第五話 最初の記者会見
八月二日。
チャーリーが泊まっている旅館に、日本の外務省職員ウエバヤシがやってきた。
「日本政府の用意した家に移ってください。欧米人住居の立ち並ぶ出島と呼ばれる場所にあなたの家を用意しました。
出島の中であれば、 だいたい英語だけで生活ができます。
さすがに女性の一人暮らしは危ないので、護衛の男を常時に二人つけます。通訳は一人。メイトは一人」
チャーリーは、ウエバヤシの背後の人数を見やった。
質問。
「この場のにいる人たちは、今、お聞きした人数よりも相当多いように見えます。どういうことですか?」
ウエバヤシの回答。
「交代の要員ですよ。あなたが長く日本に滞在なさる場合、あなたを世話する者たちも疲れます。
彼らだって休みを時々とらなければパフォーマンスを十分に発揮できません」
交代要員が必要という点については、彼の言の正しさを認めざるをえなかった。赤面する。
馬鹿な若い女として認識されたら、彼女の生活に対する日本側の干渉の度合いは跳ね上がってしまうだろう。
チャーリーは、今、日本で一人きりだ。自分の立場を守るため、パンチを返しておきたい。別の攻め口を探す。
「それもそうですね。
おっしゃることはわかりました。
私も蒙を啓かれました。確かに交代のための要員は必要でしょう。
しかしながら、なぜ、二人のメイドのうちの一人が児童なのですか? さすがに、そんな小さな子どもに仕事をさせるのは、文明国として、どうかと思いますよ?」
二人の東洋人のメイド。
見たところ、少女と児童の組み合わせ。
少女については言わないことにした。東洋人は若く見える。その外見で成人している可能性もあった。
ただ、もう一人は明らかに子どもだとチャーリーは確信できた。
「その子、いくつですか?」
ウエバヤシは答えられなかった。
横から彼に代わって、少女のメイドが答えた。
「はじめまして、サイモン夫人。
私はツルメ。ツルメ・ゴガクと申します。お目にかかれて光栄です。
こちらの女の子は、ナツ・トウサキです。彼女の年齢についておたずねですが、正直に申しげて、彼女はは十歳です」
「あら、あなた、英語が話せるの?」
チャーリーは驚いた。
西洋風のメイド衣装に身を包んだ線の細い東洋人の少女。可憐であった。ただの観賞用の人形のように見えた。
「私の拙い英語につきましては、どうかお許しくださいませ」
うやうやしく一礼するツルメ。
「確かに、このナツは、まだ子どもです。
でも、幼いながらも非常な働き者でして、メイドとしての大抵の仕事は、そこらの大人よりも器用にこなしてくれます。
もちろん、残念ながら、彼女はまだ英語を学んでおりません。言葉の面で彼女が不自由なところが、私がフォローいたします」
「十歳って、まだ、ぜんぜん子どもじゃない!」
チャーリーは声を荒げた。
ツルメは答える。
「ええ、でも、仕事ぶりには自信を持っています。ナツは、どんなことでもやり遂げます。家事全般はもちろんのこと、料理洗濯裁縫」
「そんなの」
信じられるものですか、という言葉をチャーリーは口の中に飲み込んだ。
頑なにツルメはナツを守ろうとしている。唇を微かにゆがませている。目に薄く涙がにじんでいる。
「何か事情があるのね?」
「お気になさらないでください」
と、ツルメ。
弱々しい声で微妙な言い回し。
本当は、おそらく、自分の苦しい立場を察してほしいのであろう。
チャーリーは後悔した。
日本の外務省を相手に駆け引きをしているつもりだった。
しかし、もしもチャーリーが騒ぎ続けても、すべての責任は下っ端の二人のメイドたちに押しつけられるだけだろう。想像はつく。
鈍感な官僚主義に何の痛痒も与えない。
もしも、そうだとすれば、今、チャーリーがやっていたことは、何の意味もない空回りで、社会的に弱い立場の者たちを手ひどく痛めつけていただけということになる。
チャーリーは謝罪した。
まず、全体に対して。
「申し訳ありません。今、とても皆さんにおかしな態度をとりました。心よりお詫びいたします。
心で私の愚行をお許し下さい。
言葉も通じない初めての土地で、知り合いが誰もいなくて、一人きりで、私も相当にナーバスになってしまっていました」
次に、特に、ツルメに向けて。
「ツルメ、貴女が方がそんなふうに流暢に英語で話してくれて、うれしいわ。後で、いっぱい色々なことをおしゃべりしましょう。
是非、友達になってちょうそこまでだい。
仲良くして。
今、私、わりと変な感じですごく荒れてしまったけれども、本当、ふだんは、そんなに悪くないのよ」
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精神が不安定になっていたというチャーリーの弁明は受け入れられた。
チャーリーは、二十代の若い女性。
壬午軍乱の無差別虐殺の現場から逃れ、愛する夫ジャンと離れ離れになり、言葉も通じない初めての土地で、知り合いが誰もいなくて、一人きり。
精神のバランスが崩れるようなことがあっても、無理はないことなのだ。
その場にいた男たちは、話し合いを始めた。
議題は、夕方の記者会見をどうするか?
