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第四話 初めて恋した相手

 八月一日。

 久佐賀と内田の会話は、前回より引き続く。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「蒼海先生は明恵上人の逆ですな」

 久佐賀は言った。

栂尾とがのお山の明恵上人の説話によると、悟りの八割ぐらいは、おのれの意にかかわるものであるが、残りの二割ぐらいはおのれの意を超えたところにあるそうです。

 明恵上人は意識で考えるだけでは足りないと言い、蒼海先生は無意識で感じるだけでは足りないと言う。

 いずれか一方だけでは足りないのでしょう。二つそろっても足りないものかも知れませぬが」

 おやおや、と上林が茶々を入れてくる。

「洋学校が廃校になった後、久佐賀は禅寺に放り込まれたそうだが、何か、まるで本物のお坊さんみたいに抹香くさいことを言うようになってしまった」

 別に良いではないか、と内田は笑った。

「坊主と言えばな、先週に、蒼海くんと会ったときな、いきなり、あいつ、去年、大隈重信と会ったときに仕立てたという帽子を『似合っておるでしょう』とか自慢してきようたわい。

 こちらが『鬼坊主がおめかしか』と、からかってやったら、『俗っ気が抜けきれていない』とか言って、恥ずかしがりよったわ、あの鬼坊主がよ」

 

「皆さま、ご歓談の折に、まことに恐れ入りますが、只今、私はとんでもないことに気がついてしまいました」

 加藤が話を止めてしまう。

「誰じゃ、お前?」

 とドスの効いた声で怒ったのは、内田の弟子である大島だ。

 怖い怖いと笑いながら、加藤は久佐賀の背後に身を隠した。

 そして、

「申し遅れました、私は慶應義塾の学生で加藤三太郎と申します。この度は、久佐賀と一緒に今回にサイモン夫人のために通詞をつとめさせていただきます」

 と言う。

 内田が、

「何だ、加藤、そのとんでもないこととは?」

 と、訊ねる。

 加藤曰く。

「この面子には女が一人もおりませんやん?」

「で?」

「洗濯とか掃除とか飯作るのとか誰がするんですか?」

 内田は考えこむ。

「わしらでやってやるのは別に難しくないが、問題はサイモン夫人の気持ちであろうな」

 おっしゃるとおりですワ、と加藤はうなずく。

「ゴツい男たちに身の周りの世話とかされたら、食べるメシも不味くなってしまいまっしゃるやろ?」

 歯に絹着せぬ物言い。

「うら若い女性であるサイモン夫人の身の回りのお世話をするためには女手いるんちゃいます? 上林さん、外務省は女手を全く用意していないのですか? 本当に、ここにいる面子が今回に集められた全員ですか?」

 上林の顔が真っ青になった。

「女手の用意? 

 言われて見れば、確かに必要だ。

 サイモン夫人には日本に対してよい印象を持っていただかなければならん。

 明日の朝までに用意しよう」

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 緊急事態ということで場は解散となってしまった。

 親睦会などしているヒマはない。

「大変なことがいきなり起きたゆうよりも最初から大変な見落としがあったゆう感じやね。われの頭の中が大変やゆうねん」

「そこまで言うな、加藤。外務省だって、こういう事態は初めてだろう」 

「甘いわ」

「うむ」

 外務省の上林は東京の上役に善後策を求める電信を打ちに行った。

 内田と弟子の二人(大島と壁山)もどこかに飛び出していってしまった。

 長崎にも知人がいるらしい。その伝手で女手を調達しようという心算つもり

「適当な女手を明日の朝までに用意か」

「一日では厳しいやろ」

「段取りがよろしくないな、さすがに間に合うまい」゛

「もう無理やね」

 何の責任もない学生らしい会話をしながら、久佐賀は加藤と連れだって旅籠に戻っていく。

 

