第四十二話 社会改良主義
八月三十日。
今回の朝鮮のクーデターの首謀者である大院君は、宗主国の清国軍に捕獲されて中国の天津まで移送されていた。
その事実が清国側のヒットマンたちが知らされることになれば、彼らは継戦意思を失って長崎から引き上げるだろう、というのがタイガーマンの見立てであった。
清国のヒットマンたちのところにも暗殺指令の撤回のしらせが届くことになるはずである。
いつ届くかという話になると、どうも、わからない。
チャーリー自身の生命にかかわる問題だ。
大院君が清国に移送されるニュースを早く清国側のヒットマンたちに知らせるために、チャーリーは鹿児島新聞社を利用することを思いついた。
タイガーマンがアマリの屋敷を辞した後、チャーリーは急いで、クサガを鹿児島新聞社・臨時長崎支部の社屋にやって、新聞記者を呼びにやった。
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鹿児島新聞社からアマリの屋敷に取材にやってきたのは、社長のオシスケ・ノムラであった。
鼻に目立つ傷がある。
━━韜略優秀兵を用ゆる俊敏、戊辰の役、丁丑の役、機略縦横戦へば必ず勝ち、攻れば必ず取り、常に能く奇を出して勝を制したるが如き、皆兵学素養の致す所なりと云ふ━━
一八七七年の日本の内戦で反政府側に参加したため、今は日本軍に所属していないが、ノムラの戦術的能力の高さは日本で認めないものは誰もいない。
ノムラがチャーリーの話を聞き終えると、
「来月三日の鹿児島新聞社主催の演説会の日にあわせて『号外』を出しましょう」
と言った。
「もう少し早くなりませんか?」
チャーリーは通訳のクサガを通じて文句を言った。
しかし、ノムラは言う。
「清国のヒットマンも、私たちの小さな新聞で何を書いても、どうせ読みやしませんよ。
ただ、貴女本人が出演する演説会の直前に現場で特別に配られた『号外』ということであれば、相手さんも確実に目を通してくれるでしょう」
「小さな地方新聞・・・」
チャーリーは絶句する。
横から通訳のクサガが意見を述べた。
「今から東京や横浜の大手の新聞に連絡をとるにしても、もっと時間がかかります」
電信が向こうのに届けるだけでも一日。
もしも即日に取材を決定してくれると仮定してみても、東京や横浜から長崎まで記者が船で来るまで最短でも二日は必要です。
ノムラの言うとおり、来月三日の演説会のときに劇場で鹿児島新聞の『号外』を配布するのがよいかと思います。一番早く、清国側のヒットマン・チームに終戦のメッセージを伝えられます」
不承不承であるがチャーリーは納得した。
「わかりました」
当時の日本の出版事情と通信事情と交通事情と交通事情からすれば、九月三日に報道するというノムラの提案は、チャーリーからすれば不満だったが、他の選択肢に比べればましだった。
大院君が清国の軍隊に連行された件について、「何が本当かよくわからないけれども」という留保つきで東京や横浜の新聞が報道しはじめるのは九月七日以降のことである。
ところで、とノムラはたずねた。
「タイガーマン氏は、どこから、その情報を入手したのでしょうね?」
そんなことまでチャーリーは考えたことがなかった。
「彼はアメリカの外交関係者ですよ。彼がどこからニュースを入手したのかわからなければ貴方たちの新聞は報道しないのですか?」
ノムラは肩をすくめた。一瞬、異様に鋭く眼光を光らせた。すぐ目を閉じた。
そして、
「面白いと思ったので」
と言った。
チャーリーはよくわからなかった。
聞き返す。
「何が面白いのですかね?」
「哀しくて面白い」
ノムラの言葉はまた短い。
間に入っている通訳のクサガも困惑の表情を浮かべている。
チャーリーは頭を下げた。
「私にもわかるように詳しく説明していただけませんでしょうか?」
ノムラの説明。
「タイガーマン氏のニュースの入手先を想像すると、そいつは、貴方の父親のカイル・バートリー氏でしょう。
貴方の父親は清国のご友人たちと親密な関係を築いている。
清国側から大院君の連行についてのニュースを貴女の父親が最初に受け取ったのだろうと私は思います。そして、それがアメリカの外交関係者の間で共有されたのです。タイガーマン氏も含めて。
あの国の外交の古来からのセオリーとして、愚かな敵国からの使節を特に優遇せよと言われています。彼がその敵国で称賛されることになれば敵国の力は弱まります。
それは、相手の側からすると、唾棄すべき愚かな売国奴のところにこそ重要な情報がいち早く流れてくる、ということでもあります。
卑劣な売国奴もある程度までは飼っておいた方がよい。
私が関心をもったのは、愚かで卑劣な者の存在を内側に許すことが自国にとって利益になりうるという事実です。そいつは、国を想う者にとっては、哀しくて面白い」
チャーリーは圧倒された。
ノムラは自分よりも高い視点で物事を考えている。
個人的な質問。
「愚かで卑劣な者も許すべきということですか、時と場合によっては?」
静かにノムラは答えた。
「貴女とおっしゃる時と場合というものがどういうものなのか私にはわかりません。
憎悪しながら違うもの知らないものを自らの内側に置こうとする。
そんな選択は狂気に容易につながる道です。
あまり貴女には私個人としておすすめしたくないです。しなくてすむというのならば、無理をしないに越したことはない。
しかし、おのれ分を超えたものを人は望んでしまうような場合もあります。
望む。
貴女は未来に何を望むのでしょうかね?
自分が見たいものを前もって自分で決めて、そのために必要な手段を実行に移す。
貴女がどれだけ大きな夢を見るのか、そのために、どれだけ多くの代償を支払ってもよいとするのか、それは全て貴女がご自身で決断なさることです」
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啓蒙主義enlightenismには、異質や未知に意識的な理性の光が灯ることを希望する。
社会改良主義reformismは、目的達成のため、未知や異質を憎悪しながら抱きかかえ、意識的な理性の光の届かない闇にも踏み込んでいく 。
ある論者の言によると、啓蒙主義は「人間であることの根源的な恐怖を克服しようとする試み」であり、社会改良主義は「人間であることの根源的な喜びを獲得しようとする試み」であるという。
おのれの人格をも破壊する危険な力にも手を伸ばす社会改良主義の試みは、制御不能の暴力につながる危険がある。
しかし、啓蒙主義は、社会改良主義の根底にある哀しみに十分に思いを馳せることができているのだろうか?
狂気の代償を支払っても力を求めずにいられない人々が社会に多く存在している!
西南戦争の十一人
http://saigoutakamori.sakura.ne.jp/seinan6.htm
ラストサムライ・西郷隆盛先生。(PART40・野村忍介編)
https://plaza.rakuten.co.jp/gurenhonesty/diary/200708070000/
戦後の野村忍介
https://satsumareb.hatenadiary.com/entry/2022/08/22/215406




