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第四十四話 もしも今俺が

 九月一日。

 前日のうちに楽器・楽譜・衣装が用意された。

 拍子を重視する武芸者の大島と壁山は、打楽器の太鼓の音を正確に刻んだ。

 優男の元警察官、岩田は女を口説くための小道具として清笛を学んだと言い、その指遣いは滑らかであった。

 これまでかんかんのうを聞いたこともないサイモン夫人も楽譜を見ながら練習する。別に難しい曲ではないので三十分ほどすれば形になった。

 久佐賀の場合には、かんかんのうで鈴を鳴らすときが曲全体で数か所しかなく、気楽なものであった。

 その様子を見ていた、まだ子供の夏が、

「夏ちゃんだってできる」

 と言ったぐらい。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 考えてみれば、夏ちゃんに出番がない?

 久佐賀は言った。

「内田先生と夏ちゃんは今回の余興に何の役もないですね? 入院中の加藤は仕方ないとして」

 馬鹿、と内田は笑った。

「わしの年齢でかんかんのうなんて騒げるかよ」

 昨日のことを久佐賀は思い出した。

「俺は昨日の夕方に鶴女に言われましたよ。もっと明るく楽しくやれって」

「お前の場合はそうだろう。わしはもういい。わしの場合、若い頃に十分に楽しんだから、もう不要じゃ」

「でも」

 楽しむ姿を周囲に見せることも大切ではないでしょうか、と久佐賀は言いかけた。

 それを先読みしたように内田は指摘した。

「若い者たちの遊びに、わしみたいなのが混じってみろ。かえって、みんな気を遣うわ。わしの弟子である大島や壁山なんぞ、やってられんだろ?」

 おっしゃられるとおりだ、と久佐賀は思った。

「大島さんや壁山さんのことまで思いが至りませんでした、すみません」

 そいつはよいのだがな、と内田は言う。

「夏ちゃんには何かやらせてあげられないものか? 加藤も入院してしまっているし、あの子はさびしそうにしているぞ。

 お前らも自分たちだけで楽しく遊ぶというのではなくて、小さい子の気持ちにも気を遣ってやれ」

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 踊るのは━━明治の御代には珍しい女性通詞、全国から長崎に集まった壮士たちの間で人気上昇中の優等生少女━━、五岳鶴女。

 本格的な「かんかんのう」の衣装として清服を着ていた。

 男女共通の旗袍。

 旗袍は騎馬民族の満州族の生活様式に基づく寛衣型の寛袍形式の上衣で、盤領、交襟または対襟、特殊な紐ボタン、窄衣の特徴を持つ。

 馬上戦闘も想定する乗馬での利便性を考慮して腰から下の両脇にはスリットが入り、ズボンタイプの下衣とあわせて着用する。


 かんかんのう きうれんす

 きゅうはきゅうれんす

 さんしょならえ さあいほう

 にいかんさんいんぴんたい

 やめあんろ

 めんこんふほうて

 しいかんさん

 もえもんとわえ


 清国語でも日本語でも意味が通らない奇妙な歌詞を、兼は明るく楽しく歌いあげる。

 エキゾチックな異国情緒の香り漂う旗袍に身を包んだ 鶴女は、手足の大きな動きのあるアクションでもって、ポーズを次から次へと切り替えていく。

 静と動のコントラクト。

 かんかんのう。

 看々奴。

 私のことを見てよ見てよ。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 全体練習が終わってから、久佐賀今回の余興の提案者である長崎外国語学校組(兼と鶴女)に夏の扱いについて相談してみた。

「内田先生から言われた。この屋敷に来てから、夏ちゃん、メイドとしての仕事もないし、加藤も入院しておるし、切ない想いをしとるはずだぞ」

「そうか」

 鶴女も初めて気がついた様子。

「内田先生は、ほんとうに色々な人の気持ちに目配りなさっていますね」

 しきりに兼は感心している。

 自分のことを棚に上げておいて、久佐賀は苦言を呈する。

「お前らは女だろう?

