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第四十三話 八月の最終日

 八月三十一日。

 きたるべき九月三日の鹿児島新聞社主催の演説会に向けて準備が進んでいた。

 八幡町演劇場を甘利仙一郎が個人で借り切っている。

 サイモン夫人の演説の通訳は甘利の娘である兼がつとめる予定になっている。この演説会そのものが甘利父娘の売名の手段なのだ。

 今回のサイモン夫人の演題は、「清国密偵との長崎決戦」となった。

 個人的すぎて、通常の自由民権運動の他の演題の中で浮いていることは確かであった。

 政治性も社会性も乏しい。

 ただの活劇講談である。

 それでも、二十七日における陸軍兵士たちまで繰り出したサイモン夫人一行と清国密偵たちとの激闘は、長崎の人々の耳目を集めていた。

 妙齢の金髪美人であるサイモン夫人が自ら拳銃を握って奮戦した。

 絵になる活劇。

 朝鮮で義勇兵になることを希望して全国から長崎に集まってきていた壮士たちも大満足。

 ┅┅聴衆の一番に聞きたい話を提供するべきでしょう?

 演説会をエンターテイメントにしようとする甘利父娘の提案を鹿児島新聞社側は丸呑みした。

 金を出すスポンサーは強い。

 それに、大きな劇場を満席にしたという実績をつくれば、鹿児島新聞社側も今後に他のスポンサーとの交渉が有利になる。

 理想よりも金や実績が大切というわけではない。

 それでも、どういうかたちであろうとも、金を手に入れて実績をつくらなければ、なかなか理想に向かって前に進むことができない。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 サイモン夫人一行の集まった座敷での朝食の場で、突然に兼が言い出した。

