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第四十五話 八幡町演劇場(一)

 九月三日。

 混乱を避けるために、チャーリーは早朝から馬車で八幡町演劇場に入ることになった。

 日本の地方都市の長崎にしては相当に大きな劇場であったが、おそらくチャーリーの全国的な集客能力に見合わない。

 先月の二十七日のチャーリーの活劇は、長崎からの定期航路がある神戸や東京や横浜には即座に伝わり、全国新聞にも報道されていた。

 朝から劇場のまわりに人が並んでいて、臨時の屋台まで出る騒ぎになってしまっていた。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 楽屋でも、他のスピーカーたちが競うようにしてチャーリーのもとに挨拶にやってきた。

 通訳についてはクサガ、加えて、ツルメ、カネ、イワタが行った。当然のことながら、今まで演説会で活躍していたツルメが一番人気だった。

「私でなくツルメに通訳してほしいそうです」

 露骨にクサガは不機嫌そうに見えた。彼にも色々と複雑な思いがあるのだろう。

「あのう・・」

 横でツルメも当惑の表情を浮かべていた。彼のプライドを気遣ってのことだろう。正式な通訳はクサガである。

 チャーリーは言った。

「まず笑って笑って。何がなくてもスマイルよ。相手に与える印象を考えて笑顔で対応しなさい」

 年長者としてのアドバイス。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 写真撮影の申し込みについてはいちいち応じていては本当に終わらないので、最後にみんなで集合写真ということで勘弁してもらっていた。

 にもかかわらず、カネは一人の男を楽屋に連れてきた。三十代半ばくらいの男であった。

「この方はタカヤ・コクショウです」

 カネが男を紹介した。

「実は、彼と奥さまが一緒に並ぶ写真の撮影を許可するという約策をクサガがしています。それで連れてきました」

 横からクサガも非常に焦った表情で手をあわせてきた。

「私からもお願いします」

 チャーリーには事情がわからなかった。

「どういうこと?」

 クサガが早口で説明してくる。

「二十七日の戦闘で中華レストランの前の二階建ての家を私たちの前線基地として使用しましたよね? あの家を一時的に借りるときに、私はあの家のオーナーと約束しました。貸してくれたら、奥さんと一緒に写真が撮影することができる、と。そのオーナーが、今ここにいるコクショウです」

「聞いていないわよ」

「このところ、忙しくて、コクショウとの約束を伝え忘れておりました」

「忘れるな、そんな大切なこと」

「すみません」

 二十七日に、あの二階建ての家を借りることができていなければ、チャーリーの生命はおそらく消えている。そう考えると、コクショウは彼女の生命の恩人とも言える。

 チャーリーはコクショウに向かって笑顔をつくり、彼に向かって握手を求めた。

「はじめまして、コクショウ。先日は貴方の貴女の建物を貸していただいてありがとうございます。貴方の建物を使わせていただいたおかげて、私たちは清国側のヒットマンを何とか撃退することができました」

 すでに有名人であるチャーリー・サイモンの挨拶に対して、アライは緊張気味の硬い笑みを浮かべながら握手に応じた。

 クサガが素早く通訳する。

「約束通り、写真の撮影をお願いしますとのことです」

「カメラマンを呼んで。あと、写真の撮影はいいけれども、どうして今日なの?」

 横からカネが口を挟んだ。

「有名人と一緒に記念撮影してもらえる権利があるのなら、普通の日よりも周囲が知っている大きなイベントで、その有名人とに一緒にいたのだという証拠を残したい。その方が写真の価値があがる。奥様は、そう思われませんか?」

 また、コクショウが日本語で何か言う。

 クサガが通訳する、

「お近づきになれて写真まで撮らせていただけるということで貴女に対するお礼を、コクショウは、アマリの屋敷にまで持ってきたいとのことです」

 カネは肩をすくめた。

「奥様は長崎どころか日本全国でよい評判を得ているので、奥様と継続的な個人的関係をつくっておけば、彼がビジネスチャンスを拾える機会が増えるでしょう」

 チャーリーは苦笑した。

「みんな商売熱心なのね。わかった。彼が明日にアマリの屋敷に来てよいかどうか、アマリと調整してもらってちょうだい」


 コクショウは二十七日の激闘で実際に大きな援助をしてくれた人物なので交友関係を持つことは拒否しない。

 しかし、これから下手な相手と仲良くすれば、有名人としての自分の名前が信用詐欺の小道具として悪用されかねない危険が生まれていることに、チャーリーは気づかされた。

 そんなことにまで気を遣わなければいけないの?