 いずれ妻となり母となり、自分の小さな子どもの面倒を見るようにようになるのだから、本来ならば、お前らが真っ先に気がついて何とかすることを考えるべきだ」

 明治に日本に渡ってきたアメリカ由来のホーム思想は、家庭における女性の役割・価値を明確化することで、女性の家庭内の地位を高めようとする。

 ホーム思想は、熊本の洋学校の授業で久佐賀も教えられた。

 兼は鶴女を肘でつついた。

 含み笑い。

「言われております、いずれは、ねえ・・・」

 それに対して、鶴女はあたふたする。

「ちょっと変なことを言うのは止めてください、お兼さん。

 私と久佐賀くんの通っていた熊本の洋学校では、ジェーンズ先生というアメリカ人の先生がいて、熱心に教えてくれたのです。家庭における女性の果たすべき役割について━━」

「こら、話を逸らさない」


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 二人の会話に立ち入ることはせず、久佐賀は話を戻した。

「夏ちゃんにも、俺たちが今練習しているかんかんのうにおいて、何かやらせてやれば、きっと喜んでくれると思うのだ」

 それはそうですが、と兼は言った。

「あの子に何をやらせることができます? 劇場にお金を払って来てくださるお客さま方の前で」

「素人芸というのならば、俺たち、みんな同じだろ?」

 と、久佐賀。

「それは違います」

 まるで兼は退かなかった。

「先月の二十七日の戦いにサイモン夫人の一味した者たち、久佐賀先生、大島さん、壁山さん、岩田さん。 

 もちろん、サイモン夫人ご本人も。

 サイモン夫人の横にはべる小町通詞として名前を売った鶴女。

 みんな、今のこの時期の長崎では評判です。

 あと、はばかりながら、この私だって、甘利の家の娘として、長崎では知られた顔です。

 私たちがひょいひょいと顔を出すだけで、お客さまに喜んでいただけるのです。

 それも立派な芸です。

 しかし、今の夏には、お客さまを納得させるものが何もありません。チャーリー・サイモン夫人のもとで一か月ほど下働きしただけの小さな子どもでしかない」

 

 興行の論理。

 それが全てだろうか?

 久佐賀は言った。

「西洋の芝居では、アンダースタディといって、重要な役の者が急病などで倒れた場合に備え、本来の役者とは別に【万が一の場合には代役としてその役を演じられるよう、台詞・振付・歌などを練習する役者】がおる。

 夏ちゃんにもアンダースタディをやってくれと言い含めて、【かんかんのう】の歌と踊りを本番まで練習させてやってくれぬか? 

 実際の本番で客の前に立たせなくてもよい。

 それならば客や興行主に対する失礼になるまいし、夏ちゃんも自分もみんなと一緒にやっているという心地がするであろう」

「名案だと思います。そう致しましょう」

 兼は賛同した。

「では、夏のための衣装を手配します。とりあえず、あの子をよい気分にさせてあげましょう」

「そうしてやってくれ」

 と、久佐賀。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 兼が急ぎ足で立ち去って、その場に久佐賀と鶴女が残された。

「ねえ、久佐賀くん。

 話は変わるけれども、私のかんかんのうの踊り、すぐ近くで見ていて、どうだった?」

「よかった」

「どんなふうによかったの?」

 いきなり鶴女から問い詰められて、泡を食った久佐賀は、うっかり正直な感想を口にしてしまう。

「ちょっと、色っぽいというか、eroticな・・・」

「erotic・・・」

 鶴女は絶句した。

 あわてて久佐賀は謝った。

「すまん」


 江戸時代から流行したかんかんのうの振り付けには、猫の手つきで腰をひねるポーズや、横向きになって太ももを見せつけるように片足をあげて斬る手つきをいるポーズや、両腕を広げ両肩を無防備にあげて腰をきねらせるポーズや、いばって胸をつきだして見せたりするポーズや、左で片足立ちになって右膝を横に大きくつきだし、両手をあげておどけるポーズや、官能的に見えるようなものが混ざっている。

 あまりに煽情的ということで江戸時代に禁令が出ることもあった。

 ゆるやかの清服の旗袍の衣装でも鶴女のかんかん踊りに色気を久佐賀は感じてしまった。

 鶴女や兼のような女子生徒が袴姿でかんかんのうを踊ったりしたら、多感な男子学生たちには目の毒ではないか?


 鶴女はうつむいて、目をあわせず、左右の小指を絡ませた。

 もじもじもじ。

「そんな目で私が久佐賀くんに見られたって、久佐賀くんの口から面と向かって堂々と言われると・・・私といたしまては・・・びっくりしたというか・・・新鮮というか・・・不思議というか・・・ちょっと怖いというか・・・恥ずかしいというか・・・いや、別にそんなに嫌な気持ちでもなくて・・・・」

 ━━もしも今俺が、『見惚れた』とか、『お前のことが好きだ』とか、いや、それ以上のことを口にしたら、こいつはどんな顔をするのだろうか?━━

 少しすると、久佐賀は何を言ったらよいのかわからなくなった。鶴女のどぎまぎする気持ちが伝わってきてしまい、それに共振していつのまにか吞み込まれた。

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