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第五十三話 在校生(一)

 九月七日。

 ジャン・サイモンの生存報告を、きっと一緒に心から喜んでくれる仲間たちが、まだ長崎にいることにチャーリー・サイモンは思い当たった。

 公兵員病院・長崎病院に入院しているヨコヤマとイガラシである。彼らは、ジャンとチャーリーと一緒に肩を並べて仁川で朝鮮人たちと戦った。

 さっそく公兵員病院・長崎病院に問い合わせてヨコヤマとイガラシに会いに行くことにした。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 公兵員病院・長崎病院にチャーリーが行く前に、九時半ごろ、一人の日本人の少年がチャーリー・サイモン邸にやってきた。

「すみません。約束の時間に遅刻しました。私はテツジ・モトキ。長崎外国語学校の生徒です。出島は初めてですから道に迷ってしまいました。本当に初日から申し訳ありません」

 モトキは真っ青な顔をしていた。

 今日から、ツルメやカネの通っていた学校の生徒が一日に一人ずつ通訳にチャーリー・サイモン邸にやってくるという話になっていた。

「迷子・・・」

 子どもではあるまいし、とチャーリーは言わなかった。相手は十代の学生であった。

 クサガが謝った。

「すみません。出島の入口まで迎えに行くべきでした」

 ツルメもばつの悪そうな表情をしていた。

「私もこの家への行く道順を学校側に説明することを忘れていました」

 チャーリーは言った。

「はじめまして。私がチャーリー・サイモン。この度は私の通訳をつとめてくれることに感謝する。最初のうちは色々とお互いに失敗や誤解があるのは当然よ。焦らないで。少しずつうまくやれるようになればいいわ。仲良くしましょう」

 モトキはほっとしたような顔になった。

「よろしくお願いします」

 横からカネが口を挟んだ。

「きっと地図がなければ、明日の学生も道に迷いますよ」

「迷うね」

 それはウィスキーボトルを一本賭けてもいい、とチャーリーは思った。

 カネはモトキに命令する。

「モトキ、貴方の仕事は五時に終わる。帰り道に出島の入り口からこの家までの地図を作製しなさい。そして、次の当番の学生の家に届けて説明しなさい」

「わかりました」

 モトキは従順に受け入れた。

 チャーリーは笑った。

「そんなに緊張しないで、モトキ。もっと気を楽にしてね」


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 チャーリー・サイモン邸から公兵員病院・長崎病院に向かった面子は、チャーリー本人、護衛のオオシマとイワタ、通訳のクサガとモトキ、そして、ナツ。、


「彼はご無事でしたか」

「よかった。あなたの夫も仁川で勇敢に戦った」

 ジャン・サイモンの無事の生還を知って病室のヨコヤマとイガラシも感激した。

 そして、もう一人。

 偶然にも、この日の長崎病院には、ヨコヤマとイガラシの他にもハナブサ公使の朝鮮脱出行を共にした男がいた。

 陸軍軍曹シュウサブロウ・チハラ。

 チハラは英語にも堪能であり、サイモン夫妻のための通訳を幾度となく引き受けてくれた。だから、チハラの危機を見捨てることができず、ジャン・サイモンは愛銃を手に飛び出してしまった。