 チャーリーはため息をついた。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 この演説会の主催者である鹿児島新聞社のノムラが外務省のフジタとウエバヤシを楽屋に連れて来た。

 フジタは言う。

「オオシマ、カベヤマ、イワタの三人について、来年の一月から釜山の外務省警察で採用する正式の辞令の紙を持ってきました。

 最後の余興が終わってから、私が客席から舞台にあがって彼らに手渡します。つきましては、サイモン夫人にはアナウンスをよろしくお願いします。

 あと、ドラマチックな演出効果を高めるために、この件は、本人たちには伏せていただきたい」

 また新しい演出の追加?

 つまらないところで芝居っ気を出すな。辞令の手渡しなんて普通にやれ。

 心の中でチャーリーは悪態をついた。

 しかし、思う。

 これまで三人とも私のために頑張ってくれたし、どんなに遅くても来年の一月でお別れ。彼らの未来の門出を祝うための演出というのであれば、協力してもよい。

「わかりました」


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 楽屋では、ナツが旗袍や下衣タイプのズボンに着替えて、一人で懸命にダンスの練習をしていた。

 チャーリーのもとに挨拶に訪れる他のスピーカーたちは、小さな子どものダンスを「かわいい」と言ってほめそやす。

 頑張ってくれたと言えば、夏だってチャーリーのために十分に頑張ってくれた。

 貧民街で父親に人買いに売られそうになったところをツルメとクサガとカトーに助けられて、彼女はチャーリー・サイモン邸にやってきた。

 まだ十歳にもならないのに、社会に追い詰められた状況で、ナツは一生懸命にメイドの仕事をし、女主人のチャーリーにあわせて英語まで覚えようとしている。

 今回の最後の余興について言えば、カネもツルメも元気で、代役としてのナツの出番はない。今やっている彼女のダンスの練習の努力は空しく終わるだろう。

「どうしたら、いい?」

 何か悔しくなって、チャーリーは声に出して呟いた。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 今回の演説会。

 他のスピーカーたちから多くの挨拶を受けたチャーリーは、彼らがどういう内容の話をしていたのか、クサガやツルメやカネやイワタに聞いてもらって説明を受けた。

 自由民権運動。

 イギリスの社会的自由主義アダム・スミスなどやそれを発展させたフランスの社会改良主義シャルル・フーリエなど

 ┅┅細かい言葉の違いにこだわらず、みんなにわかりやすい言葉で『立ち上がれ』と叫ぶことが大切で、立ち上がれば神の手で社会全体が発展する。

 ┅┅伝統的な言葉にこだわって今の悲惨な社会状況が固定しまうようなことがないように、新しい社会と新しい言葉をつくろう。

 もちろん言語環境のプラットフォームを破壊してしまうことは危険だ。

 聖書がバベルの塔の破壊を語る場面のように、共通の言語を失った人々は、ちょっとした言葉遣いの工夫で避けられた争いも避けられない。因果関係の把握が困難になり、人々は未知や異質の闇に叩き込まれる。

 それでも、だ。

 明治の日本の状況では、『立ち上がれ』と誰かが叫ぶべきだった。悲惨な社会状況を悲惨だと誰かが言わねばならなかった。

 彼らにも間違いなく正義はあった。


 歴史的な言語環境の軽視を唱える彼らの試みは、批判者たちが正当に危惧するように、社会全体の消滅を招きかねない危険な冒険であった。

 しかし、それでもなお、彼らの手に正義はあった(彼らが自分たちの冒険が馬鹿で危険なことをしていると正気で自覚できているかぎり。謙虚さを失った彼らの思想的末裔までは擁護できないにせよ)。

 馬鹿も危険も承知で誰かがやらねばならぬ時代であった

長崎年表

http://f-makuramoto.com/01-nenpyo/01.nenpyo/1870-1873.m02.html

1870年、市中の演劇場を八幡町と諏訪神社付近の2か所に制限。他の町での開場を禁じる

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