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第四十話 こんなところを好きになる

 八月二十八日

 午後十一時半ごろ、チャーリー・サイモン夫人の邸の小さなメイド、唐沢夏の将来の身の振り方に久佐賀たちが話しあっていると、当の夏本人が甘利の屋敷から馬車で公兵員病院・長崎病院にやっってきた。

 大人の付き添いとして、五岳鶴女に手を引かれて、加藤の病室に見舞いに訪れた。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 左肩に包帯を巻かれて病床に寝転がっている加藤の姿を見て、夏は火がついたように泣き出した。

 駆け寄って叫んだ。

「マスターの嘘つき!」

 いきなり言われた加藤は面くらった。

「嘘つきって、僕が?」

「内田先生から夏ちゃんも聞いたばい。奥さんのことばかばって、拳銃で撃たれて、病院に入らんばいかん大きなケガした言うて」

「ああ・・・」

「マスターは夏ちゃんに『他人のことなんか考えるよりも、自分んことだけ考えて、真っ先に金力を手に入れろ、話はそれから』っていつも言いよーばい。

 拳銃とかで撃たれたりしたら死ぬと?

 死んだらお金も何もなか。

 そがんもん、おかしかよ、絶対おかしか。マスターが奥さんのこと守って銃で撃たれるなんて。マスターがいつも言いよーことはそらごとなんか?」

「ちょう待てや、お前・・・」

「マスターも、夏ちゃんのマスターやったら、夏ちゃんに嘘ば言うな。夏ちゃんのことを置いて死ぬような危なかことするともやめんね!」

 夏は詰め寄った。

  

 すると、加藤は、

「僕は嘘をついていない」

 と言い出した。

「このケガしたのは、別に奥さんのことをかばったからとちゃうんよ。

 内田先生がな、二階建ての建物の二階の窓から、大きな怖い声で、奥さんの後ろに立て、って僕に命令したんや。

 わけもわからず僕が奥さんの後ろに立ったら弾丸が飛んできたんよ。

 ほんま、悪いのは、みんなみんな内田先生やで。

 あの時の僕の利害計算としては、逆らったら内田先生に殺されると思うた。夏ちゃんは子供やから内田先生も優しくしよるけど、あの先生を怒らせたらメチャクチャ怖い。

 僕も自分の生命を大切にしているから、内田先生の命令にパッと従った。

 わかった? あの時かて僕はしっかり自分の利益を最優先に動いている。自分の生命を大切にしている。僕がいつも言うとることに嘘はない」

 その説明を聞いて夏は首をひねった。

「ほえ? マスターは奥さんのことを守って撃たれたんじゃなかと?」

「ちゃうわい。 僕は内田先生にいきなり怒鳴りつけられたから、奥さんの後ろに立っただけやで。奥さんのことを守ろうとか、自分が拳銃で撃たれていいとか、そんなん、ちっとも考えんかった」

「そうなん?」

「悪かったのは、みんなみんな内田先生やろうな」

 

 加藤は全て内田良五郎が悪かったことにしようする。

 嘘も方便か?

 聞いていないことにした方がいい。

 久佐賀は鶴女を誘った。

「ちょっと二人で部屋の外に出よう」


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 廊下に出た鶴女は、きょとんとした表情で、

「どうしたの、久佐賀くん?」

 とたずねてきた。

 久佐賀は説明した。

「加藤の馬鹿、自分のケガを、みんな、内田先生が悪かったという話にしよる。

 もしも、夏ちゃんの口から内田先生に伝わったら後で困る。

 内田先生のことを怒らせてしまえば、それこそ、加藤本人が言うように『メチャクチャ怖い』ことになる。

 調子に乗った加藤の嘘話を横で俺も聞き流していたとなれば、なぜお前も止めなかった、と俺にまでとばっちりが及びかねない。くわばらくわばら」

「ああ・・・」

 そういうことか、と鶴女は笑った。

「内田先生は優しい方だし、そんなの、心配のし過ぎよ、大げさね」


 あの嘘つきめ、と久佐賀は言った。 

「加藤は、自分はサイモン夫人を守ろうとして撃たれたのではなくて、内田先生の命令でサイモン夫人の後ろに立っただけ、と嘘を言っている。

 あの状況でサイモン夫人の後ろに立てば何が起きることになるのか?、

 二階の高いところから見ている者から、お守りしなければいけないサイモン夫人の背後に立て、と怒鳴られるということは、銃弾からの盾になれという以外の意味はない。

 加藤は夏ちゃんのことを何とか言いくるめようとしておるが、夏ちゃんは、なかなか賢い。あいつの嘘が夏ちゃんに通じるのかどうか」

 通じるわけない、と鶴女は首を横に振った。

「それでも、加藤マスターは、夏ちゃんの前では、いつも絶対に変わらない無情な功利主義のオバケでなければいけないのよ。

 ━━他人のことなんか考えるよりも、自分のことだけ考えて、真っ先に金力を手に入れろ、話はそれから━━

 東京の福沢先生の教え。

 今の時代の多くの人たちにとって必要なことを、多くのひとたちに伝えるため、わざと、わかりやすい極論を言っているだけでしょう?

 極論は極論だから嘘も混じる。

 それでも、加藤マスターは、夏ちゃんみたいな子どもにとって、今の時代を生きるために必要なことを教えようとしている」

 

 話を聞いて、久佐賀にも思い当たるところがあった。

「夏ちゃんは誰かに期待して欲しいのだろう」

 そう、と鶴女は言う。

「だから、加藤マスターは夏ちゃんの前で無情の仮面をかぶり続けるの。

 自助努力。

 夏ちゃんは一人でも夏ちゃんの人生を戦わなければならない。

 加藤マスターの言葉は厳しいわ。

 でも、彼の言葉のウラには、『お前ならばできる』という期待が込められているのよね。

 その気持ちが伝わるから、夏ちゃんも加藤マスターについていく」

 久佐賀は納得した。

「そいつは夏ちゃんが加藤のことを信じるわけだわい。まだ小さな子供の夏ちゃんの可能性を加藤だけが信じようとしている」 


「もう変な話よ、本当に」

 鶴女は両手の拳を握り、やるせない気持ちを叩きつけるように、振り下ろした。

「いつも優しい嘘を聞きたい夏ちゃん。

 気づかれていることを薄々に感じながら、求められるまま嘘を口にしつづける加藤マスター。

 共犯関係。

 決してそれを嘘だと二人は言わない。

 二人の嘘の根っこにある想いは、今の世の中で望んでも滅多に手に入らないもののだから」

 久佐賀は思った。

 ━━こいつのこんなところを俺は好きになったのかもしれん、な。

 鶴女の瞳を見つめると、じっと見返してきた。

 黒い瞳の奥に吸い込まれそうにな気がした。


 ところで、と鶴女が言った。

「きのう久佐賀くんは夜になっても帰ってこなかったね?」

 久佐賀は言う。

「この病院に泊めてもらった。加藤のことが心配だったから。あいつのことを東京から長崎まで連れてきたのは俺だ」

「知ってる」

「おう」

「優しいね」

 自分のことを言われたのか、と一瞬だけ久佐賀は勘違いした。

 鶴女は言う。

「加藤マスターって優しいね。正直に言って、最初の印象はよくなかったけれども」

「俺の友達だ」

「ええ」

「いい奴なんだよ」

 と、久佐賀は言葉を重ねた。


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