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第四十一話 暗殺指令の撤回

 八月三十日。

 アマリの豪邸に滞在を続けるチャーリー・サイモンのところに、日本の警察からの連絡があった。

 一人の日本人郵便配達夫が二十八日に家で首を吊って自殺したという届け出があった。

 短い遺書が残されていた。

 ━━サイモン夫人を取り囲む清国人の女たちに向けて発砲したが、銃弾が逸れてサイモン夫人の護衛の者にあたってしまった。一死をもってお詫びしたい━━


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「確かに、本人の自筆でした」

 と警察官は言う。

 日本の古筆鑑定法は、著名な作家については、作家の特有の手癖や使用した紙などのデータベースが充実し、その守備範囲においては相当に正確だった。

 しかし、普通の人が字を書くときに一般的にどういうところに手癖が出やすいかといった知識の整理はなされていない状態であった。

 この時期の一般的な日本の筆跡鑑定は全く信用できない。

 チャーリーは疑問をもった。

「私は郵便配達夫の右腕に弾丸を撃ち込んだ。首つり自殺は不自然。自殺した郵便配達夫の右腕は負傷していた?」

 警察官の答え。

「そんな報告は受けておりません」

 身代わりに殺されたのだろう、とチャーリーは思った。日本人の責任にするために、

 たとえ本人の自筆によるものだとしても、捕えて脅迫し、好都合の良い内容を書かせることはできる。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 チャーリーたちを橋で囲んだ清国人の女たちもお咎めなし。

 警察官は言う。

「そもそも外形的には我が国の官憲が取り調べるほどの違法な行為は何ら存在していません」

「は?」

「四人も護衛を連れたチャーリー・サイモン夫人は狭い橋を塞ぐような形で渡ることになりました。それに対して、地元の住民の一人がマナー違反を注意しました。

 顔見知りがもめごとを起こせば簡単に集まる文化なので、あの騒ぎのときに、最初の住民の知り合いや野次馬たちが橋に一気に集まってしまった。

 最初の発端になったという女だって、通りすがりの誰かから『あのマナー違反をどう思う?』ぐらいの言葉で、そそのかされただけかもしれません。少なくとも相手はそのように主張することができます」

 チャーリーはたずねた。

「最初の発端になった女の身柄ぐらい確保できないの?」

 くどくど警察官は弁解した。

「今、日本と清国の間柄は、非常にデリケートな時期です。

 それに、そもそも長崎は清国人が多い地域です。ろくな証拠もなく清国人を引っ張ることは難しい。下手したら警察の対応能力を超えた暴動につながってしまいます」

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 警察官たちが戻った後、通訳のクサガは言った。

「向こうは、貴女に対する暗殺計画が成功しようが失敗しようが、無事に逃げるための退路を前もって確保していました」

「それが何?」

「敵ながら見事です」

「その見事な敵に対して、私たちは前回に競り勝ったのよね?」

 チャーリーは明るい声をつくってはしゃいで見せた。

 クサガは顔をしかめたまま。

「勝ったと言うのは言い過ぎです。ほとんど敗北が確定していた格上相手のゲームを、みんなの頑張りで、勝敗なしの引き分けに何とか持ち込むことができた」

「貴方の話を聞いていると、まるで私たちが負けてしまったみたいな感じ。もう少し、こちらの気分が高まる言い方をしてもらえない? どうせ次があるにせよ、怯えていれば、戦う前に心が折れてしまう」

 チャーリーが文句をつけると、クサガは微笑した。

「もう次があると覚悟しておられるようでしたら、生半可なことでは心を折られたりしないでしょう」


「まあ、いいわ」

 チャーリーはため息をついた。

「ところで、このあとの私の身の振り方はどうなるのかしら? まさかずっとアマリの家に居候し続けるわけにもいかないでしょう?」

「この家の防御自体は固いですが、いかんせん人の出入りが多いです。清国側が日本人の仕業に見せかけて貴女を殺したいというのであれば、出島のチャーリー・サイモン邸に戻った方が安全かもしれません」

「なるほど」

「まだしばらくは、この屋敷に滞在してもいいと思いますよ。清国側も出入りする人間の中にすぐ刺客を仕込めるわけでもないでしょうから。

 メイドたちも護衛たちもこの屋敷に滞在している間は、ほとんど仕事なしで、のんびり過ごすことができています。良い休暇でしょう。しかし」

 クサガは何かを言いよどんだ。

 チャーリーは気になった。

「しかし、どうしたの?」

「カトーが入院してしまって、今の通訳は私一人です。私の休日が消えました」

「ご愁傷さま」

 警備の限界の問題か出てきているので、どうせチャーリーは長崎を立ち去らなければならない。

 それまでクサガに休日なしで頑張ってもらうという方法もある。

 一か月か二か月ぐらい先?