 チハラは、

「ジャンの私に対する後方支援は本当に頼もしかった。彼が助けてくれなければ、私も生きて祖国の地を踏めなかったでしょう」

 と言う。

 そして、笑った。

「あれから仁川から釜山の近くまでジャンは陸路で歩いたのですか、一人で? 無茶をするものですな。貴方の夫は本当にすごい」

 でも、とチャーリーは言った。

「シズサブロウの話によると、地理的に近い元山を目指さなかったというのは正解だったようです」

 チハラは真面目な表情になった。

「元山を目指せば、大院君の配下の兵士の監視が厳しかった。もしも元山に向かっていれば、きっとジャンの生命はなかったと思います。

 釜山を目指したのは正しい判断でした。仁川から釜山までの距離を考えるし、普通は無理だとあきらめてしまうのでしょうが」

「ジャンは朝鮮人のキリスト教徒のネットワークとつながることができました。あと、彼は楽観的です。何とかなるさ、と。タフです。簡単にあきらめたりしません」

「わかる気がします」

「あの人は、いつもそうです」

「ジャンが生きていてくれて本当に良かった。もしも、彼が死んでいたら、私も奥さんに随分と恨まれていたことでしょう」

「恨みませんよ、そんなの」

 チャーリーが恨まなかったというのは嘘。

 ジャンはチハラを助けるために突出した。誰にも命じられることなく。

 もういい。ジャンは無事だっだ。今となれば、チャーリーからすれば、チハラのことを少しでも恨みかけたのが恥ずかしい。


 実はですね、とチハラは笑った。

「三日の八幡町の演説会、私も拝聴させていただきました」

「え?」

「いやはや、奥さんとカネのスピーチは他と違って愉快でしたな。奥さんが自ら拳銃を握って清国のスパイにやり返した話とか、会場が盛り上がりました。

 しかし、劇場が狭すぎましたな。私は朝から並んだのですが、何とか立ち見客でぎりぎり入ることができました」

 あの日の朝に会場の外で見た人の波。

 確かに会場が狭すぎた。

 チャーリーは申しわけない気分に襲われた。

「いらっしゃると前もっておっしゃってくだされっていれば、こちらで席を用意させましたのに」


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 二人の会話をクサガとモトキの翻訳で聞いていたヨコヤマは、自分の意見を述べたいと考えた。

 そこで、新人通訳のモトキの出番になった。

「ヨコヤマの意見。チハラは遠慮することなく、貴女の関係者であることを言って、会場側と交渉するべきだったとのことです。突撃」

 突撃。

 チャーリーは苦笑した。

「きっとヨコヤマならば突撃したでしょう。でも、人には色々な考え方がある」

 モトキは続ける。

「ミズノ大尉のダンスを思い出せ、と」

「ダンス?」

「ケンブです」

「ケンブ?」

「剣を使ったダンスです」

 長崎の通訳養成学校の現役生徒であるモトキにとって、初めての実務体験であった。

 日本語でヨコヤマが何やら言葉を足す。

 モトキは、慣れない状況にあたふたしながら、努力して訳した。

「漢城の日本公館が襲われた夜、数十倍の乱民に囲まれ、公館の中にこもって一人でも敵を多く殺すか、突出して切り抜けるか、ハナブサ公使が迷ってミズノ大尉と相談しました。

 ミズノ大尉は突出して全員で日本に帰ろうと主張しました。

 夜の闇の中、燃えあがった在漢城日本公使館を背景にして、ミズノ大尉は公庭で剣を抜いて踊りながら歌いました。

 その歌詞の内容は、『自分の刀を敵の血で染めないことを恥じよ。歴史のある都で一夜の夢を見る。私たちは紫電の光と化して駆け抜ける。犬や羊のように殺されることも覚悟せよ』とのことです」


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 初めての通訳としての実務体験に、モトキは可哀そうなぐらい緊張していた。ところどころ口ごもったり言い直したりした。

 通訳の先輩であるカトーの病室に移動すると、先ほどのモトキの通訳に対して反省会をする流れになってしまった。

 クサガとイワタが駄目出しを始めた。

「訳する時に、全て訳する必要はないが、話の流れを意識しろ。本当に必要な単語を飛ばしたら話の全体が分からなくなる」

「間違ってもいいから堂々とした態度をとれ。通訳のお前が自信なさげにしていると、相手も不安になって色々と余計なことを付け足したくなってしまう」

「すみません」

 モトキが頭を下げて謝った。

 包帯姿のカトーが言う。

「お金を支払ってもらうのならば、お金をもらえる仕事をしなければいけない。学生のアルバイトでも当然に国からお金が出る」 

「はい」

 モトキの声が小さかった。

「もっと大きな声で発言しろ。声が小さいと聞き返されてしまう。リズムが狂う」

 と、イワタ。

「はい!」

 いきなりモトキの声が大きくなる。

「不必要に大きな声をあげるな。相手のことをしっかり見ろ。相手の心を想像しろ」

 と、クサガ。


 みんな英語で説教しているから内容はチャーリーにもわかった。

 別におかしいことを言っていない。

 しかし、まだ学生であるモトキが学校の命令で実務にいきなりつかされているのだ。

 チャーリーも同情してしまう。

「正直なところ、みんな、彼のことを叩きすぎじゃない? 初日よ、彼にとって」

 クサガの説明。

「長崎の通訳養成学校は前期末の試験の優秀者の五人を一日に一人、こちらに送ってきます。つまり、彼は五日に一度しか来ません。

 だからと言って、彼らは私たちにとってゲストではないのですよ。

 浮わついた気分では、五日後にまた来た時も、おそらく同じ調子でしょう。それでは、いつまで経っても進歩しませんよ」

 チャーリーは右手の人差し指を立てて振って見せた。

「モトキに自分たちの話を聞かせたければ、彼との人間関係が必要よ。いくら、うるさく言っても聞き流されたら意味がない。まずは仲良くしましょう」

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