第四十七話 清国のサムライ
九月四日。
昨日に演説会に押しかけてきた国生孝也からサイモン夫人に対してお近づきの印にという贈答品が甘利の屋敷に届けられた。
それは長崎ビードロの吹きガラスでつくったグラスのセットであった。色ガラスの粒を溶かし合わせて模様がつけてあった。
サイモン夫人は、箱を開けてそのグラスのセットを久佐賀たちに見せてくれた。
内田は言った。
「昨日の演説会の最後で夏に大島たちに持って行かせたグラスは、国生の土産よ」
久佐賀にとっては初耳であった。
「え?」
「あの男は、主催者の鹿児島新聞社の社長、野村先生のところにも贈り物として持ってきた。それを拝借させてもらった」
「わかりました」
少し久佐賀は笑ってしまった。
「どうした?」
「野村先生ような名士に初めて挨拶するときには手土産を持っていく。おそらく国生さんのような金のある者にとってはそれが普通のことなのでしょう。
金のある人はそれをしなければ失礼ではないかと心が痛む。私のような金のない者には、なかなか思いも及ばない痛みですよ。そう考えると、金がないということは気楽なものでもありますね」
内田からの説教。
「そいつは、お前、気楽すぎるぞ。
若い者が金がないから大目にみてもらえるということは確かにあるが、一人前の礼も尽くすことができなければ相手から一人前の男として扱われぬ」
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昼過ぎ。
甘利の屋敷にひとりの清国人が訪れた。
彼は、
「サイモン夫人のご夫君であるジャン・サイモン氏の現状をお教えする。条件として、久佐賀さんと二人きりで話をさせてもらいたい」
と告げた。
あまりにも重大事に驚いて、甘利の家人が、清国人の男に対して、
「どうか屋敷にお入りください」
と懇願しても、その清国人の男は、
「否」
と拒絶するのみ。
壬午軍乱時の仁川の激闘で行方不明になった最愛の夫ジャンの安否をサイモン夫人はずっと気遣っていた。
そのために彼女は朝鮮半島に近い長崎の滞在を選んだのだ。゜
普段に気丈なサイモン夫人が涙を流した。
簡単に泣く女ではない。
先月の二十七日の銃撃戦においても泣き叫ぶどころか、混乱の最中にヒットマンの右腕を平然と射ち抜いてみせた。
彼女は半狂乱になって久佐賀を呼びつけた。
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久佐賀はサイモン夫人とともに門のところまで、その清国人の男を出迎えた。
清国人の髪型として定められた辮髪、落ち着いた茶色の旗袍。
堂々とした態度の初老の男であった。
サイモン夫人が顔を出したので、その清国人はサイモン夫人には英語で話をした。
「こちらの誠意を示すために、貴女の一番に知りたいであろうジャン・サイモン氏の生息についてお話します」
「ジャンは生きているの?」
「ご心配なく。貴女の大切なご夫君ジャン・サイモン氏はご存命です」
「今、彼はどこにいるの?」
「仁川から釜山に向かう途中、先月の二十八日に朝鮮の役人たちに捕らえられました。
しかし、彼は賢明でした。
彼は自分が日本国籍を有しており、現在に軍艦を引き連れて朝鮮に戻って来ているハナブサ公使の個人的友人だと主張しています。
つまり、彼が日本人であるとすれば、朝鮮側に彼らに対する裁判権はない、と。
現地の朝鮮のや役人たちもジャン・サイモン氏の扱いに困っています。早々に、元山の日本領事館や漢城の日本公使館や東京へ問い合わせの連絡を入れるでしょう」
「ジャン・・・」
「サイモン夫人、貴女の長崎における活動は、朝鮮の日本人たちにも広く伝わっています。貴女のご夫君と話をあわせてくれるでしょう。相当な確率で無事に助かると思いますよ。おめでとうございます」
あまりにも話がうますぎる。
久佐賀は尋ねた。
「どうして、あなたがそんなことを知ってぃるのですか?」
男は答えた。
「様々な偶然が重なりました」
「偶然?」
「ところで、昨日の鹿児島新聞社の『号外』は私も買わせていただきましたよ。
内容はおおむね正しい。
八月二十六日の時点で、大院君の身柄を確保できたことで、清国側はジャン・サイモンを捕らえる必要はない。
それでも、日本の長崎への航路がある釜山付近で、彼のことを捕らえるべく待ち受けていたグループが残っていたのですよ。
彼らが、もはやジャン・サイモンの捕獲は不要だから撤収せよという命令を聞いた後に、ジャン・サイモンが朝鮮の役人たちに捕らえられました。
釜山でジャン・サイモンのことを待ち受けていたグループの中に、私の【知人】がいて、その男が私に【私信】を寄越しました。釜山から長崎に向かう【商人】に言付けして」
知人。
個人的な私信。
商人。
怪しい言葉が並んだ。
たまりかねて久佐賀は重ねて尋ねた。
「どうして、そのグループの中に、あなたの【知人】がいるのですか? あなたは何者なのですか?」
清国人の男は鋭い目で久佐賀の瞳をのぞきこんだ。
「詳しいことは、貴方と二人きりになったときに話したいと思います」
「なぜ、俺ですか?」
と、久佐賀。
男はしばらく逡巡した。
そして、
「二十七日の戦闘において、私たちの練り上げた策を、貴方は打ち破りました。だから、貴方という男に私は興味を持ちました。それは理由になりませんかね?」
と言った。
「なりますよ」
目の前の清国人の男に対して久佐賀は畏敬の念をおぼえた。
尋常ではない。
男は一週間前に弾丸に交換しあった敵の陣中に単身で乗り込んできている。
危険を覚悟で、彼は自らを士として位置づけ、そう呼ばれるにふさわしい立ち居振る舞いをしようとしている。
士為知己者死。
自分のことを本当に知ってくれる相手と出会ううためならば別に死んでも構わない。そういう相手に出会えない人生に価値など認めない。
東洋には、そういう教えが存在する。その教えに従って行動している男なのだろう。
清国のサムライ。