 道すがらに治安のよろしくない貧民街を通った。

 若い男の二人連れだ。久佐賀は雲弘流の剣を遣う。加藤は治安の良くない新興都市の育ちであった。

 多少のもめごとは来るなら来い。

 意気軒昂。

 その時、貧乏長屋から人買い二人組が、小さな女の子を連れて行こうとしている光景が目に飛び込んできた。

「やめてください」

 一人の若い娘が人買いに抗議している。

「夏ちゃんを連れて行かないであげてください。かわいそうです。こんなに小さいのに」

「うるせえ」

「何なら、お前が金ば払うか?」

 と、人買い二人組。

 その娘は、この貧民街において、掃溜めに鶴とでも言うべき美形であった。

「似ている・・・」

 ふらふら吸い寄せられるがごとく、久佐賀は騒ぎの中に入っていった。


「どうした?」

 久佐賀は声をかけた。

「おいコラ、関係のない奴はだまらんか」

 後ろから人買いが右手で握った短刀の刃を久佐賀の首筋にあてようとした。

 あてられなかった。

 この時に、久佐賀はすでに懐から愛用の鉄扇を取り出し、その刃にあわせた、

 相手の右上腕に自分の右上腕をあわせ、相手の右半身の動きを一瞬だけ止める。

 右足を左足の裏に移動させる動きを起点に、右腕を反時計回りにまわし、下から右の手のひらで人買いの目を打つ動作を見せる。

 泡を食った人買いの腕が顔をかばおうとあがったところを、右足を左足の裏に移動させる動きから、左足を前に飛ばし、遅らせたど上半身で溜めをつくり、左の鉄扇でガラ空きの胴を強打した。

「シィッ」

 裂帛の気合い。。

 明治の二十年代に怪人・久佐賀義孝は、東洋のメスメリズム・天啓顕真術の開祖を名乗って、全国的に有名になっていく。それは武術的な気合いを応用した催眠術であった。

 力の抜けた人買いの右足を払うと引っ繰り返った。白目を向いて気絶している。


「何じゃ、貴様?」

 残ったもう一人の人買いは悲鳴のような声をあげる。

 加藤がやって来た。

「おい、こら、先に光物抜いたのは、そっちの方やろ?

 ホンマ、久佐賀先生、怖いわ。ヤバイよ。あっという間にイわしよるもん。弱い者イジメやめたれや。イジメかっこわるい。君、けっこう感じ悪いで、久佐賀くん」

 人買いは言う。

「俺らは、ちゃんと、このガキの父親に金を払って、連れていくのだ。他人の商売の邪魔をするのか、巡査を呼ぶぞ」

「呼ぶならば呼べや。先に光物抜いたのは、そっちの方やぞ」

「お前ら、よそ者だろう? 官憲が、よそ者のお前らと地元の俺らの言うことのどちらを信じると思う?」

「ぷはは」 

 加藤は笑いだした。

「何がおかしい?」

「知らなければ、言うて聞かせたるわ。

 そこの久佐賀満吉くんは、肥後の名高い剣客の松本蒼海先生の愛弟子ヨ。

 松本蒼海先生は、幕末の京都で白刃を振るって、今ときめく井上馨外務卿のお命を救った。

 今でも井上馨外務卿と:御昵懇ごじっこんの間柄。

 そういう縁で、この久佐賀先生は、井上馨外務卿の直々のお声がかりで、政府の御用をつとめるためにこの長崎に来とる。

 われがふだん地元の巡査になんぽ金を握らせとるか知らんが、呼ぶならぱ呼んだらよろしいがな。なんぼでもよべや。早う呼べ。

 田舎の小役人なんて怖うあるかい。

 こちらの後ろには井上馨外務卿がついとるんや。

 俺ら、外務省の偉い役人と一緒に長崎まで政府の御用に呼ばれて来ている。

 それを邪魔する気か?

 久佐賀先生のことを若いゆうて見た目で安ウ見たら、お前らみたいな小虫は、ガチンと一発でペシャンと潰されて終わりやぞ」

「それはそれは、すまんこつです・・・ お見それいたしました」

 人買いの顔が青くなった。

 久佐賀の迅速な手並みと、加藤の横柄な態度から、二人の話を信じる気になったらしい。

 

 この騒ぎに久佐賀が出しゃばる原因となった娘は、まじまじ見つめていた。

 信じられないといった様子。

 やがて、口を開く。

「久佐賀くん? 熊本洋学校の? 嘘・・・ 私、五岳鶴女。覚えている?」

「久しぶりだな」

 明治七年(一八七四年)から明治九年(一八七六年)にかけて(当人の年齢では八歳から十一歳にかけてぐらいまで)久佐賀義孝は、男女共学・授業はすべて英語という熊本洋学校に在籍している。

 五岳鶴女。

 幼き日の初恋の相手であった。

 すらりとした手足を持つ鶴女は、生活の貧しさを感じさせる風体ながらも、優しげな細面に理知的な瞳をきらきらと輝かせていた。

 全てが新時代への希望の光に輝いて見えた洋学校の日々を思い出す。

「懐かしい」

 目に涙がにじんだ。

 色々なことが変わってしまった。

 まるで変わっていないことが一つあることに、久佐賀は気がついた。

 彼女の前ではうまく話せない。

 ┅┅綺麗になる思うとったばってん、こぎゃん綺麗になるとは思わんだった。

 頭に浮かぶ言葉は口の中で溶けてしまう。

 あの頃と同じだ。

 みじめだ。

 情けなか。

 変わっとらん。

 そこは、むしろ変わっとけよ、俺。


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