誰なの? もうすぐ私は本当に東京に行ってしまうわ」
橋は言った。
「困りましたね。学校側はまだ決めていません」゜
横で話を聞いていた久佐賀はあきれた。
「何をやっているんだ、あの校長は?」
別に本人には責任がないのだろうが、橋は申し訳なさそうな顔をした。
「すみません。
試験の点数以外に、そいつを人として信用できるかどうかというファクターが加わると、試験の点数が良くない者でも『自分は信用できる』とか言って騒ぎます。
無理をして五人目を決めるよりも頭を下げて謝った方が楽だろうと校長先生はお考えのご様子。生徒たちはそう言っています」
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九月十六日。
陸軍輸送局から今後の予定について連絡が来る。
九月十七日 朝に軍の工作船に搭乗して東京に向かう
九月十八日 昼すぎに東京着
九月二十日 上野の寄席にサイモン夫人参加
九月二十一日 サイモン夫人の記者会見
九月二十二日 サイモン氏と合流
九月二十九日 延遼館の祝賀会
十月二日 遊就館での慰労会
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連絡を伝えた兵士が帰った直後に、長崎外国語学校から校長先生がやってきた。
「五人目の通詞となる生徒を決められませんでした」
久佐賀が対応した。
「サイモン夫人は、明日の朝に東京に向かうことになりました。今月分の給金はまとめて橋くんに渡しました。明日からは通訳の生徒たちは不要です。生徒たちによろしくお伝えください」