男たちは日本語で話す。
さっそくツルメが役に立ってくれた。驚いたことに、東洋人の少女は、外交関係の国際通訳も優に務まる専門知識と語学力を持ち合わせていた。
彼女の解説。
「ウエバヤシは、欧米の新聞社向けの記者会見自体を明日に延期するべきだと主張しています。彼は、あたしにとって学校の先輩です。とても慎重です、昔から」
「失敗すれば、彼の外務省内の評価に傷がつく」
「おそらく」
「ツルメ、貴女はウエバヤシと同じ学校を卒業したの?」
「私達の地元ではアメリカ人の教師が雇わていれた学校がありまして、そこでは、すべての授業が英語で行われていました。ウエバヤシと私も、そして、クサガも同じ学校の出身です」
「クサガ?」
ツルメは小さく指さした。日本側の通訳の一人。成熟した大人の雰囲気があった。
もう一人の通訳をツルメは指さした。
「あそこの大きな身振り手振りで話している男は、カトーです。東京におけるクサガの友人。
彼の主張するところ、今夕のあなたの欧米の新聞社向けの記者会見を中止するべきでない。
記者の人数をしぼって、質問時間なしにする方向。
いきなり記者会見を完全に中止してしまうのは、来てくれる欧米の記者たちも失望します。これから後々の日本の宣伝活動に支障が出るでしょう。日本政府の国際的威信にかかわる。
そもそも、あなたは朝鮮半島で離れ離れになったサイモン氏のことを探したいのであり、記者会見をすることが必要な個人的な理由はあります。
確かに、あなたの精神的な健康も大切なのですけれども、無理のない範囲で頑張ってもらいたい。
クサガも言っています、あなたが納得できる条件を今から早急に話し合うべきだ、と」
「では、早急に話し合いましょう」
チャーリーは自分の希望をツルメを通じて伝えてもらった。
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結局のところ、チャーリーの日本に来て最初の欧米の新聞社向けの記者会見は、記者側からの質問を今日は受けつけられないという条件で、予定どおり、出島のホテルにて行われた。
カトーの提案で、入り口で社名を明らかにした署名つきの寄付を集めることになった。
確かに、チャーリーが朝鮮で生き別れになった夫であるジャンを探したければ、いくら金はあっても困ることはない。
その提案には、チャーリーは感謝した。自分の口から金のことを言い出すのは辛かった。それに、日本の滞在中に、日本政府と無関係に自分が遣える金が手元に少しはあった方がいい。経済面で完全に日本側に依存すれば、チャーリーは日本の操り人形にされてしまう懸念はある。
目を覆わんばかりの漢城の惨劇から無事に脱出した日本公使館の一行が途中で西洋人の若い女性を保護した。
チャーリーは二十四歳。行動を軽敏にするために長いブロンドの髪はバッサリ切った。当時として珍しい短髪。顔立ちは整っている。
港からの脱出のチャンスに漕ぎつけられるぎりきり最後の段階で最愛の夫が脱落してしまうなど、その脱出行にはドラマチックなエピソードが並ぶ。
欧米人の記者たちは彼女のことを、欧米人読者たちに向けた悲劇のヒロインに仕立てたいと望んだ。チャーリーは不愉快に思ったが、彼らにとっては、それが記者たちのビジネスだ。
「彼はきっと生きています」
チャーリーは記者たちに向かって言い放った。
「あの人は強い人だから」
この世でもっとも愛する夫を信じて待つことを宣言した。