 考え直す。

「通訳の交代要員の募集はどうなっているの?」


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 アマリの豪邸に在東京アメリカ公使館職員であるタイガーマンが陣中見舞いにやってきた。

 座敷で面会。

 タイガーマンの第一声。

「おめでとう。また君に生きて会えることができてうれしいよ」

 小さく拍手。

 チャーリーは言った。

「貴方の親切なご忠告に従って、二十七日の警備を固めさせてもらいました。感謝します」

「ただの一般論を口にしただけさ。特別なことは何も言っていない」

 と、タイガーマン。

 二十七日の彼女に対する暗殺計画を事前に知っていたことを認めない。

 彼の立場をチャーリーは尊重する。

「本当に、世の中は、どこに危険があるか、わかりませんものね」

「チャーリー、君の警備に日本の兵士まで出てくるとは思わなかった。あのレストランの前の二階建ての建物を前もって押さえたのがは、良い判断をだ」

 タイガーマンの見方には一理ある。あの日に誰が一番に貢献したかという順位付けをチャーリーはしたくないけれども。

「そうかもしれません」


 ところで、とタイガーマンは話題を変えた。

「君をかばって通訳が一人銃で撃たれたという話を私も聞いた。お気の毒に。ひょっとして、例のクサガかい?」

「別の通訳カトーが撃たれました」

「クサガは無事だったか」

 さあ、とチャーリーは肩をすくめた。。

「カトーの交代要員を早く見つけないとクサガの休日がなくなってしまう非常事態」

 かわいそうに、とタイガーマンは言った。

「長崎で英語通訳を見つけるのはそんなに難しいことなのかね? 日本では語学の学習が盛んな地方都市だ」

「清国人の息が一切かかっておらず、日本政府が信頼できる者という条件をつければ難しいそうです」

 と、チャーリー。

 江戸時代の長崎の人口は六万人であり、そのうち清国人は一万人いたと伝えられている。


 ところで、とタイガーマンは言った。

「本日は君にとって非常にいいニュースを持ってきた」

「いいニュース?」

「二十六日に、漢城駐留の清国軍に、朝鮮の前国王である大院君が逮捕された。理由は、清国皇帝に服従する現国王を退けて政権を奪取したことは、清国皇帝に対する罪にあたる」

「どういうことですか?」

「とりあえず、近い将来に長崎で君の生命を狙う清国側の殺し屋たちが引き上げることになるよ。

 もうは君に言ってもいいだろう。チャーリー、君のご夫君であるジャン・サイモンが抱えていた書類は、大院君が七月のクーデターについて清国の某高官から承認を予め得ていたことを示す内容だった」

「大当たりか!」

 驚きのあまり、思わずチャーリーは品のない言葉を使ってしまった。

「どうしたのかね?」

「その書類の内容について、日本側で推理していた者がいたのです。あまりにも推理が見事にあたっていたもので驚きました」

「その推理した者は誰だ?」

 タイガーマンは興味を示した。

 チャーリーは少し迷ったが正直に教える。

「鹿児島新聞社社長のノムラ」

 ノムラの名前をタイガーマンは知っていた。

「有名な男だぞ。噂になるだけの切れ者みたいだな」

 そして、

「清国側は大院君を罪人として現在に清国の天津に連行している。

 ゲーム終了だ。

 大院君の身柄を清国が確保する前に問題の書類が表に出ていれば、清国政府の内部で大きな闘争が起きていただろうな。

 その闘争の最中に、大院君が自由に動き回って、その書類を真正と認めることがあれば大変なことになっていた。今回の朝鮮におけるクーデターについて朝鮮でなく清国による日本の謝罪が必要という話になりかねない。

 そのあたりが清国人たちが君の夫であるジャンの行方を懸命に追いかけた理由であり、君の生命が狙われた理由だと思う。

 清国が大院君の身柄が確保することに成功した今となっては、例の書類が表に出てきたところで、大院君に内容を否定させればいい。

 つまり、例の書類を握っているらしいアメリカ人夫妻に対して、清国側は大して興味を持つ必要がなくなったよ、二十六日の時点でね」

 ちょっと待って、とチャーリーは口をはさんだ。

「私が襲われたのは二十七日です」

「二十六日に漢城で大院君の身柄が確保されてから、清国側が君に対する暗殺指令を撤回する電信が日本の長崎に届くまで、多少のタイムラグがある。二十七日では時間的に無理だ。電信さえ届かない」

「いつから私は安全になるのですか?」

「出し忘れ、郵便事故、暗号解読の失敗。いろいろ遅れる理由は多い。届くはずの指令がいつまでも届かないことも時にはある。

 しかし、長崎の新聞に大院君が清国に連行されたというニュースが掲載されるようになれば、長崎の清国人たちも君を殺す必要は消えたと判断する」



和華蘭文化の港街 「長崎」(長崎の清国人の多さ)

https://www.jstage.jst.go.jp/article/bplus/5/2/5_2_144/_pdf/-char/ja


壬午鶏林軍乱(大院君の連行の報道が東京日日新聞でなされるのは、九月七日)

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1174384

 

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