「ねえ、鶴女、九月三日の演説会でかんかんのうを踊ってもらえん? 私が歌うから」

 鶴女あっけにとられる。

「え? かんかんのう・・・ですか?」

 江戸時代から明治時代にかけて民衆によって広く唱われていた。

 俗謡「かんかんのう」は、文政三年(一八二〇年)の春、長崎の人が難波・堀江の荒木座で踊った「唐人踊とうじんおどり」に始まる。

 唐人ふうの扮装をした踊り手がおどり、清楽の「九連環」の歌詞を、日本人が意味のわからないまま聞き取って音韻を何とか再現しようとした歌詞を歌い手がうたう。

 なお、「かんかんのう」の曲名は、清楽の「九連環」の歌詞「看看奴(カンカンイー、私を見てよ見てよ)」という部分に由来している。

 兼は言う。

「私たちの母校のお約束みたいなものでしょう。鶴女、今でも踊れるよね?」

「それは、まあ・・・」

 と、鶴女。

 この二人は、官立の通詞養成学校の長崎英語学校に入学して五年間かよって卒業している(明治十五年の時点では、長崎外国語学校と改称している)。

 各地から通詞を目指して長崎に集まってきたエリート学生たち(もともと鶴女はエリート学生だ!)は、親睦を深めるために長崎発かんかんのうを踊った。


 二人の話を横で聞いていた護衛の男たちは面白がった。

 大島は言う。

「かんかんのうのならば俺と壁山は太鼓をただけるぞ」

 岩田は言う。

「清笛で吹ける。ちょっと自信がある。まかせてくれ」

 この反応は偶然ではない。

 長崎発のかんかんのうは、江戸時代から明治時代にかけて全国的に流行していた。


 日本人たちが日本語で盛り上がっている様子を見て、サイモン夫人は気にした。

「みんな、何を話しているの?」

 通訳として久佐賀は説明する。

「カネが提案したのです。今度の演説会の貴女のスピーチの前にツルメが、余興として、この長崎から始まった清国風のダンスを踊れ、と。

 そうしたら、オオシマもカベヤマもイワタも楽器ができて、その曲をやれるから、自分たちが伴奏をやりたいと言い出しました」

 サイモン夫人は笑った。

「平和な話ね」

「ええ」

 四日前ば銃撃戦もあったのに呑気なものだと久佐賀が思うと、サイモン夫人までが呑気なことを言い出した。

「チャイニーズギター月琴ならば、私は弾けるわ」

 久佐賀は驚いた。

「貴女も彼らの演奏に参加したいのですか?」

「楽譜があるなら」

 と、サイモン夫人。


 演説会の主役であるサイモン夫人の参加を、兼は当然に歓迎した。

 手書きで全員の楽譜を用意する。

 この生まれつきのお嬢様は、メイドみたいな下働きの仕事をさせれば空っきしであったが、上流階級の子女としての芸事をさせれば大したものだった。

 兼の意見。

「奥さまがご参加なさるというのであれば、かんかんのうの余興を後に回しましょう。最後の平岡先生のスピーチが終わった後にします。

 スピーチと演奏の間に少し休憩をとるべきですよ。それに、奥さまが最後にまた出るということにしておけばお客さまを演説会の最後まで引っ張ることができると思います」

 見世物興行として考えた場合には合理的な選択である。

 誰も反対しなかった。


 兼は何かを持つ手つきをして振ってみせた。

「あと(必要な楽器)は鈴かな」

 それを聞いて鶴女は言った。

「久佐賀くん、どう? 鈴をやらない?」

「何で俺だ?」

 いきなり話を振られて久佐賀はあわてた。

 鶴女は小さく舌を出す。

「私が踊るの」

「いや、俺に何の関係がある?」

 久佐賀がたずねると、鶴女は困った顔で

「それは」

 と言い淀む。

 何やら兼はあきれた顔をしている。女たちの目が厳しい。

 最年長者の内田良五郎が言った。

「自分が踊るところを近い場所で見てくれ。そういうことだ。察しろ、久佐賀。そんなことを若い娘さんの口から言わせるな。すぐ察しろ」

「ち、違います!」

 鶴女は顔を真っ赤にして否定した。

 露骨な反応。

 内田の読みが正解。

 さすがに、それぐらいのことは久佐賀も理解できた。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 その日の夕方、久佐賀は甘利の屋敷の中庭に出た。立派な庭だった。木や石や泉や石灯籠などの配置も考え抜かれている。

 太陽が空を朱色に染め上げながらゆっくり西の空に沈んでいく。

「ちょっといい?」

 中庭に鶴女が入ってきた。

 先回りして久佐賀は謝ることにした。

「すまん」

「どうして、久佐賀くんが謝るわけ?」

「朝の件のことだろう? 内田先生にも大島さんにも、また後で叱られた。すまん。俺は男女のことにうとくてあまり察しがよくない」

「あれは内田先生の勘違いだから!」

 また朝と同じように鶴女は顔を真っ赤にして否定した。

 そして、言う。

「私こそ、ごめんね。みんなでやる演説会の余興に久佐賀君にも参加してほしいって、私、無理いっちゃったかな?」

 鶴女は久佐賀が何か答えるよりも早く

「でもね」

 と言葉をつないだ。

「みんなが笑って明るく楽しんでいる時には、久佐賀くんにも、みんなの輪の中にもっと入ってきてほしい。そう思ったの。だって、ほら、何と申し上げましょうか、久佐賀くんは夏休みの夕日だから」

 と告げた。

 久佐賀にはわからなかった。

「どういうこと?」

「私たちが小さい頃、洋学校時代のころ、夏休みは楽しいけれども、遊んでいたら、いつか必ずその日の太陽は沈んだ」

「うん」

「夏休みの夕日に向かって、『明日も休み』ってあの頃の私は叫んでいた。

 それでも、いつか夏休みは終わる。

 わかっている。正しいことは大切だよ。

 でも、そればかりじゃない。

 遊び疲れて今日は楽しかった、明日はもっと楽しくなる。

 あの頃の気持ちを何か私も思い出した。この夏に久佐賀くんと久しぶりに会って。

 そんな気持ちは本当に大切なの。

 ねえ、わかって。

 だから、久佐賀くんにも、もっと、みんなと一緒になって、楽しく明るく笑いあってほしい。ごめんね、うまく言えなくて」

 鶴女は今月半ばに彼女自身で選んだ振袖に身を包んでいた。

 沈みゆく夕陽の光のような橙色の地に赤紫の花模様を散らす意匠。

 あの時に鶴女は何と言っていた?

 ━━夏休みの楽しい一日の終わり、明日への希望とか、そういうことを思いつつ、選んでみました━━

 そういうことだったのか。

 久佐賀は理解した。

「正しいことも大切だが、それだけではなくて、自分が知っている正しさが全てではないと知って、明るい夢を見ることも大切なのだな」

 鶴女の顔がぱっと輝いた。

「それ!」

 いつのまにか久佐賀は自分も笑っていることに気がついた。

 明治十五年八月の最終日。

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